最終話 あなたがいい


 ローディルダム公ウィリオンは、死んだ。


 この場の噂話の、もっとも多勢を占めた話題はそれだった。

 殺されたのだ、という者がある。

 もとよりの病を悪化させ身罷ったとする者もいる。

 いや、生きている、国外に逃亡した、という声も聞こえる。


 王宮正殿、大議場。

 今日は定例の王前会議だ。全国から諸侯が集っている。

 開始を待つ諸侯の間でひそひそと交わされる会話は、すなわち貴族なり王に連なるものの言葉ではあるが、その興味の置きどころは庶民とそう変わるものではない。


 声を交わす彼らがちらちらと目をやるのは、空席だ。

 王から見て左手、その最上位の席。そこはローディルダム公爵家の席であり、いま、誰も座ってはいない。


 二か月前の公爵領での大火、ほぼ同時の第二王子カインの大怪我。互いに関連はないとされたが、ちょうどその頃からローディルダム公ウィリオンは公に姿を現していない。公務すら放棄しているという話もある。

 何があったのかは誰にもわかっていない。が、何かがあり、そのためにローディルダム公は命を落とした、とする声が多勢を占めた。


 そうした言葉を聞きながら、ふん、と鼻を鳴らしているのはズーシアス侯セドナだ。香油をふんだんに使って撫でつけた金髪、鳶色の儀礼服。突き出た腹が卓に当たり苦しそうに見える。

 王の右手に座る彼と王の間には、第二王子カインの姿もある。なにやら爪が気になるようだ。議場に入り、着席してからずっと下を見て指を弄っている。

 王の左手は、第一王子アルノルド。どこか悲しげな表情。


 「……みな、揃ったようだな。始めようか」


 国王ファールハイム三世が声を発した。全員が口をつぐみ、姿勢を正す。左右を鷹揚に見渡して王は頷いた。

 そうしておもむろに左手の扉を見遣る。


 「今日はひとり、皆の他に招いている。常にないことだが了承してほしい。大事なことを決めねばならぬのでな」


 扉が開く。

 ひとりの女が姿を見せた。

 

 黒の装束。

 礼服ではあるが、簡素だ。飾りも付けず、髪は小さくまとめて上げている。

 誰の目にもそれは、喪に服する妻の装いと見えた。

 俯いたまま扉をくぐり、小さく一礼した。震えているように見える。


 「あちらにお座りなさい、ニアナ殿」


 王は議場の隅の席を示し、女、ニアナに声をかけた。

 ニアナは頷き、静やかに歩いた。ちょうどズーシアス侯の背を通る。彼はニアナが現れたときにわずかに目を見開いたが、すぐに口角を持ち上げ、彼女を横目に追っている。

 ニアナが腰を下ろす。歩いている間も、席についてからも、ずっと俯いたままだ。が、わずかに上げた顔を一部の列席者が目撃している。

 彼女は、泣いていた。


 「では、改めて。まず、最初の議題だが……」

 「ひとつ、よろしいですか」


 王の発言を、ズーシアス侯が遮った。不敬である。が、誰ひとり異を唱える者はいない。王もわずかに眉を上げただけで、小さく頷いた。


 「諸々の議題に先立ちまして、改めてのお詫びを。当家でお預かり申し上げている第二王子、カイン殿下のお怪我についてです。皆さまご承知のとおり、ふた月前、夜分に外出された折に悪漢どもにかどわかされました。幸い、駆け付けていただいた王宮の衛士の皆さまにお救いいただきましたが、ひとつ誤れば大変な事態となっておりました。これはまったく、当家の不徳の致すところ。深く、お詫びします」

 

 そういい、深々と頭を下げてみせた。しばらくは動かない。列席者は互いに目を見合わせたが、責める者などいない。


 「……ただ、ひとつ。回復された殿下から奇妙な話を伺いました。囚われておいでになったその場に、他でもない、そちらにお座りのニアナ殿がいらっしゃったと」


 ざわり、と議場が騒めいた。全員の視線がニアナに向けられる。さらに深く俯くニアナ。その手は膝を掴み、裾を撓めている。


 「どういう事情かはあえてお尋ねいたしません。が、不逞の輩と繋がりがあったと疑いをかけられても致し方ない。そうではありませんか、皆さま」


 誰も返答はしない。ニアナ自身も反駁しない。ズーシアス候は気にする様子もなく言葉を続けた。頬がやや紅潮している。


 「折しも、ちょうど事件の頃に、わたくしはローディルダム公よりご相談を受けておりました。妻、すなわちニアナ殿の振る舞いがあまりに奇矯であると。そのことで公は大変に思い悩まれ、ついにこうした書面をわたくしにお預けなされたのです」


