9.領地再生計画 ④

 ふと、リーゼロッテが何かに気づいたように、心配そうな表情でユーリに尋ねた。


「美容薬液は貴族だけのものとしても、石鹸や洗髪液は庶民に売り出すおつもりですよね? 商人ギフトで手に入れたものと同等の品質を、領内で生産することは可能なのですか?」


 その問いに、ユーリは思わず考え込んでしまった。


(……確かに、領内で同じ品質を再現できるかな?)


 ソープワートを植えている家庭も多いが、市場に出回る石鹸といえば、洗濯用の獣脂石鹸か貴族に人気の帝国石鹸が主流だ。

 帝国石鹸は帝国南西部のオリーブ油を使っており、保湿性は高いが、水に溶けやすく消費期限が短いのが難点である。

 一方、ユーリが商人ギフトで仕入れている石鹸は苛性ソーダが使われており、鹸化が早く製造しやすいだけでなく、硬さもあるため持ち運びにも便利だ。

 さらに、使用量は帝国石鹸の五分の一で済むうえ、長持ちするのも魅力である。

 だが、この世界ではまだルブラン法が発明されておらず、苛性ソーダを工業的に作る技術がない。

 塩から錬金術で生成する方法もあるが、塩は「白い金」と呼ばれる高級品で、一リウム(約450グラム)でオボル銅貨二枚もする。

 一般労働者の日給がオボル銅貨一枚から二枚程度であるため、塩の価格は庶民にとって決して安くはない。

 そもそも錬金術はギフトの一つで、それを取得している貴族も少なく、仮に取得しているとしても貴族が職人のようなことをするかと言われれば、甚だ疑問であるのだが……。


 ユーリは心配そうな表情を浮かべるリーゼロッテに向けて説明した。


「まったく同じものを作るのは難しいかもしれないけど、成熟した椿を領内に植林してオイルを抽出すれば、それなりに材料は揃うはずだよ。それに、特殊な粉は商人ギフトで仕入れられるから、帝国石鹸よりずっと安くて質の良いものが作れると思うんだ」


 自信と少しの不安が混じった声が漏れる。

 商人ギフトを使って石鹸の素や保湿液を調達し、そこに回復薬のポーションやエーテル、エリクサーを加えれば、十分に魅力的な商品ができるはずだと思う。

 とはいえ、何事も実際にやってみなければ分からない。

 そう思いを巡らせながら、ユーリはもう一つの商品についても考え込む。


「石鹸の方は何とかなりそうだけど、洗髪液の方は少し難しいかもね」

「どうしてですの?」


 オフィーリアが少し残念そうに尋ねる。


「今あるものより良いものを作る方法が思い浮かばなくてね」


 ユーリは申し訳なさそうに答えた。

 この世界では市販の洗髪液はなく、ローズマリーやラベンダーなどのハーブに卵黄を混ぜたものや、ヤギのミルクティ、お酢、蜂蜜などを家庭で調合して使うのが一般的に普及している。


「そうですのね……あんなに使い心地が良いのに、残念ですわ」


 オフィーリアが少し肩を落として言うと、その会話を聞いていたクロエとリリィが「わ、私たちも使ってみたい……」と小さく呟く声が聞こえてきた。


「サロンでは仕入れた洗髪液を使えばいいし、容器を入れ替えて販売できないか考えてみればいいんじゃない? それに、クロエもリリィも安心して。ちゃんと後宮のお風呂場に置いておくから、後で感想を聞かせてね」


 ユーリがそう言って二人に微笑むと、クロエとリリィの顔が一瞬にして明るくなった。


「ほ、本当に使ってもいいんですか?」


 クロエは喜びを隠せず、目を輝かせている。

 リリィも頬を紅潮させ、少しはにかみながらも期待に満ちた表情を浮かべていた。


「わ、わたしも……試してみても、いいでしょうか……? 頭の上で卵を割らなくてもいいなんて……夢みたいです」

「これからは、セリーヌ様の御髪を毎日百回も梳かさなくて済むのですね……」


 なぜかマーガレットがそうしみじみと言いながら、目尻を拭いていた。

 それを聞いたユーリはギョッとして、「女性の髪は長いから大変だよな……」と内心でマーガレットを労った。


 ひと段落ついたところで、オフィーリアがもう一つの懸念事項を持ち出した。


「それで、もう一つの格差問題はどう対処するつもりかしら? 石鹸工房で外貨を得た庶民が食料を買い占める事態になれば、大変なことになりますわよ」


 彼女は心配そうな表情で、真剣にユーリを見つめる。

 その鋭い視線に、ユーリは一瞬戸惑いながらも尋ねる。


「それは、領内で食料が減少しているからってこと?」

「ええ、あくまで可能性ですが……特に貧困層が飢餓状態になれば、農家や小売商、工房を襲撃することも考えられます」


 重々しい口調で、オフィーリアに代わりリーゼロッテが答えた。

 その言葉は、領内の不安定な状況を暗示し、部屋の空気を一層張り詰めたものにする。

 ユーリは眉をひそめ、考え込むように言う。


「そもそも、なんでそんなに食料が減少しているの?」


 すると、クロエが少し躊躇しながら手を上げた。


「あの……よろしいでしょうか?」

「どうしたの? 何か知ってるの?」


 ユーリが優しく問いかけると、クロエは少し視線を落としつつ答えた。


「領地管理帳簿や徴税帳簿を確認して分かったのですが、ここ数年で多くの農民が領地を離れてしまっていて、農作物の収穫量がかなり減少しております……。その……税の負担が重すぎるのではないかと……」


