第3話 中学生の嫁が可愛すぎる

「なんで私の名前、知ってるの? どこかで会ったことある?」


 彼女は怪訝そうな表情で首を傾げた。

 やっぱり由姫だ。中学生の由姫だ!

 じわりと涙が込み上げてきた。若くなったせいで、涙腺まで緩くなったのかもしれない。


「…………」


 俺が涙を堪えていると、彼女は俺の近くへと歩いてきて、橋の下を覗き込んだ。


「自殺ならやめておきなさい。この高さから落ちても多分死なないわよ。足を骨折するだけじゃないかしら」


「は? じ、自殺!?」


 どうやら、自殺志願者と勘違いされているようだ。

 いや、無理もないか。時期は真冬。真下には増水した川。その橋の欄干の上に立っていたのだ。傍から見れば、ただの自殺志願者に他ならない。


「私と同じくらいの歳だし、受験疲れ? それともイジメでも受けた?」


「いや、そういうわけじゃ……」


「ふぅん。まぁ、どうでもいいけど。私、もうじき受験なの。だから、縁起でもないもの見せないでくれる」


 縁起でもないもの……受験生……あぁ、落ちるってことか。


 手の甲を掻きながら、面倒くさそうに彼女はため息を吐いた。


 サバサバした態度だが、内心では心配してくれているようだ。

 彼女は不安な時、手の甲を掻く癖があるからだ。どうやら、その癖は子供の頃かららしい。


「もう飛び降りる気はない?」


「あ、あぁ」


「そう。それじゃ、早く帰りなさい」


 彼女は安堵したのかほっと息を吐き出すと、駅の方へ歩き始めた。


「ま、待ってくれ」


「? なに?」


 気が付けば俺は、去ろうとする彼女を引き留めていた。


 でも、言葉が出ない。話したいことは幾つもあるのに。


 結婚してから数年、毎日話していたはずなのに。


 絞り出すように出てきた言葉は、まるでナンパ慣れしてない中学生のようなものだった。


「……こ、高校、どこ受けるんだ?」


「? 七芒学園だけど。今日は学校見学の帰りだったの」


 彼女の口から出たのは、未来で由姫から聞いた通りの、関東屈指の名門校だった。


 これから彼女はそこに入学し、首席で卒業する。


「もういい? それじゃ」


 去っていく彼女を眺めながら、俺はしばらく呆然としていた。

 彼女に会えたことに驚いたから。それだけじゃない。


「中学生の由姫……可愛かったな」


 大人の由姫は何度も見てきたが、中学生の彼女にはまた別の魅力があった。

 美人ではなく、可愛いという言葉がしっくりくる。


「もう一度会いたいな……」


 無意識に俺はそう呟いていた。



「ごちそうさま」


 家に帰り、夕食を食べた俺は部屋に戻ると、学校の鞄から一枚の紙を取り出した。


 進路希望調査票。


 俺が卒業した高校は、美柳町高校。五駅ほど離れたところにある、そこそこの進学校だ。

 彼女は出来なかったが、男友達連中と、まぁまぁ楽しい学生生活を過ごすことが出来た。


 空白の第一志望の欄。ここに何を書き込むべきだろうか。


「……………………」


 分岐点だ。

 ここで美柳町高校と書かなければ、間違いなく前の人生とは違う道を歩むことになるだろう。

 恐怖心が無いわけじゃない。

 前の人生のほうが良かったと後悔することになるかもしれない。


 だけど――


 俺はぎゅっとボールペンを強く握った。


「もしも過去に戻るようなことがあったらさ。何十回でも何百回でも私に告白して。それで、私に青春を教えてね」


 未来の由姫の言葉が頭に残っている。

 もしかしたら、このタイムリープは、彼女の願いを叶えるためのものじゃないだろうか。

 なぜ、中学三年生の冬に戻ったのか。それも丁度、進路を決める日に。

 その理由はきっと――


「やってやろうじゃねぇか」


 気が付けば恐怖心は消えていた。

 俺の心にあったのは、一つ。もう一度、彼女に会いたいという願いだけだった。


 俺は進路希望調査票に書き殴るように高校名を記入した。


 鈴原正修。進学希望。

 第一志望、七芒学園。

 志望理由、嫁がいるから。

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