 ズーシアス候は背後の従者に目配せをし、手渡されたものを頭上に掲げた。


 「公の誓紙です。読み上げましょう。ひとつ、ローディルダム公は妻ニアナをただちに離縁し、二度と婚姻を申し込まない。ふたつ、公爵家として王権の継承には今後、一切関与しない」


 ニアナがぱっと顔を上げる。が、すぐにまた俯いた。その様子を満足げに見遣って、ズーシアス候は声を張った。王を見る。


 「陛下。これは、公の意思です。あまりのことにお心を壊され、公爵家としての務めを果たすことが難しいと考えられたのです。奇しくも明日は、公の二十五歳のお誕生日。その日までに婚姻していなければ家督の継承はなりません。加えていま、公ご本人が行方知れず。いかがでしょうか。ローディルダム公爵家を廃し、領民の安寧のため、王家をお支えするため、当家を諸侯筆頭とし、新たなる公爵家としてお認めいただきたい。そして……」


 左に座る第二王子を見遣る。


 「そのような問題を抱える旧公爵家が支えた、第一王子。その深い関係のなかにいくつか疑念も見えているやに聞いております。いかがでしょうか。この際はっきりと、ご後継は第二王子、カイン殿下に。そうご明言いただけませぬか」


 静まり返る議場。

 余りといえば余りの不敬。が、異論を唱えることができるものはいない。

 静寂は十を数えるほどのあいだ続いた。

 と、王がわずかに身動きした後、小さく息を吐く。

 

 「……ズーシアス候。先日、候がわたしを訪れてその書面を示した折に言ったとおりだ。その書面は真正であり、有効である。すなわち、ローディルダム公はその妻、ニアナ殿を離縁している。そして、公爵家として我が王権の継承について関与をせぬと誓った。そのことを改めて宣言する」


 ズーシアス候とニアナ、いずれの肩も大きく揺れた。

 ひとりは喜びにより、ひとりは、別の感情により。


 勝った。

 ズーシアス候は考えている。

 なぜあの忌々しい女が呼ばれたかと訝しんだが、この宣言のためだったか。あるいはあの夜のことを証言させるつもりかと案じたが、考えすぎだった。仮にそうされたとしても、すでにあの女の言うことを信じる者などいない。

 ついに、邪魔者を排することに成功した。


 「ご裁可、ありがとうございます。それでは後ほど、諸々の手続きのことでお時間を頂戴したく……」

 「……待ってください」


 声を出したものがある。

 ニアナだった。

 視線が集まる。

 立ち上がり、俯いていた顔を前に向けている。潤んだ赤い目が、まっすぐにズーシアス候を捉えている。両足を踏み張っている。


 「……申し上げます。あの夜、わたしは攫われました。攫ったのは、そのために街に火をつけたのは、そして違法な薬を扱っていたのは……」


 視線が動き、ズーシアス候の隣に座した第二王子を見る。腕を持ち上げる。突きつけるように人差し指を向ける。声が震えている。


 「あなたです。カイン第二王子」

 

 議場が凍りついた。誰も動けない。あまりの妄言、そして非礼。ようやく数人が、彼女の口を閉じさせなければ、取り押さえなければと腰を浮かせた。ズーシアス候は舌打ちをし、後ろの従者になにかの指示をした。

 が、遮ったのは王だった。

 ゆっくりと手を持ちあげ、扇ぐように動かす。沈黙の指示だ。

 そうしてニアナに目を向けた。


 「……ニアナ殿。それは、どういうことかな。大事なことだ、間違いのないように話しなさい」


 問いかけに、ニアナは頷く。


 「……はい。花街……公爵様の領地での火事は、その人の手下による放火です。わたしをあぶり出す、という言葉を聞きました。その現場でわたしは、薬を嗅がされ、攫われたのです。目が覚めた時、その場にいたのはその人に間違いありません。そして……」

 「……そして?」

 「その人は、言いました。自分は……隣国の王の子ではない。父親は、そこにおられるズーシアス侯爵、セドナ様だ、と。この国を隣国に支配させるため、自らの罪を逃れるため、セドナ様が仕組んだのだと」


