第30話 岩巨人

 どうやら、このビルのように大きな岩人形、いや岩巨人が先ほど俺たちに向かって拳を振り下ろしてきたらしい。その際の振動と風圧に負けてしまい倒されてしまったようだった。とんでもないものに出くわしてしまったな……。


 先ほどは拳を縦に振り下ろされたから助かったものの、もし横薙ぎに腕を振られていたら、その風圧のせいで三人とも谷底へと落とされるところだった。本当に偶然助かったという感じだ。自分たちの置かれた状況を理解した師匠たちが騒ぎ出す。


「な、なんじゃこれは!?」


「これは岩人形です! それも、とてつもなく大きな岩人形です!」


「そ、それは分かるが、何とかできそうか!?」


「分かりませぬ! じゃが、なんとかせねばなるまい!」


「お師匠様、殿下! あそこに祠があります!」


 クリス先輩の指差す方向、つまり立ちはだかる岩巨人の股を潜ったその先のさらに奥に、確かに小さな社があった。恐らくはあそこが姉弟子殿が祈りを捧げるはずの祠だろう。それは理解したが、その祠まで直線距離でも一キロメートルはあるぞ。


「このままでは何れ谷底に突き落とされてしまいます。そうなるよりも、この部屋の奥に逃げ込んだほうが助かる確率は高いかと!」


 なるほど、確かにこの場にいつまでも屯しているよりは、部屋の奥に入ったほうが安全かもしれない。気を付けるべきものが岩巨人だけになるしな。それに、上手く行けば姉弟子殿の儀式が無事に執り行えるかもしれないし、この場に立ち尽くしているよりは遥かにマシだろう。うん、クリス先輩の提案に賛成だ。


『師匠、中に入ろう!』


「うむ、仕方がない。殿下、中に入りましょうぞ!」


「分かったのじゃ!」


「私が先頭を行きます!」


「目指すは最奥の祠じゃ!」


 姉弟子殿の言葉に合わせて、クリス先輩を先頭に師匠と姉弟子殿が続いて部屋の中へと駆けて行く。その瞬間、先ほどまで大口を開いていた部屋の出入り口は、瞬く間に大扉によって音もなく再び閉ざされた。三人はそれに気づかず、ただただ祠を目指して走る。俺だけが後ろの様子に気づいていた。


 師匠が先ほど皆に掛けた身体強化の魔法の効果が途切れることがなかったおかげで、一分も経たないうちに部屋の最奥へと辿り着いた。岩巨人は俺たちの魔素感知ができないのか、それとも視覚が追い付かなかったのかは分からないが、未だに部屋の入り口の付近をウロウロとしている。ただ、岩巨人が歩くたびに地面の揺れが酷かった。


 それはつまり、このダンジョンで起こった異変のひとつ、謎の地揺れについては、この岩巨人が原因とみて間違いないと判断するのに十分だった。時折、うめき声も聞こえてくるので、そちらの原因もこの岩巨人で間違いないだろう。つまり、今回姉弟子殿の洗礼の儀を執り行うにあたって、最大の障害はこの岩巨人に他ならなかった。


『そう言えば、どうすれば大扉は開くんだ!?』


「おぉ、確かにそのことを確認しておらなかった! 殿下、再び大扉を開くにはどうすればよいのですか!?」


「……うむ、洗礼の儀を執り行う必要がある。其方ら、私が祈りを捧げている間、祠を守ることはできるか?」


「ちなみに、殿下のお祈りに掛かる時間はどれくらいですか?」


「……そうじゃの、一時間といったところかの」


「なるほど……」


「ふむ、何とか持ちこたえねばならぬの……」


「其方らだけが頼りじゃ、どうか持ちこたえてくれ!」


『やるしかなさそうだな……』


「任されました。殿下はどうか洗礼の儀に集中してくだされ。ここは儂らで何とかしてみせます故……!」


「私も微力ながらお手伝い致します!」


「うむ、あとは任せた……!」


 そう言って、姉弟子殿が祠へと向かうのを見送る。師匠とクリス先輩はそれを最後まで見届けず、すぐに視線を岩巨人へと移した。


『それで、どういう作戦で行くんだ!?』


「そうじゃのう……。クリスよ、岩人形に有効な魔法は風魔法じゃが、あの大きさとなると、風刃では刃が立たないじゃろうな」


「風魔法だけではありません。あれだけの巨体です。土魔法で巨岩を作り出して押し潰すというのも難しいでしょう」


『まさか、打つ手なし、なんてことはないよな!?』


「……まぁ、これも魔法の訓練と思っていろいろと試してみようではないか! まずはクリスに任せよう」


『え、マジでないのかよ!?』


「はぁ、仕方がありませんね。私から行きます。その間に何かお師匠様も対策を考えておいてください」


 クリス先輩が岩巨人に向かって駆け始めると同時に魔力を杖先に集め始めたようで、赤い色の宝石が輝き始める。どうやら火魔法で岩巨人に攻撃を仕掛けるようだ。でも、先ほどの師匠の話だと岩人形を倒すには風魔法や土魔法以外では力業に頼るしかないはず。クリス先輩は以前どの魔法の習熟度もCランク止まりと言っていたが、はたして力業でなんとかなるものなのか!?


