少年課、高坂充巡査部長
「こんちは〜!!高坂巡査部長いらっしゃいますか〜!!」
少年課の署員全てが昼食を終え、少しまったりしている時間。部屋中に響く聞き慣れた大声に俺は思わず机の下に潜り込む。
俺の様子を見ていた少年課のボス、高岡課長が近くにいた女性警官ふたりに目配せしているのに気づき、コソコソと机の這い出し逃走を図ろうとしていたところ、その目配せをされていた女性警官が、いきなり俺の左右に現れたかと思うと、俺の両脇をヒョイっと抱え上げる。
俺の身長は158cm、男性署員の中では一番小柄で、俺を抱えている両脇の女性警官はふたりとも170cmに近い身長。抱えられた俺は床に足が届かず、完全に宙ぶらりんの状態。
観念しておとなしくなった俺は、ふたりの女性警官に抱えられたまま、先ほど大声をあげたヤツの元まで連行される。
その奇妙な様子を、午後一番で引っ張ってこられ、敵愾心も顕に担当の警官に対して憮然とした態度をとり続けていた少年少女も、「なにごと?」とばかりにこちらに注目している。
やめてっ!こっちを見ないで!恥ずかしすぎて死にそうだ!
俺は部屋の入り口で待っているヤツのそばまで連れて行かれる。
「ご希望の者は、こちらでよろしいでしょうか?」
「はい!そちらの者で間違いありません」
「それではお受け取りを…」
「はっ!すみません、僕、今日はんこ持ってくるの忘れました」
その言葉を聞いた女性警官ふたりは顔を見合わせ、澄ました顔でこう告げる。
「それならサインで構いませんよ。それではこちらにサインをお願いします」
と言うと、俺の前髪を掻き上げておでこを丸出しにすると、はんこを忘れたマヌケなそいつに油性ペンを渡す。
えっ嘘だろう!
ペンを渡されたそいつは、なんの躊躇いもなく、俺のおでこにペンを走らせる。
「こいつ本当に書きやがった〜!!!!」
「「「「「「「「「ブッ!!!」」」」」」」」
シーン……。クッ、クックッ…………………。
俺の惨状を哀れと思ったのか、室内の全員が吹き出したと思ったら。今度は笑いを堪えようと、かわいそうな俺のために必死に頑張ってくれている。先ほどまで敵愾心をむき出しにしていた、少年少女まで…………。
右側で脇を抱えていた女性警官が、俺に顔を背け小刻みに肩を揺らしながら、小さな手鏡と洗顔用のウェットティッシュを差し出す。
差し出された、小さな手鏡で俺のおでこを映すと、そこには「三島 博」と妙に達筆な字で書かれていた………。
三島博…。こいつは俺が警察官に採用され、初めて着任した交番で、初めて担当した悪ガキだ。
なぜかコイツは俺に懐いて毎日のように俺を訪ねてくるようになる。そのうち、その日学校で出された宿題は交番でする、それが博の日課になっていた。しばらくそんな日々が続いていたある日、交番勤務からこの少年課に配属されることとなる。もう博とも会えなくなるな…とチョビッとだけセンチメンタルな気持ちになったが。博は中学生に進学すると、博の小学生時代によく一緒にいるところを見かけていた博の相棒、立花大吾と一緒に、少年課にいる俺を訪ねて再びちょくちょく顔を出すようになる。
少年課の中で三島博と、その相棒である立花大吾を知らない署員はいない。
こいつらコンビは、俺たち少年課を頼り、数多くの少年少女たちを非行の道から救い出してきた。
こいつらふたりは非行に走る少年少女たちをここに引っ張ってきては、俺たち署員に抱えている問題を全てぶちまけさせ、そして一緒に考え悩む。俺たちもそれに応えるべく全力を尽くす。ある時には自治体や教育委員会などの役所まで巻き込み、あらゆる手段を使って、連れてこられた少年少女たちを非行の道から救い出してきている。
少年課の中では、どちらかと言うと立花大吾の方が評価が高い。連れてきた少年少女と共に、時には半ベソかきながら、俺たちに救いを求める姿に心打たれている者が多いからだ。それに対しその間の三島博は終始すました態度。だがウチのボス(高岡課長)は少年課の誰よりも三島博を高く評価している。
俺はボスからこんな話を聞かされたことがある。