 がん、と卓を殴りつける音。

 ズーシアス候が立ち上がっていた。額に血管が浮いている。

 隣に座ったままの第二王子は指先を弄ったまま、上目にニアナを見つめている。


 「……貴様……言うに事欠いて、そのような妄言を……陛下! ただちにその女を捕縛してください! ローディルダム公を窮地に落とし、今度は王家の混乱を生じようとしているのです!」

 「ズーシアス候。いま彼女は大事なことを言おうとしている。王権の継承に関わる重要な情報だ」

 「陛下、公爵家は王権に関わらないと誓ったはずです! 先ほどの誓紙をお忘れか!」

 

 問いかけに、王は片眉を上げてみせた。


 「忘れてはいない。併せて、ニアナ殿がローディルダム公から離縁されたこともな。彼女はいま、公爵家の者ではない」


 ズーシアス候の額の血管が隆起した。そのまま放置すれば破裂するだろうと思われた。が、何も言い返せない。どすんと腰を下ろし、横を向く。


 「……だが、ニアナ殿。あなたの言うことが真実であるかの確証がない。あなた一人の言うことで、わが国の運命を動かすことはできない。わかるね」

 「……はい」

 「せめて、この場に他にもそのことを見聞きしたものがあれば良いのだが……」


 王はひとつ息を吐いた。ニアナはその目を見て、俯いた。唇を噛む。

 いるわけがなかろう、と独り言ちたのはズーシアス候だ。

 

 と、その時。


 正面の扉が開いた。

 黒の詰襟、金の紋章。

 鼻筋までを覆う白銀の髪の向こうに光っているのは、黒灰色の瞳。

 議場の全員が息を呑む。


 「……ウィリオン」


 ニアナが小さく声を上げる。目を見開く。入ってきた男を見つめ、だが、すぐに憎々し気に眉を怒らせて顔を逸らした。

 生きていたのか、というささやきが議場のあちこちから聞こえてくる。


 ウィリオンはまっすぐに王のもとへ歩き、深く礼をとった。姿勢を作る過程がわずかにぎこちない。傷を庇っているように見えた。


 「……遅参いたしました。申し訳ございません」

 「良い。座りなさい。いま、大事な話をしていたところだ」

 「は……ただ、わたくしからもひとつ、お伝えしたいことが」


 王は答えず、小さく首を動かした。ウィリオンは再び礼を作って、立ち上がった。自席にはつかず、歩を進める。第二王子の背を通り、立ったのはズーシアス候の横だ。


 「……なにか」


 ズーシアス候は、振り返りもせずに声を出した。

 なにもできまい。すでに終わった男だ。なにを言おうとも誰も取り合わない。

 そう考え、相手にしないこととした。


 「……なあ、おい」


 ウィリオンの声、口調が変わっている。

 表情すら異なる。口角を上げ、獲物を見据えるような視線を侯爵に落としている。

 周囲の者が訝し気な顔で彼を見上げている。

 

 「てめえ、隠し子、いたんだってな。へへ、まさかそいつを王子様に据えるとはな。さすがの俺でもそんなこと、考えつきもしなかったぜ。この外道が」

 「……ほ。元のご内儀から聞いたのですか。まったく度し難い。そんな女の言うことを真に受けるあなたは、やはり公爵家の器では……」

 「へっ、ばあか」


 言葉と裏腹に、ウィリオンは笑っている。

 腕を上げて、詰襟の留め具を外す。釦を解いてゆく。上着が落ちる。中には何も着けていなかった。

 

 「俺も聴いてんだよ、その話。あの夜によ。そこにいる、甘ったれのおぼっちゃんから、直にな」


 高い天窓から陽光が差している。

 その陽光が一束となって、彼の背を照らし出した。

 深紅の薔薇、蔦の間から黄金の瞳を覗かせる黒の狼。


 がたり、と、ズーシアス候の隣の席が動いた。

 カイン第二王子が立ち上がっている。

 見開いた目でウィリオンの背を見つめている。

 瞬きもせずにしばらくそうしていたが、やがて、どすんと腰を落とした。


 「……ひ、ひひ……ひひひ、ひひひひひ、ひい、ひい、ひい」


 悲鳴とも嗚咽ともつかない音を喉から漏らす。

 それが彼の笑いであることを、ズーシアス候と、あの日に現場に立った二人は十分に知っている。


 「……あんた、だったのか、あんた……ひ、ひ、本当の顔がないのは、嘘の中に生きてたのは、あんただったのか、ひい、ひひい、ひ」


 哄笑を続けるカインを見上げ、ズーシアス候は引き攣った表情を作った。その表情のままでウィリオンに向き直る。


 「……あ、あなたがなんと言おうが、誰も信じはせん。証拠にもならん。だいたい、な、なんだ、その背は。刺青を持つ公爵か。それにその物言い。冷血公爵の裏の顔はとんだごろつきだったというわけか。さっさとこの議場を出てい……」