「燃え盛る火炎よ、我が命令に従い、敵を焼き尽くせ! 烈火降臨(ブレイズアライヴァル)!」


 クリス先輩が詠唱を終えた途端に突如として巨大な炎の渦が現れたかと思うと、瞬く間に岩巨人を包み込むほどの炎の柱が立ち上った。確かにこれならばその熱量によって岩を溶かせるかもしれない。それから三分、いや五分は経っただろうか。未だに「ゴォォォオオオッ!」という恐ろしい音とともに岩巨人を襲う炎舞が続いているが、一向に岩巨人にダメージを与えられている気配がしない。


 それどころか、先ほどから魔法によって、クリス先輩はすっかり岩巨人から敵と認識されており、左右の拳に蹴りに、踏みつけと狙い撃ちされている。クリス先輩の魔法により炎をまとった状態なので、かすりでもしたら、ただの物理攻撃よりも被害は甚大なものになる。ここはゲームの世界ではないので、敵の掛かっている状態異常のせいで味方に被害が出ることも十分にあり得るのだ。


 そんなことを考えている間にクリス先輩が唱えた烈火降臨の効果時間が過ぎたようで、炎の勢いが明らかに弱まりつつある。流石に表面的にではあるが、熱に晒されていたこともあってか、岩巨人の体表は熱せられた鉄のように真っ赤に染まっていた。


 だが、ダメージという点においてはまったくの効果を与えられていないようだったので、むしろ、ただの岩巨人だったものが灼熱の岩巨人になったように感じられた。こっちのほうが物理攻撃に灼熱による状態異常が加わったせいで、厄介な存在になったんじゃないのと感じるところなのだが、その様子を見たクリス先輩が薄く笑っていた。


 何だかクリス先輩が怖い。もしかして、この状況を見た上で「計画通り!」などとほくそ笑むのだろうか。そんなのクリス先輩に似合わないからしてほしくない! だが、俺の期待を裏切り、クリス先輩は嫌らしい表情を浮かべながら、次なる魔法を詠唱する。


「氷の王よ、我に力を貸し、この者を封じよ! 氷鎖封身(アイスバインド)!」


 そう詠唱して、先ほどまで炎に包まれていた岩巨人に氷の鎖を巻きつけようとしたのだ。あぁ、この魔法は先日の師匠とイネスとの模擬試合で師匠がトドメを刺したときの魔法だな。敵を氷漬けにする恐ろしい魔法だ。これを岩巨人に使うということは……!? なるほど、そういうことか!


 その瞬間、盛大な「ジュウッ!」という水分が蒸発する音とともに霧のような水蒸気が発生し、視界が俄に悪くなった。先ほどまで灼熱により温められていた岩巨人はその全身が急激に冷やされていく。


 そうなると、先ほどまで炎の渦により熱せられて膨張していた岩が、その熱を奪われたせいで一気に縮こまる。するとどうなるか? そう、岩巨人の体表を覆っていた岩が劣化するのだ。ピキピキパキパキと大きな音を立てながらヒビが入る様子を見ていたら、疲れた様子のクリス先輩がこちらまで退避してきた。


「はぁはぁ、これが敵の弱点となる属性を持たない魔法師の戦い方です……!」


「うむ、よくやった!」


『クリス先輩の戦い方、勉強させて頂きました!』


「ユーマも勉強になったと言っておるぞ!」


「それなら良かったです。ですが、未だに敵は健在です」


「うむ。どうやら、そう簡単に倒せるものではないらしいのう」


『そうなると、いつまでもここに留まっているわけにはいかないな。姉弟子殿に危険が及ぶかもしれない』


「ということは、祠からは離れて戦うしかないのう」


「今は大扉も閉ざされたことですし、谷底に落とされる危険がなくなったと思えば、思う存分戦えます」


「クリスの言う通り、前向きに考えるしかないのう……」


『それで、クリス先輩のおかげで岩巨人にヒビは入ったけど、どうやって倒せばいいんだ? やっぱり力業のゴリ押しで行くのか!?』


「うむ、それしかない。ひとつだけ方法がある。じゃが、殿下のおられる祠にも影響が出るやもしれぬ。それに、詠唱だけでなく魔力を集中させる時間が必要じゃ。クリス、もう一度頼めるか?」


