2-1 水面に映る姿

 あの夜から、俺の生活は大きく様変わりしてしまった。


 俺は人喰い鬼なのだろう。あそこに封じられていたことと、俺が鬼だということを考えれば自然とそうなる。だが、俺自身は人を食ったことなどないと思うし、食いたいとも思わない。心光は「食事」をすると女の血を貪っていたが、俺は全くそんな気にはならなかった。


 ところが、しっかり腹は減っているのを感じる。俺は仕方なく、その家にあった食べ物を片っ端から食うことにした。野菜はそのまま食えたが、麦は食えたものではなくて放り出していると、いつの間にかそばにきた心光が麦を調理してくれた。


 たんまりと麦粥を作る合間にも、心光はこの家を漁って衣服を探し、俺に着替えろと言った。顔が汚れているから、水で洗うようにと言われ、水場まで案内される。


 木桶に掬い上げられた、月明かりの照らす水面へ映った姿を見て、俺は驚いた。


 真っ赤な髪をした男が映っている。なるほど、蘇芳という名前はこの髪から来たのかもしれない、と思う。瞳は月と同じほど金色に染まっているようにも見えた。額には僅かな二つの隆起が存在し、それが角だと言われたらまあそうかもしれない。


 体つきは心光に比べれば屈強なもので、長らく飯も食わず寝てばかりだったのに不思議だった。そして俺は何故かボロを着ていたし、体も服も血で汚れていたから、心光の言う通りに水で洗い流そうと思う。


 おずおずと手を差し入れた水の冷たさに、俺は少々感動した。それから「懐かしい」と嬉しい心地になり……首を傾げた。


 懐かしい、ということは、俺はこれを以前から知っていた、ということになる。そういえば、俺は家の構造も食べられる物も名前も理解していた。もしかしたら、忘れているだけなのかもしれない。


 だとしたら、どうして自分が封じられてしまった理由を覚えていないのだろう。俺は思い出そうと頭を巡らせてみたが、少しもわからなかった。諦めて、水を掬って顔や体を清めることにする。


 家に有った着物は少し小さいほどだったが、まあ悪くはない。「頭巾を巻けば、あなたの特徴も目立たないでしょう」とは心光の言。そして心光は彼自身も水を浴びようと、着ていたものをはらりとはだけた。


 真っ白で、滑らかな肌。まるで女のようなその細身の身体で、どうやって三人も殺めたのかわからないほどだ。その全てが見えそうになって、俺は何故だか慌てて顔を反らし、麦粥を煮込む鍋のほうへと向かった。


 心光は男だ。それも人食いの破戒僧。今の世の中がまるでわからない俺にだって、彼がおかしいと感じるし、それに男は女と共に生きることぐらい知っている。それなのに、どうしてだか心光を見ていると胸がドクドクと脈打ち、何か甘い香りに誘われるような心地がするのだった。


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