 「ズーシアス候」


 声を張ったのはアルノルド第一王子だった。


 「確かにニアナ殿とローディルダム公の言葉だけでは証拠にならない。ゆえに、隣国に人を送り、調べさせる。それでもなにもわからないかもしれない。隣国の王室もおそらく隠すだろう。だが、万が一、候と隣国に不正な繋がりがあれば、それを機会にあなたは切り捨てられるだろう。あるいは命すら……まあ、よい。ともかくよく考えることだ」


 ズーシアス候はゆらりと立ち上がり、酸素を求めるように口をぱくぱくと動かした。手を差し上げかけて、唐突にどんと椅子に落ちる。そのまま中空を見て動かなくなった。

 体調を崩したと判断した王が命じて、ズーシアス候を運び出した。引きつけを起こしたように身体を揺さぶり続けるカインも同様だった。

 今日はさしたる議題もない、このような状況では議論もできまいと、王は散会を宣言した。諸侯は速やかに退出し、後には王と第一王子、そしてウィリオンとニアナが残った。


 ニアナがゆっくりとウィリオンに近づく。

 胸の前に手を重ね、眉尻を下げ、口を引き結んでいる。見あげた瞳が潤んでいる。

 ウィリオンは彼女に向けて手を広げた。


 その腹にニアナは、ばずんと拳を当てた。

 腰の入った良い打撃だった。


 「痛ってえ! ばっかやろう、俺まだ病み上がりなんだぞ!」

 「ばかはそっちでしょ! なんで遅刻すんのよ、こんな大事なときに! はじめから二人で登場するって段取りだったでしょ、わたしひとりでどうしようって泣いちゃったじゃない! だいたいなに、この黒い服! あなたの見立てだって言って届いたけど、まるで喪服じゃない!」

 「いいじゃねえか! ちゃんとルディ、アルノルドが考えた筋書きどおりに収まったんだからよ! 服は、な、なんかこう、迫力出したかったんだよ、二人で黒装束で揃えてよ! それに、それに……すげえ似合ってる。き、綺麗だ」


 再び拳を振り上げていたニアナは、その言葉に首から上を染めて硬直した。言った相手も固まっている。眉尻を下げて肩をすくめ、何を見せられているのだろうという顔を作っているのは王と王子だ。


 

 ◇◇◇



 あの夜、ニアナはウィリオンを花街に運んだ。

 深夜であった。公爵邸に運んでも医者を呼ぶまで時間がかかる。王宮も同様だ。花街が焼けたことはもちろん分かっている。が、夜通し人が動いていて、医者もいる。そういう場所を他に知らなかった。


 到着する寸前にウィリオンは完全に意識を失った。馬の背から落ちないように支え、彼女は花街に辿り着き、馬のままで巡った。娼館の女たちは少し離れた建物に集まっていた。馬の蹄の音に驚いて、まだ起きていた皆が顔を出す。


 お願い、助けて。そういってニアナが示す男の顔を見て、みな表情を歪めた。公爵だ、こいつが街を、ニアナを……。それでもニアナは横たえたウィリオンの隣で地に伏せた。どうか、どうか、と、何度も声を出す。

 その肩を叩いた女がいた。

 あんたの家族は、あたしたちの家族だ。しょうがねえ、惚れた弱みだ、あたしたちが、あんたにな。

 医者を呼びに走る女、実は医者の娘だと名乗り出る女。血止めと消毒の心得がある、血を作る飲み物を持ってくる、息を助ける摩り方を知っている。湯を沸かす、床をつくる。たくさんの者が動いた。闇医者は、深夜料金だ、高いぞ、といいながら息を切らせて走ってきた。やがて花街で動けるもののほとんどが集まる。

 ごふ、と息を吹き返したウィリオンに、全員が歓声を上げた。


 ニアナはそのずっと前から、顔を覆っている。

 ありがとう、より他の言葉が言えなくなっている。



 ◇◇◇



 その夜、王都北東部の廃工場へ第一王子アルノルドが率いる王宮の衛士たちが急行していた。

 アムゼンが、彼を救った侍女たちへ王宮への通報を頼んだのだ。王宮が動くものか、と訝しみながらも侍女長のヘレーネは言葉に従ったが、アルノルドみずからが深夜にも関わらず動いた。アムゼンが下手人たちの言葉から聞き取った、川面の朝日、生臭い、という情報から建物が特定された。