 税がどうなっているかをクロエに尋ねたところ、下記のような状態であることが分かった。

 ・星導教会への寄附:収穫量の十分の一

 ・農作物の課税:収穫量の五分の一

 ・次年度の種子・家族の食料:残りの十分の六から確保

 ・市場売上税:余剰分を市場で販売し、その売上の十分の一

 ・消費税:一回の取引ごとに、売上の二十分の一

 ・入市税:城内に持ち込む商品の総販売価格の約百分の一

 ・市場利用税:市場の場所に応じて、売上の五十分の一以上

 ・人頭税:十四歳以上の成人一人当たり年間で銀貨一枚

 ・農地利用税:農地の面積に応じて、年間で銀貨五枚以上

 ということらしい。


「……めっちゃ、ぼったくってない?」


 ユーリは目を丸くし、前世では考えられないほど過酷な税制に同情の色を浮かべて呟いた。

 オフィーリアはクロエの報告に耳を傾け、しばらく考え込むように視線を落としていたが、その後、ゆっくりと顔を上げ、静かな表情でユーリを見つめる。


「他の領地も、似たような状況ですわ。私の実家の領地も、多少は軽めかもしれませんが、同じぐらいだった気がしますわね」


 その口調は穏やかだったが、その裏には複雑な感情が隠れているようだった。


「えっ、そうなの。それだと、手元にほとんど残らないじゃん。まさに、働けど働けど暮らしはらくにならず……ってやつだね」


 ユーリは、嫌なことを思い出したかのように眉をひそめて言った。

 オフィーリアは彼の反応に一瞬微笑んだが、その微笑みにはどこか寂しげな色が浮かんでいた。


「ええ……多くの領地では、農民たちはそのような状況に陥っていますわ。彼らは少しでも作物を手元に残そうと必死に働いていますが、余剰がほとんどなく、翌年も同じことの繰り返しで疲れ果て、土地を離れてしまう……まさに負の連鎖ですの」


 それを聞いたユーリは「だめじゃん!」と頭をガシガシとかきながら叫ぶ。

 なぜこんなにも農民たちが苦しむ状況になってしまったのか──考えれば考えるほど、もどかしい気持ちが募ってくる。

 ふと、前世で上司に仕事を丸投げされ、終電を逃してタクシーで帰宅した日々が頭をよぎった。

 日付が変わる深夜、ラーメンだけが唯一の心の支えだった。


「問題は……税の負担が重すぎること、それに稼いだ外貨をどう領地内で循環させるか。そして、領地のゴーイングコンサーン……どうやって持続的な成長を図るか、か……」


 ユーリはぶつぶつと独り言を呟きながら、目を閉じて思考に没頭した。


「六次産業を基盤にして農民にお金を還元しようと思ったけど、安定した農作物の供給と税改革も併せてしないとしないと無理だな……」


 もみ上げを親指でグリグリしながら、深く息を吐き出す。

 頭の中に次々と問題が浮かび上がってくる。


「外貨を稼がなければ、いずれ資金繰りがショートするだろうし、かと言って、稼いだら稼いだで格差が広がる。一部の人間の富が増えても、トイレットペーパーショックで食料がなくなったら意味がないし……」


 そう呟きながら、ユーリが目を開いて周囲を見回すと、オフィーリアとリーゼロッ

テが心配そうな顔でこちらを見守っているのに気がついた。


「あ、ごめん、ちょっと考え込んでた」


 ユーリは二人に安心させるようにそう言い、さらにクロエの方を振り向き、感謝の言葉とともに軽く頭を下げた。


「教えてくれてありがとう。クロエのおかげで、今の状況を理解できたよ」


 それを見たクロエは慌てて立ち上がり、頭を深く下げながら恐縮した様子で答えた。


「こちらこそ、差し出がましいことをいたしました。少しでも旦那様のお役に立てて光栄です」


 彼女の声には安堵が含まれていた。


 もう一度、リーゼロッテ、オフィーリア、クロエ、マーガレット、リリィの顔を順々に見ていく。

 リーゼロッテが不思議そうに首を傾げてユーリに尋ねる。


「どうかされましたか?」

「いや~、何かいいアイデアが思い浮かばないかなって……」


 少し照れながら後頭部を掻きユーリは答えた。


「数人集まって知恵を出し合ったくらいで、簡単に解決策が見つかるものではありませんわ」


 オフィーリアは呆れたようにユーリを見つめた。

 どの領地も同じような難題を抱えており、学者たちが長年論争してきたほどの深い問題なのだ。

 オフィーリアの表情には、そんな簡単に答えが見つかれば誰も苦労しないのに……とでも言いたげな色が浮かんでいた。


「農作物の流通だけで考えるなら、せめて税を軽くするのが良策かもしれませんが……」

「でも、レーベルク男爵領は農作物の納税にかなり依存していますから、簡単にはいきませんね」


 リーゼロッテは悩ましげな表情を浮かべ、さらに言葉を続ける。


「他の方法で税を集める手段があればいいのですけど……」


 数秒の沈黙の後、ユーリの頭に電球が灯ったかのように閃きが走った。




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


リリィたちのお風呂シーンが見たい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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