第35話 焦りと失敗Ⅲ

文句を言いに来るのが彼女だけで終わるといいが。しかし、俺の願いもむなしく、翌日。


「ねえ、私達の部がたったの二千円ってどういうこと!?」


 今にも殴りかかりそうな形相で怒鳴り込んできたのは、ダンス部部長の吉野先輩だった。


 制服を着崩した長身の金髪ギャルだ。由姫との身長の差は三十センチ近くある。


「ダンスにお金がいるんですか?」


「照明を借りるつもりだったの! 照明があるのと無いのとで、見栄えが全然違うんだから!」


 バンバンと机を叩きながら、彼女は訴える。

 たしかダンス部は部員は全部で五名だけ。大会なども出ないサークルのようなものだ。文化部の中でもかなり小さい。


「演劇部には五万円も出したって話じゃない。なんでそんなに差があるのよ!」


「稼働時間の差です。演劇部は四十分の演劇を二回やります。対して、ダンス部は五分のダンスを一回だけです」


「それにしても差がありすぎでしょ!」


「演劇部は去年、全国大会まで出ている実績があります。それも考慮しました」


「な、なによ。私達は実績が無いから、この金額っていうの!? 何様のつもりよアンタ!」


 吉野先輩が由姫の胸倉を掴んだ。


「若葉祭を良くするためです。なにとぞご協力を」


 しかし、由姫は怯まない。感情を表に出さず、淡々と答える。それが逆に、彼女の逆鱗を逆撫でしていた。


「そう。どうしても、こっちの要求を呑むつもりは無いってわけね」


 吉野先輩はため息を吐くと、急に冷めたような声で


「あーあ。優馬会長だったら、ちゃんと話を聞いてくれたのになぁ。兄妹なのに、なんでこんなに違うのかな」


 と言った。


「っ…………」


 今までずっと冷静に対応をしていた由姫の顔に、初めて怒りの色が滲んだ。


「お? 怒った? 機械みたいだと思ってたけど、お兄ちゃんと比べられるのは嫌なんだ?」


「別にそんなんじゃ……」


「そうよねー。あんなに完璧な人そうそういないし、コンプレックス抱えちゃうよね」

「っ! 何も知らないくせに……」


 由姫の拳に力が入る。

 まずい。さすがにこのままだと喧嘩になる。


「よ、吉野先輩!」


 俺は仲裁に入るべく、間に割り込んだ。


「俺に案があるんですけど」


「案?」


「演劇部も舞台をする際、照明を使いますよね。それを借りることは出来ませんか?」


「演劇部の?」


「はい。演劇部とは時間も被っていませんし。演劇に照明道具は命みたいなものなので。別途レンタルするよりも良いものが借りられるんじゃないですか?」


 吉野先輩は少し考えこむと


「たしかに。そっちのほうがいいかも……」


 と頷いてくれた。


「演劇部に照明道具の貸し出しのお願いは、俺達のほうでやっておきますから。他に必要なものはありますか?」


「いや、とりあえず大丈夫……だと思う」


 よし。なんとか納得して帰って貰えた。大学時代のバイトでのクレーム対応を思い出しながら、帰っていく吉野先輩の背中を見送った。


 ドサッと音がし、俺は振り返る。


 由姫が椅子に座りこんだ音だった。


「全然駄目ね、私……。他の部から借りるっていう単純なアイデアも出なくなってる……」


 由姫は疲れた表情で、額を押さえた。


「有栖川。昨日、寝たか?」


「三時間くらい……」


 由姫の目の下にはうっすらとクマが出来ていた。


「体壊すぞ。若葉祭までまだ一週間以上あるんだ。このままだと持たないぞ」


「そうね。ちょっと顔を洗ってくるわ……」


 彼女はそう言って、ふらふらとした足取りで廊下へと出て行った。


「有栖川……」


 この時、俺はある違和感を感じた。


 いつもなら、自分の不甲斐なさを悔しがる彼女が、全然怒りを見せなかったからである。


 疲れているからかな? と思った俺だったが、その翌日――


 由姫は初めて学校を休んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る