「あの夜、次の日が非番だった俺は、少し多めに飲もうと、近くのコンビニまでビールの買い足しに行っていたんだ。まぁついでだと、少し遠回りになるがパトロールを兼ねて公園を通ってコンビニまで行くことにしたんだが、その時物陰に潜むひとりの少年を見つける。驚かせて逃げ出さないように、俺は静かにできるだけ優しく声をかけたんだ…」
仕事が終わって疲れているだろうに、なんとも真面目な人だなぁと俺は感心する。
「そこにいたのは博だった。驚いた俺は「博どうした?そこで何やってる?」と聞くと、「ああ、ボスか…。びっくりさせないでくれよ」と言う。博の様子には特段悪びれた様子もなかったので、少し安心して博の横に座り込んで話を聞いたんだ…」
博のヤロウ、普段俺が課長のことを「ボス」と読んでいるのをマネやがったな…。少しだけ博のことが可愛くなる。
「博が言うには「大谷」という少年が中心となって、影に隠れて恐喝や万引きなどの悪さを重ねているから、その証拠をカメラに収めて、そのネタで彼らを脅して新聞配達をさせる。そして、その稼いだお金で今まで彼らに被害を被った人たちに代償させる。という計画だったよ。」
恐喝をネタに脅迫って、それってどうなの?と思っていると。それを察したボスが口を開く。
「まぁお前の言いたいことはわかる。こんな突飛な計画、黙って見過ごしてたことがバレたら、俺も懲戒処分は免れないだろうなぁとも思ったが、俺はその時このことを博に任せてみたくなったんだ………」
これだよ!全くこの人は…お人よしというか器がでかいというか……。だから俺はこの人についていくと決めたんだけど。
「それで俺は博に、1ヶ月だけ待ってやる、それでも懲りずに大谷たちが罪を続けるようであれば、俺たちは介入するからな。と伝えて……。そして博はまんまとうまくやりやがった……」
ボスの口調は悔しそうだが、それを口にしている時の表情はとっても晴れやかだった…
「俺はその後気になって、ちょくちょくこっそり大谷たちの様子を伺っていたが、どうみても悪さをしているようには見えない。ちょうどヤツらの中学校で少年非行防止の話し合いがあったんで、それとなく校長に大谷たちの様子を訪ねたんだ。そしたら校長もヤツらの変わりように驚いててな、新聞配達を頑張っていることは知っていたが、今では昔のヤツらなら絶対無理だった高校の進学を希望して、真面目に勉学に打ち込んでいるって嬉しそうに話していたよ…。それを聞いて「もう大谷たちは大丈夫だ!」と確信したんだ」
そう話してくれたボスの嬉しそうな顔を今でも俺は覚えている。
そんな少年課で評価の高い博。だが!俺は違う!
顔を合わせるたびに、俺をからかってくるヤツに対し、俺はもらった洗顔用のウエットティッシュでおでこを拭きながら、迷惑そうに尋ねる。
「博、いったい俺になんのようだ?」
「それは、その…。ちょっと深刻な相談があるんだ…」
いつもの博ならここで更に俺をからかってくるのだが、なんだか今日は様子がおかしい…。ふと博の背後で、博に隠れるように身を潜めている男子に気づく。
「ヒッ!!!!」
その男子の顔色は真っ白で、まるで死人のようだった………。
「大丈夫!大丈夫!こいつちゃんと生きてっから。」
慌てて博が、俺を落ち着かさせようと口を開く。
そう言われて、まじまじとその少年を見る。うん、ちゃんと自分の足で立っている…。その少年は、周りにいる、笑いを必死に堪えるという苦行を頑張っている他の者たちとは違い。何やら思い詰めた表情をしている……。
そうか…。博はこの少年のためにここに訪れたんだなと気づく。どうみてもヤンチャ小僧からいじめの対象に指名されそうな雰囲気だ。
俺はサッとボスの方を見る。
どうやらボスは苦行に耐え切ったようで、真剣な面持ちで、俺に向かってゆっくりと力強く頷いてくる。
「ここじゃなんだな。向こうの応接室で話を聞こう」
そう言っていたん廊下に出て、応接室までふたりを案内する。
カッ、カッ、カッ。
応接室までにくる途中、自動販売機で買った缶コーヒーを、ソファーに座るそれぞれの目の前に置くと、プシュッと缶コーヒーのプルタブを引っ張りながら俺は訪ねた。
「で、そっちの少年は?……」
所在なさげにおどおどしていた顔の白い少年は、弾かれたように立ち上がり。
「わ!わたくしは三島博くんと同じ高校へ通う、美波雄二と申します!」
