第25話

「ごめん、俺が悪かった。二度と裏切るような事はしないから、もう一度チャンスをくれ」


そう言って、政志は沙羅の肩へ手を伸ばした。


「イヤッ、他の女を抱いた手で、私に触らないで!」


悲痛な叫び声に、政志の伸ばした手が反射的に止まる。その手の横を糸が切れた人形のようにすり抜け、沙羅は膝から崩れ落ちた。

細い肩を震わせながら、声を押し殺すように泣く沙羅。いつも、元気に家事を切り盛りしている姿と違い、今更ながら自分の犯した事の重大さを政志は痛感した。


「沙羅……」


 強い拒絶の後で、政志は泣き続ける沙羅を見つめることしか出来ないでいた。


 その時、不意にリビングの扉が開く。


「大きな声が聞えたけど、どうしたの?」


 眠っているはずの美幸の声に、沙羅は肩をビクッと跳ねさせた。

 娘の美幸には、夫婦喧嘩など見せられないと、沙羅は慌てて涙を拭い、立ち上がろうとする。

 その沙羅を隠すように政志が一歩足を踏み出した。


「美幸、ごめん、起こしてしまったかな? お父さんの帰りが遅くてお母さんを悲しませてしまったんだ。ちゃんと謝るから、美幸は心配しないで平気だよ」


「そうだよ。お父さんってば、いくらお仕事でも毎日帰ってくるの遅すぎだよ。話したい事があっても話せなくて、わたしが不満を言ったら、お母さんがお父さんのかわりに謝ってくれたんだからね」


「ん、ごめんな。これからは早く帰ってくるように気を付ける」


「ホント、気を付けてよね。お父さんが悪いんだから、お母さんにちゃんと謝って」


「許してもらえるまで、何度でも謝るよ」


「うん、お父さん頑張ってね。じゃ、おやすみなさい」


「おやすみ、美幸」


 美幸は小さく手を振って、ドアがパタンと閉まった。


 

パタパタと足音が遠ざかり、沙羅は大きく息をつく。

子供にとって、父親と母親の不仲な様子は見たくなんてはずだ。

ましてや、中学受験を控えたこの時期、夫婦の事で娘の心を煩わせるような事はしたくなかった。

 沙羅は、うつむいたまま小さな声でつぶやいた。


「また、明日話しをしましょう。私は、和室で寝るから……」


「沙羅……」


 同じ空間、手を伸ばせば届く距離に居る。それなのに、ふたりの間には、見えない高い壁が立ちはだかっていた。

 いまさら、自分の行いを悔やんでも時間は戻せない。政志の脳裏には”後悔”の文字が浮かぶ。

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