ⅩⅤ Fall through Burgundy

 それから数日が経ったある日、セオドアは義足のメンテナンスのためにセドリックの元を訪れていた。

 二人が談笑していると、セオドアが窓の向こうに知った顔を見つける。

「あれは、たしか」

 先日サモア劇場のゴッドで見かけた小太りの紳士。

「エドムント・ブラウン男爵だったかな」

 名前を聞いたセドリックがほほうと顎をさする。

「おお、知ってるのか。成り上がりの社長だが、最近は繊維加工の会社を立ち上げたらしい。ほら、エリオットたちが行ってた工場もその加工品の請け負いだそうだ。これからどんどん会社おっきくして、エリオットやリアムみたいな孤児が安心して働ける現場を作りたいとか。大した器の人だよ」

「セドリックもよく知ってるね。紹介してくれたサモア劇場に出入りしてるんだ」

「ほんとかよ、そりゃツイてるぜ。あの男爵さんも絵画収集が趣味だって聞く。それもちょっとクセのあるやつな」

「知ってたなら早く紹介してくれればいいのに」

 責め立てられるとセドリックが頭を搔く。

「俺は情報を知ってるだけ。ツテはねえよ」

「今度劇場で見かけた時に話しかけられたらいいんだけど」

「話しかけるったって俺らとの共通の話題なんてあるのかねえ」

 セドリックが肩をすくめると、「それなんだよ」とセオドアも眉をひそめた。


 夜のストランドには娯楽を楽しみに人々が集まる。数多ある劇場の中でサモア劇場は今日も繁盛しているようで、人一倍客であふれていた。

 セオドアが演奏の合間にゴッドを見ると、エドムントが姿を見せた。エドムントに注視していると、背後から声をかける人物が現れた。先日もエドムントと話し込んでいた。その光景を見て、セオドアが楽器隊のメンバーに声を掛ける。

「ちょっとすみません。少しだけ抜けても大丈夫でしょうか?」

 すっかり顔なじみになったチェロ演奏者が顔を上げた。

「いいよいいよ。この後は人気スター、アンネ・ロイドの歌唱ショーだ。だれも楽器の演奏なんざ聴かねえさ」

 ひらひらと手を振り送り出されると、「すみません」と頭を下げセオドアが客の中へと埋もれていった。

 ゴッドでは未だエドムントと男性客が話し込んでいる。内容は仕事に関する事のようだった。

「なあ、エドムント卿。最近はあんたの会社が繊維業界で名をあげてるってんで、その実力を見込んで特別な話を持ってきたんだ。どうだい、一緒に一仕事しないかね」

「サイモン・アルベールと言ったね。仕事の取引となれば内容を聞かねば話にならん」

 ごまをするように目を細めたサイモンがずいとエドムントと距離を縮める。

「俺はフランスやアジア、アメリカの情報網を持ってる。今あんたが得意とするスーツなんかは既製品の量産が主流となってる。そのうちロンドンも量産型に飲み込まれるだろうよ」

「それならもう私の会社で型紙や工場の準備を進めている。君だけが持っている新しい情報ではないようだがね」

 それでもサイモンはいやらしい目を細めたままほくそ笑む。

「そう、未だロンドンで誰も知らない情報でなくちゃあんたのお眼鏡にはかなわない。そこでだ、今アメリカで流行ってる下着を知っているかい? 今流通している硬くて使い勝手の悪いもんじゃない。柔らかくて毎日洗うことが出来る生地で出来てんだ」

「柔らかい? 毎日洗える?」

「そうだよ。下着さえ変えれば清潔さが保てる。アメリカの紳士たちの間じゃ話が持ち切りさ」

 聞いたこともない話にエドムントが怪訝そうな顔を向ける。しかしジョージの話が本当であれば、いち早く輸入し製造することが出来れば市場を席巻できる。エドムントが顎に手をあて唸る。