 現場にはすでにニアナはいなかった。が、第二王子が川辺に倒れているのを発見し、また捕縛されたその配下と思しき者が、薔薇の狼、と何度もつぶやくのを聴いて、アルノルドはなにがあったかを推察した。

 翌朝、アルノルドは公爵邸を経由して花街で救護されているウィリオンの下に向かい、彼を保護した。双方の安全のためにアルノルドは王宮の関係先へ彼を隠し、ニアナにも出入りを禁じた。


 起き上がれるようになって、アルノルドはニアナとウィリオンを王宮内で引き合わせた。が、彼らの抱擁があまりの長時間に至ったために王が咳ばらいをする羽目になった。

 ウィリオンの口から、例の誓約書のことが明らかになった。ニアナは怒ったが、アルノルドが収めた。収めて、ひとつの考えがある、と言い出したのだ。

 決着をつけよう、と。

 王宮での諸侯会議の折に、それが実施されたのである。



 ◇◇◇



 「……さて、ひとつ問題がある」


 王が声を出した。なにやら悪戯を仕掛けるような表情。


 「あの誓紙、ズーシアス候はいくつも複製を作って、諸侯に触れ廻っておった。今日の会議でも改めて周知し、わたしに真偽を言わせた。これは動かん。無かったことにはできん。したがって、ローディルダム公とニアナ殿の離縁は成立しておる」


 言葉に、ニアナははっと顔を上げた。王と王子、そしてウィリオンと順番に視線を置いて、最後は俯く。ウィリオンはひとつ頷き、何も言わない。

 王は二人を見遣って、くるりと小さな瞳を動かしてみせた。後ろを向き、アルノルドの方にだけちらと視線を向ける。顎をなでる。


 「のう、王子」

 「はい、陛下」

 「ちいと分らんことがある。教えてくれんか。例の誓紙だが、公は再婚を禁じられているわけではない。そして、もうひとつ……公からニアナ殿への婚姻の申し込みは封じられたが、さて、その逆はどうなるのだろうなあ」


 アルノルドは二人に振り返り、片目を瞑ってみせた。すぐに戻り、王と同じく、窓を見る。


 「それはもちろん、認められるでしょう。ただ、どうでしょうかね。果たして公がお相手に選ばれるかどうか……などとは、言うまでもないか」


 苦笑いをするアルノルドの姿は、恐らくその背の二人には見えていない。

 ウィリオンの首に手を回すニアナ。わずかに躊躇い、それでも彼女を柔らかく抱きしめるウィリオン。

 目を瞑り、小さく微笑みながら、ニアナは囁くような声を出す。


 「……はじめまして、変わり者の冷血公爵さん。お嫁さんの成り手がいなくて困ってるんですってね」

 「へっ、あんまり結婚の申込が多すぎてな。選びきれなくて困ってんだよ」

 「あら、結構なこと。誰を選ぶのかしら」

 「……俺は、誰も選ばねえ」

 「じゃあ、誰とも結婚しないのね」

 「いいや」


 そう言い、ウィリオンはニアナの肩をゆっくりと引き離す。

 まっすぐに見つめるその瞳の中に、自分の姿しか映っていない。ニアナはそのことをどこか不思議に思いながら、胸の中に広がる暖かな波を感じながら、ウィリオンの頬を両手で包んだ。


 「……わたしは、あなたがいい。あなたを選ぶ。あなたが誰で、なにをしてきて、どんな未来を迎えたとしても。あなたが、いい」


 顔が近づく。

 触れる直前の唇で、ニアナは呟いた。


 「……結婚してください。ローディルダム公、ウィリオン、ヴィル、薔薇の狼。あなたの隣で、歩きたい」


 王とアルノルド第一王子は、手持ち無沙汰だ。ずっと窓を向いている。

 しばらく時間をおいて、二人は振り返ってみた。が、すぐにまた戻る。共に深くため息をつく。


 「……長くなりそうだな」

 「あの件は、また今度にしましょう。南部の侯爵領を含めてローディルダム公に統治いただきたい。ついては、名誉公爵の位を贈る。今後も名誉公として末永く、王室を支えてほしい、と」

 「声だけかけてみるか」

 「はは。聴いちゃいませんよ、あの二人」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る