「分かりました、時間を稼ぎましょう。ですが、今の私ではもって二分が限界ですよ?」


「そこを何とか三分頼む……!」


「……はぁ、分かりました。三分ですね?」


「うむ、頼んだぞ!」


 師匠がそう話すと、「仕方がありませんね。無事に帰ったら、一週間は夕食に燻製肉(ベーコン)を一切れ付けてもらいますから!」と言って、岩巨人の気を師匠から逸らすためにクリス先輩は再び岩巨人のもとへと駆けていった。クリス先輩、男前すぎる。というか、もっと贅沢なお願いをしてもいいのにな。ベーコン一切れで働いてくれるなんて、気前良すぎるだろう。


『それで、師匠はどうやって倒すつもりなんだ?』


「殲滅級魔法を使う。ユーマも協力してくれ」


『せ、殲滅級魔法だと!? それは一体どんな魔法なんだ!?』


「うむ。殲滅級魔法とはその名の通り、その魔法一撃ですべての敵を殲滅できるほどの威力を秘めた大魔法のことを指す。主には強力な敵を倒す場合や、広範囲に散らばった敵を倒す場合に用いられることが多い。じゃが、いかんせん消費する魔素の量が多くてな……」


『なるほど、その魔素を俺が肩代わりすればいいんだな?』


「もちろん、それもある。じゃが、もうひとつ頼まれて欲しいことがあるのじゃ」


『詳しい話を聞かせてくれ!』


 師匠から詳しい話を聞いて驚いた。なるほど、そういうことだったのか。確かに部屋に入ってから違和感を感じていたが、師匠の仮説を聞いて、自分で調べてみて納得できた。しかし、そうなると師匠の危惧していることも現実味を帯びてくる。姉弟子殿を危険に晒すわけには行かないし、俺も詠唱の応用を試してみたい。俺は師匠からの頼まれ事を引き受けることにした。


「どうじゃ、頼まれてくれるかの?」


『当たり前だろう。その代わり、詠唱については教えてくれよな?』


「もちろん、詠唱も教えよう」


『それじゃあ、早速始めよう。いつまでもクリス先輩に負担を掛けるわけには行かないからな!』


 師匠が短く「うむ」と答えて、俺にこれから唱える魔法の詠唱を教えると、すぐに魔力を杖の先に集めるように集中し始める。俺の中にある膨大な魔素が急速に魔力に変換されて、それが師匠に伝わり、杖の先へと誘導される。その様子は、まるで何かのオーラが師匠を覆うかのようだ。


 その間に、魔力が一割から二割ほど増幅したように感じた。恐らく、これが杖による魔力の増幅効果なのだろう。しかし、こんな僅かな魔力の増幅効果を得るために、これほどの立派な杖が必要になるなんて……。いや、元の魔力量が少ないと効果は小さいかも知れないが、俺の魔力を一割から二割も増幅できるのだとしたら、十分にすごい道具なのかもしれない。


 そして、その間クリス先輩が引き続き火魔法や水魔法、それに土魔法を巧みに放って岩巨人の気を師匠から逸らしている。既に二分近く耐えているが、まだまだ余裕はありそうだ。正直に言って、クリス先輩にここまで戦闘ができるとは思っていなかった。Cランクの習熟度と言っていたが、魔法を操るセンスがとんでもなく秀でているのだと思われる。流石は師匠の最後の弟子というだけのことはある。


 それを知っていて師匠はクリス先輩に三分の時間を稼げと指示したのだろう。なんかいいな、そういう実力を把握しあってお互いに背後を任せられる相手がいるというのは。俺は前世でそこまで信頼できる上司も部下も同僚もいなかったから、二人の関係が羨ましく思えた。


 おっと、そんな感傷に浸ってる暇はないぞ。今も必死にクリス先輩が時間を稼いでくれているし、師匠は魔力を杖の先に集中させることに必死だ。俺は俺でやることがある。そう、魔法の詠唱代行だ。俺も必死になって詠唱を心の中で復唱し続けた。そうしている間に、師匠の準備が整ったのだった。


「ユーマ、やるぞ! そっちの準備はよいか!?」


『任せろ! いつでもいいぞ!』


「雷の神々よ、我が叫びに応え、裁きの雷の力を貸し与えよ。我が前に立ちはだかるすべての敵を消し去れ! 雷神轟天破(ライトニングゴッドブレイク)!」


 師匠による殲滅級魔法が岩巨人に向かって放たれた。その瞬間眩いばかりの雷光が巨大な白い柱となって、轟音とともに岩巨人へと降り注いだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る