顔の白い少年は、突然戦地に送り込まれた新兵さんのように自己紹介をしてくれる。
おっ意外に元気はあるじゃないか…。と思いつつ、元気に自己紹介してくれた白い美波雄二に、俺も名刺を差し出し自己紹介をする。お互いに挨拶をすませ、あらためてふたりに顔を向けて尋ねる。
「それで…、その深刻な相談となんだ?」
「……………」
博は黙ったまま、隣に座っている美波雄二の顔を見る。
それに答えるように美波雄二は博をまっすぐに見つめ返しながら力強くうなづく。
そのことを確認した博は覚悟を決めたという顔になり口を開く。
「実は俺たち、同時多発 危険薬物殺人事件に深く関わっていると思われる少年を知っているんだ……」
「っ!ゲホッ!ゲホッゲホッ、ゲホッ……なっ!なんだって!!」
俺の頭はソファーでふたりに対峙してから完全に仕事モードに移行している。一語一句聞き逃さない気構えで望んでいるから、絶対に聞き間違えるはずはない。
確かに博は『同時多発 危険薬物殺人事件』と口にした。
しかもその事件に関与していると思しき少年を知っているとも………。
俺はつい昨日まで、隣の県警から応援を要請されて、事件の被害者である「橋田美知、中学3年生」の身辺調査を受け持っていた。その少女が交友を持っていた何人もの人に、事件当時の彼女の様子や動向を訪ねてまわっていた。ほとんどの人は涙を浮かべながら一生懸命当時を思い出しては語ってくれたことが脳裏に蘇る。
元気で快活。少々言葉遣いは荒いけど、決して人を傷付けることがなかったその少女は多くの人から愛されていた……。
昨日までの捜査のことが頭の中を占領しそうになるが、俺は頬を両手でバチンと叩くと気持ちを切り替え、博に告げる。
「その話は俺ひとりで聞けるようなことじゃない。ボスや記録係も連れてくるが、構わないか?」
「ああ、何人連れてきても構わない」
その言葉を確認すると、俺は応接室から飛び出して行った。
応接室から場所を変え、今は小会議室に5人の姿があった。
博とその友人の美波雄二、少年課からはボスと書記を担当してくれる警官そして俺。話の進行は俺に委ねられ、ボスは準備は整ったと目で合図してくる。
「えー、言うまでのことでは無いと思いますが念の為、ここでの話はボスの指示があるまで、誰にも話さないでください。もちろん君たちふたりもな…。それからここでの話はこのマイクロレコーダーに全て録音させてもらいます。構わないですよね?」
そう言い、周りを見渡す…。
みんな黙って強くうなづく…。
「それでは…話すのは博でいいのかな?話を聞かせてくれるか?」
「ああ」
と言って博がホワイトボードの前に立つと、おもむろにカバンから、何やら紙の束を取り出していく。その動作を認めた美波少年はそっと立ち上がり、その紙の束を署員3名それぞれの目の前に配っていく。そして最後に俺の前にひとつのUSBメモリが置かれる。
「えーと、今配ったその書類は今回俺たちがここで話すことをまとめたものがひとつ、後で俺たちの話に矛盾や間違いがないか確かめるために使って欲しい。そして次の書類は俺たちの話の中で出てくる証拠の書類。そして最後の紙束は俺たちの話を信じてくれて、捜査に乗り出してくれた時に役立つと思う情報が書かれてある。それで、高坂のあんちゃんの目の前にあるUSBメモリのなかには証拠の動画を収めてある…。ここまでで質問はある?」
用意周到に用意された資料たちに、俺たち少年課の署員はただただ驚いてうなづくことしかできない。
彼らの行動に、これから彼らが話すことに、並々ならない覚悟や思いがあることを悟り、身が引き締まる思いがする。
博は質問がないことを確認すると。ゆっくりとした口調で話し出す。
博の話は、ある日、大吾と交わした会話から「東郷夏彦」という少年に疑念を抱いたことから始まり、単独で調査をしているうちに、ここにいる「東郷夏彦」の親友でもある美波雄二と接触。そして「橋田美知」と言う少女の存在が三島博と美波雄二の疑念を深めることとなり、その最中日本中を震撼させた「同時多発 危険薬物殺人事件」が勃発。その犠牲者のひとりが「橋田美知」であったことを知った美波雄二は真相を確かめるために「東郷夏彦」の身辺を調べるうちに、重大な証拠を発見し、俺のいる少年課へ相談に来た…。
