第15話 ズーシアス侯爵
ファールハイム三世が王位を継承したのは二十五歳のときだった。
同時に妃を迎えたが、長く子に恵まれず、ようやく天が願いを聞き届けたのは十年も経ってからのことだった。男児だった。アルノルドと名付けられたその子を、王と王妃は全身で愛した。
王家も民も喜びに沸き、しばらくは平穏な時が続いたが、やがて暗転した。妃が疫病で急逝したのだ。さらに悪いことに、三歳となっていた王子も同じ病を得ることとなってしまった。幾度も死線を彷徨い、命は拾ったものの、体質が虚弱となってしまった。
わずかな寒暖の差で体調を崩し、あるいは食事の内容により高熱を出した。庭に出ることもできず、常にぜいぜいと苦しそうな呼吸をし、ほとんどの時間をベッドで過ごす王子の未来に不安を抱いたものは多かった。
この時期に暗躍を始めたのがズーシアス侯爵家である。
王を支える諸侯のうち、筆頭の座はローディルダム公爵家が守っている。これは古代にその祖が王とともに国を拓いたという伝説が礎となっており、揺るがない。
が、そうした由緒とはまた別に、商売なり政治の才覚で勢力を伸ばしてきた有力者もやはり存在し、その代表がズーシアス侯爵家だった。
いち辺境伯に過ぎなかったズーシアス家は、境界を接する他国との交易によりここ数十年で急激に勃興した。経済面での貢献を通じて王家に取り入り、侯爵位を得るとともに政財界のあらゆる方面にあらゆる手段を用いて影響を浸透させた。
その結果、現在この国の財政を操縦するのは名実ともにズーシアス家となり、その当主であるセドナ侯爵は影の王とも呼ばれるようになっているのである。
アルノルド王子は十歳の頃、再び流行り病で危篤に陥った。医者も首を振り、ひそやかに聖職者らによる弔いの準備まで開始されたほどである。
その折に、ズーシアス家が動いた。代々の由来により自家と縁が深い隣国の王室より急ぎ養子を迎えるよう、王に進言したのだ。
進言ではあったが、実質の強要であった。王室の経済を握るセドナ候が膝を詰めて述べたのだ。わずかな間でもご後継が絶たれることがあってはなりません、隣国は王を支援すると申しております、現在の諸国の情勢を鑑みてもいま隙を作るわけにはまいらぬのではございませんか。
こんなときに、という声ももちろん多かった。が、王にセドナ候の要求を撥ね退ける気力も体力も残っていなかった。王子の危篤と同じ頃に体調を崩し、伏せていたのだ。王は震える指で縁組の書面に署名を加え、セドナ候は満面の笑みでそれを受け取った。
すぐに隣国からその第十三王子が到着した。わずか四歳の、少年ともいえない彼は、聖教会においてこの国における新しい名を与えられた。
第二王子、カインである。
カインは父王にわずかに面会したのち、すぐにズーシアス侯爵家に引き取られた。侯爵家の
ただ、その後の推移はセドナ候の思惑から外れたところを進んだ。
第一王子、アルノルドが体調を持ち直したのだ。奇跡と評された。医者も匙を投げたほどの状況から持ち直したことにはローディルダム公爵家の関与が大きかった、という噂が王宮周辺に流れた。
二人の王子を中心に、諸侯の立ち位置が目まぐるしく流動した。
筆頭家、ローディルダム公爵家ははっきりとアルノルド王子についた。そうなれば諸家も旗色をそろえると思われたが、実際には過半数が第二王子に流れた。もちろんその背後には、ズーシアス家の働きかけがある。
アルノルドはその後、ローディルダム公の後ろ盾のもと、その保護を受けて健康に成長した。青年期には周囲も驚くほどに体格を向上させ、また体質も改善した。かつての病弱な青白い少年の印象は完全に払拭されたのだ。
一方、アルノルドが健康状況を改善するのと並行し、貴族たちの支持は徐々に第二王子、カインに流れていったのである。
根拠がふたつあった。
ひとつは、王の体調の悪化である。かつてアルノルドが危篤に陥ったとちょうど同じ頃から時おり伏せるようになったのだが、ここ数年では通常の執務すら難しい状況になりつつあったのだ。
もうひとつは、ローディルダム公爵家の変事だ。
二年前、当時の公爵、すなわちウィリオンの父と、その後継者であった長男が急逝した。馬車の事故である。生き残った侍女の言葉によれば、馬が急に狂ったように走り出し、河岸を転がり落ちたという。
状況から事故と判断されたが、ズーシアス家の関与を疑う者もいた。が、それもすぐに否定された。馬車にはセドナ侯の右腕とも言われた甥と家令も同乗し、ともに落命していたためである。当日は王宮で諸侯が参集する評議が予定されており、事前にローディルダム家で打ち合わせし、王宮に向かう途上だったのだ。
ズーシアス家、わけても当主セドナ候の悲嘆は大変なものだったという。
ここでセドナ候の評判を押し上げたのが、ローディルダム家を責めなかったことである。事故は公爵家の馬車で起こったのだから、本来すべての責任は公爵家が負うべきであり、膨大な賠償が生じるはずだったが、これを免除した。
ともに大事な家族を失った身、いまは協力して王を支えよう、というズーシアス家の公式の発表は市民の涙を誘った。
ローディルダム家は当主と後継者を失ったため、王の采配が待たれた。家督取り潰しというのが通常の判断だが、王室への貢献を無にはできない。
評議は難航したが、ある日、唐突に解決した。
少年時代に落命したといわれていた公爵家次男、ウィリオンが戻ったのである。
生きていたのか、どこで暮らしていたのだ、いままでなにをしていた、と、国中の者が騒いだ。
が、ウィリオンは一切の説明も釈明もしないまま当主の座に収まり、なにごともなかったかのように先代の仕事を継承したのである。
その手際があまりに的確で円滑であったため、あらかじめ準備をしていたのではと囁かれた。同時に、彼の冷たい表情や所作、ほとんど口を開こうとしないその態度を不気味ととる周囲の者も多く、やがてひとつの噂が生まれることとなった。
ローディルダム家の新しい当主、冷血公爵ウィリオンは、父と兄、そして政敵の息子を手にかけた。そうして手に入れた地位で、夜な夜な自己の歪んだ欲望を満たし続けている。残虐三昧の日々を送っている。
これが、花街でも娼館でも囁かれる冷血公爵の噂の全貌であった。
そして、口さがない者は言う。
王の病、公爵家の危機。
これらを招いたのは、やはり第一王子の呪いなのだ。
王室への呪いを身に宿してアルノルド王子は生まれ、母后を死に追いやり、公爵家を危難に陥れ、いま父王も……。彼が世を継げば、災いが国中を覆うだろう。
第一王子アルノルド、現在二十四歳。
第二王子カイン、現在十八歳。
王がいつ世を去るのか、二人の王子のどちらが継ぐのか。
それが目下の国全体の関心事のひとつであった。
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冷血公爵の夜の顔〜娼館育ちの令嬢は薔薇の狼に溺愛される〜 壱単位 @ichitan
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