婚約者に蔑ろにされる令嬢は鏡が欲しい

綾南みか

第1話 鏡があれば


 私の家は貴族でも一番下っ端の男爵家だ。リンジー男爵令嬢エセルが私の名前。古い家柄で領地もあり、そこそこの男爵家であったが、お父様が投資に失敗して借金を抱えてからは没落しそうな貧乏男爵家となった。

 幸い私は貴族学校の三年になっていて、授業料は払ってあったので必死になって学校に通いながら、刺繍やお針子の内職をする毎日だ。


「エセル」

 声をかけて来たのは、見てくれだけは金髪碧眼のイケメン男で私の婚約者のレックス・ユーストン子爵令息。腕にぶら下げているのは近頃彼と仲の良い子爵令嬢のプリシラだ。


「お前もたまには夜会に出たらどうだ」

「申し訳ありません」

「レックス様。エセル様はドレスがないのですわ」

 プリシラがいかにも庇うようにして、私を辱める言葉を遠慮なくぶつける。

「ドレスも仕立てられない程貧乏なのか」


(婚約者の私に、夜会のドレスどころかプレゼントのひとつもしないお前がそれを言うか?)


 私は内心でレックスを罵ったが頭を下げているので向こうには伝わらない。ドレスも、と言うなら買ってくれればいいじゃあないか。ほったらかしで女連れで見せびらかして。我が男爵家が貧乏なのを知っているくせに。


 この国は十八歳で成人なので夜会に行けるし、結婚もできる。だが馬車もない、ドレスもない、借金を返す毎日の我が家では無理だ。昼食だってお金のかかる学食で食べる訳にもいかず、人気のないベンチでモソモソとひとりパンを齧っている。


「申し訳ございません」

「俺はこんな貧乏男爵家に婿に行かねばならんとは」

 レックスが溜め息を吐くとプリシラが「お可哀想なレックス様」と慰める。プリシラは三女なのでお嫁に行かなければならないが、レックスにくっ付いてどうするつもりだろう。

「目障りだエセル。何処かへ行け。二度と俺の前に現れるな」


 わざわざ私の居るところに来たくせにこの言い様。腕にぶら下げた胸の十分に育ったプリシラ様と、ここでラブラブするらしい。

 こんな男に婿に来て欲しくはないので、没落もいいかもしれないとまで考えてしまう。


 レックス・ユーストンが私の婚約者なのは私がリンジー男爵家の一人娘で、出来のあまり良くない彼が、ドーセット侯爵家に連なるユーストン子爵家の三男だからだ。侯爵家に押し付けられれば否応はない。

 彼は私のことを毛嫌いしているし、養子に入って男爵家を継いだら私なんかすぐお払い箱にされそうだ。


 家が没落するのは困るが、一生懸命建て直した家を乗っ取られるのなら、どっちもどっちだろう。ドーセット侯爵家も何も言って来ないし、援助する様子もない。多分侯爵家はそこまで考えて、どっちに転んでもいいように無駄金を使わずに放置を決め込んでいるのだろう。

 諦めて指定席のベンチから逃げ出すと、今度は学校の事務長に呼び止められる。


「エセル・リンジー。あなたはまだ寄付金を納めていませんね」

「先生、もう少しお待ちください」

「これが限度ですよ。今週末まで待ちます。これ以上は待てませんよ」

「はい、申し訳ありません」

「まったく、ブツブツ……」


 事務長はブツブツと文句を零しながら去る。毎回、これ以上待ちませんよと言う。払えないのが分かっているのに、大体寄付など任意ではなかろうか。


 貴族学校はお金が掛かる。寄付と募金は当たり前だという。持てる者は当たり前かもしれないが、貧乏になる前でもカツカツの我が男爵家は、今となっては銅貨の一枚もひねり出せない。どうしたもんか。どうしようもないが。


 事務長との話を聞いていたのか、さっそくクラスの私を苛めるグループが、私の悪口をこれ見よがしに喋る。私は憂さを晴らす格好の獲物なのだ。


「まあ、あの方寄付もできないそうよ。みっともないですわね」

「あんな身なりも弁えないような方が、この歴史ある名門の貴族学校にいらっしゃるなんて」

「見てあのバサバサでボサボサの髪、寝起きのような顔、恥ずかしいですわね」

「あんな方でも魔力がおありになるそうなの」

「何かの間違いではございませんこと」

「魔力検査の者に色目を使ったとか」

「んまぁ、あんなみっともない女に、よろめく殿方がいらっしゃるの!?」

「「「きゃはは」」」


 女は徒党を組み、狙いを付けた女に襲いかかる。話しかけ目交ぜをしてフンと鼻で嗤う。そして離れた所で悪口を言ってみんなで嘲笑う。


 この国では魔力を多く持つ者が高位貴族ぐらいで魔法が廃れて、魔力検査も五年前に既に廃止されている。魔法を教える教師は少なく非常にお金が掛かる。魔道具などは高価な外国製を輸入している。

 魔力が多くても、私のような貧乏男爵家では宝の持ち腐れだ。


 私は溜め息と共にそこから逃げ出そうとしたのだが、その時、ひとりの令嬢が言ったのだ。


「鏡を見たらいいのに!」

「まあ、あの貧乏な男爵家にそんなものがあると思う?」

「「「きゃはは」」」


 恥ずかしながら我が家には鏡がひとつしかない。その鏡は両親の部屋にあるのだ。金目なものは全部売り払った。

 使用人も通いの下働きがいるだけだ。


(そりゃあ鏡が見たい。鏡があればこのぼさぼさの髪も綺麗に梳かせるし、安物の口紅だけでもつけられる。ああ、鏡があれば──)

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