その一連の流れを説明し終えると、博と美波雄二は会議室の机に額を押し付けるように頭を下げて、俺たちに懇願する。
「もしかしたら、俺たちが推測したことは間違いかもしれない。だけど俺たちはどうしても東郷夏彦が事件に関わっているとしか思えない。もしも事件に関わっているなら、夏彦をどうしても止めたい!どうか俺たちが提出した証拠を調べてもらえないだろうか!どうかどうかお願いします!」
そんなふたりの危機迫る言動に、俺たち少年課の3人は顔を見合わせ頷くと。代表してボスが口を開く。
「わかったよ博…お前たちのことを信じよう。これからのことは俺たちに任せておけ。どういう結果になるかはまだわからんが、お前たちの行動や思いが無駄にならないよう、今後のことは俺たちが尽力すると約束しよう!」
「「ありがとうございます!!!」」
そのふたりの告白を境に俺たち少年課は慌ただしく動き出す。
ボスは自ら奔走し上と掛け合い、博たちの証拠資料は「同時多発 危険薬物殺人事件」の捜査本部へ提出されることとなる。
捜査本部で調べたところ、証拠のレポートに書かれていた薬剤は、事件で使われた薬剤の成分と95パーセント以上の一致が認められ、「東郷夏彦」は最重要参考人と認められ、博たちが提出した資料の中の「東郷夏彦の捜査にあたっての注意事項」を参考に水面下で静かに、そして着実に「東郷夏彦」の身辺は調査されて行った。
その資料「東郷夏彦の捜査にあたっての注意事項」には東郷夏彦はかなり用心深い性格で、頭脳もかなり明晰であることが書かれており、自身が持つ莫大な資産を使って、彼が海外にいて日本国内がいない時でも、自宅や製薬会社、学校、父親の身辺、兄の身辺など、彼と関連の深いすべての場所を、彼が金で雇った者たちが見張っている可能性などなど、多岐にわたって示唆していた。
その資料は重要視され、捜査員たちが捜査をする際は工事現場の作業者や郵便配達員などに変装して行われるほどであった。
あれほど難航していた事件捜査は、博たちの資料により着実に成果をあげていき、ついに逮捕状の発行までこぎつけることとなる。
捜査本部は大企業のCEOでもある東郷夏彦の父親に彼を一時帰国させるよう要請する。
事態を重く見た彼の父は了承し、「自身の体調が思わしくないので、今後の会社経営について相談があるので一度帰国してくれないか」と東郷夏彦に伝え、それを承知した彼は一時帰国することとなった。
逮捕劇の舞台となる空港は、逃走を恐れ厳戒体制が広範囲に及び敷かれることとなり、空港内外で総勢約千人の捜査官が東郷夏彦の帰国を待ち構えていたが、まんまと逃走を許してしまう。
驚いたことに、東郷夏彦は空港内に金で雇った者たちを配置させていた。
あるものは東郷夏彦を追う捜査官の目の前でわざと転倒したり、ある場所では雇った女性数名に突然同時に「キャー」と叫ばせ、周囲をパニック状態をさせたりと、あらゆる妨害工作をさせている。そして極め付けは、帰国当時の東郷夏彦と全く同じ格好をさせた者を数十名空港内に潜伏させていたのだ。
妨害工作によりまんまと逃げおうせた東郷夏彦であったが、彼は逃亡後、再び海外へと脱出するために用意していた犯罪集団を頼る。だがその犯罪集団はすでに警察の手に落ちていた。
その後、国内の資産を凍結されていた東郷夏彦は飲まず食わずの逃走を続けたが、ついに追い詰められ、捜査官の手から逃れるために飛び出した車道で走行中の大型トラックに撥ねられた!……と思われたが、そのトラックに接触する瞬間、突然現れた光と共に姿を消すこととなる。
そんなバカなと一笑に付されるような話だが、その瞬間を目撃した捜査官数名と偶然そこに居合わせた通行人数名、誰もが口を揃えてそう証言した。
それ以来、東郷夏彦の足取りはプッツリと途絶える。
未成年では異例の公開捜査に踏み切り、全国にある防犯カメラの映像をしらみつぶしに調べてまわったが、それ以降、東郷夏彦の姿を見たものは誰もいない………。
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