「俺ならすぐにでもアメリカから輸入ができるパイプを持ってる。なあ旦那、前向きに考えてくれよ」

「分かった」とだけ返事すると、エドムントがサイモンを追い払う。「頼んだよ旦那」と言い残し、サイモンが卑しい笑みを携えたまま去っていった。


 従業員に紛れてセオドアが二階へと潜り込む。ちょうど一人で酒を楽しんでいるエドムントを見つけた。

 服をはたき身なりを整える。ゆっくりとエドムントに近づくと丁寧に声を掛けた。

「エドムント・ブラウン男爵ですね?」

 突然現れた見知らぬ若者にエドムントが怪しみ警戒するような視線で振り向いた。

「誰だね、君は」

「セオドア・ウェルズリーです。ここで楽器隊をしています」

 貴族でもなければゴッドに出入りできる身分でもない。ますますエドムントの不信感がつのる。しかしセオドアもそんなエドムントの態度に引き下がるわけにはいかなかった。

「あの、先ほど男性客と話されていましたよね。その、お仕事の話でしょうか」

「なぜ君などに教えなければいけない」

「いえ、すみません。俺なんかが口出しする立場でないことは承知です。ですが、彼を信用しない方がいいと……その、なんというか、そんな気がしたもので」

 天使からのお告げだと言ったところで信じてもらえるはずはない。どうやったら信用してもらえるかを考えるより先に行動に出てしまった事を後悔する。

「なんだね君は。失礼な。君の方こそ信用出来たもんじゃないがね」

 エドムントがセオドアの恰好を見まわし吐き捨てた。それはそうだと、セオドアも受け入れるしかない。「ミューシェには見えていない」、証拠はそれだけなのだから。

 セオドアに背を向けると、エドムントがさっさと奥へと歩いていく。今はその背を追うことなどセオドアには出来なかった。


 次の日の朝、部屋で朝食を食べながらミューシェに昨晩の事を話した。

「なにその態度! テオが嘘つくわけないのに。見たら分かるじゃない」

 むくれたミューシェが怒りを露わにする。

「仕方ないよ。俺はどうみても貧乏人の楽器隊にしか見えないよ。いきなりそんな話をしても信じられるはずないさ」

 納得がいかない顔をしつつ、ミューシェがパンを頬張る。もぐもぐと口の中にあるパンを喉に押し込んだ。

「僕のためにそんな辛い思いしなくていいのに」

 そう話すミューシェに少し気まずそうにセオドアが頬を搔いた。

「いや、もちろんミューシェの為が第一だよ。でもそうじゃなくって、なんていうか、もしエドムントさんが騙されているなら教えてあげないと。そう思ったんだよ」

 ミューシェが目をぱちくりさせると、その瞳を輝かせる。

「背中がうずうずしてきた」

 身を震わせるミューシェにセオドアが焦る。

「え、なに、どうして!? だめだよ、今掃除したばっかりだから」

「僕はテオのそういうところが、本当に大好きだよ」

 なんとか羽を抑え込むと、代わりにぱっと笑顔が開かれた。

「よし、今日は僕も仕事頑張ってこよう!」

 ミューシェが早々と食器を片付ける。「まだ早いでしょ?」と問いかけるセオドアだったが、ミューシェが出かける準備を始めた。

「テオは夕方の仕事までゆっくり休んでて!」

 びしっと指をさされるとそれ以上何も言えなくなる。言う通りに大人しくしていなければミューシェに怒られる。セオドアが眉をひそめ「分かったよ」とミューシェを送り出した。


 ミューシェが仕事の準備をし、出かけた先はパン屋ではなかった。まだ出勤までには時間がある。ミューシェが向かったのは公園を抜けた大通り。エリオットが靴磨きをしている場所だった。

 その場所に向かうと傍ではリアムが日雇いの新聞売りに精を出している。ミューシェに気付いたリアムが駆け寄って来る。エリオットの周りに二人が集まった。

「ねえ、君たちに頼みがあるんだ」

 エリオットがミューシェを見上げると、ミューシェがいつになく真剣な表情をしていた。あまり見たことのないその顔に、エリオットとリアムが顔を見合わせた。

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