第26話
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篠原陽名莉16
香月は五式清一郎と買い物に出かけている。付き添いを頼むようなことはなくなった。ナナフシさんとの会合は月に一度と定めているので、私の日曜日は放課後以上に暇を持て余すひと時である。
台所のテーブルの上に父の昼食を用意してビニールラップで包み、新聞の天気予報欄を確認してから洗濯を済ませた。上々の天気だが夜半になってから雨になるかもしれない。縁側で日向ぼっこをしていると電話が鳴った。
「山中で謎の少女が保護された。襦袢一枚に裸足でうろついていたそうだ」祥子先輩は興奮して早口で言った。
「もしもし。陽名莉くんかい。私だ、奥野祥子だ。久しいな。はい、こちら陽名莉です。今日はどういったご用件でしょうか」化身が保護された事実に胸が高鳴るがそ知らぬ風を装った。
「私の分まですまんな。次回は時候の挨拶も頼む」
「せめて”もしもし”くらいは自分でお願いします。一人芝居は性に合いません」
バイト先のファミリーレストランで待っていると言って電話が切れた。私は安堵のため息を漏らす。祥子先輩がいるのは(不安もあるが)心強かった。一人きりで得体の知れないモノに向き合う度胸は私にはなかった。好奇心で動く先輩に従えば私の動機は問題にはならない。
祥子先輩はレジの前で待っていてくれた。ウエイトレス姿のままで、もうすぐ上がりだから座っていてくれ、と禁煙席の方へと導かれる。年齢が発覚するから他人のふりをするのではなかったのかと小声で問うと、兄貴との会合で知り合ったという既成事実があるから平気だと片目を瞑る。祥子先輩はどんなに気障な身振りにも嫌味がない。虚飾に興味がないからだろう。
正午近くというわりに客足はまばらだった。冬の太陽は遠い。しかし、ガラス越しにそのぬくもりを受け取るとわずかに距離が近くなったように感じる。疎遠になった友達からの手紙のようだ。どんなに会わずにいてもこの世のどこかで瞬いているのだ。
「兄貴の後輩の妹という設定になっている」私服に着替えた祥子先輩が向かいの席に座りながら言った。
「一人芝居の次は存在しない人物の妹ですか」
早番ということで昼時要員の人と入れ替わるらしいがこまめなシフト変更は店としても人件費の上乗せになるのではなかろうか。
「そもそも日曜日はシフトに入っていない。臨時だよ。命がけのデートがあるからと休みやがった大たわけがいてな、昼時の人と私とで穴を埋めたってわけ。前回は人生の節目となりうるデートだったか」
「次回の理由も是非聞きたいですね」
厨房のスタッフから聞いた話らしい。発見場所から察する限り化身に間違いないのだが近所に住んでいる私には情報が伝わらなかった。事件性を慮った警察が緘口令を布いたいう噂がある、と祥子先輩は話した。
「まあ、少女だしな。顔見知りの犯行による誘拐。そして命からがら逃亡、なんてのが筋書きとしては一般的か」祥子先輩は不謹慎にならないよう笑みを殺していった。「なんか食うか?」
私はフライ定食を頼み、祥子先輩はラーメンと炒飯のセットを注文した。
「家出娘の可能性も」状況に合わせ思ってもいないことを口にした。
「担ぎ込まれたのは病院でさ、そもそもこの話をしてくれた人の母親が看護士をやっている所だったんだよ。外傷はないが意識がない。発見者は最初、死体だと思ったらしい」
町で一番大きな敷居面積を誇る総合病院で、町役場の側に隣接している。とりあえずここを出たら向かってみようと祥子先輩は言う。口先だけで反対意見を述べると予想に反して祥子先輩はあっさり了承した。
「狐につままれたような顔をしているな」半眼で馬鹿にしたように祥子先輩は笑う。「陽名莉君は本当に分かりやすくて好きだよ。さあ、何を知っているか、お姉さんに話してごらん」
私はあえてそこで宙吊りになったままの問題について白状しておいた。時間稼ぎには幾分気の重いテーマだったが背に腹は変えられない。五式清一郎から預かったオカリナだが、既に初対面という形で五式清一郎と向き合ってしまったので返す方法がない。香月と五式清一郎がそのことについて話題に上らせてしまっては私の立場がないのでいかように立ち回ればよいかとお姉さんにお伺いを立てた。
「また香月に成りすませばいいじゃないか」
「人聞きが悪いですね。相手が勝手に間違えたんです。でもさすがに次は私を香月と認識することはないと思います」
「おそらく五式君が本物の香月にオカリナの話をすることはないだろう。だからこれは放置していい問題だ」
理由は分からないが祥子先輩の口調には断固としたものがあった。会話しながら思いついた化身に関する言い逃れがようやく纏りがついたのでオカリナの話を打ち切った。
「子供の頃に会ったことがあります。あの山に住み着いているらしいので何者なのか、一度確かめてみたかったのは事実です」事実の半分だけを伝えることにした。
「そういう面白そうなことはいの一番に私に知らせてくれないと困るな」祥子先輩は事務的に理不尽なことを言い放つ。「子供の頃とはいつのことだ?」
「二年前です」
「二年で人は大人になるのか」
言葉の綾としてではなく、化身との出会いがもたらしたパラダイムシフトを体感としてそのまま口にしてしまったことに私は気づいた。だが、祥子先輩はそれには言及せず、私が確かめてみたいと感じた理由について問いただしてくる。
「……怖いから」
得心のいった顔つきで祥子先輩は頷いた。
食事を平らげ、店を出てすぐに徒歩で病院に向かった。あまりに迷いのない行動に計画があるのかと問うと祥子先輩は「行けばなんとかなる」と呟いた。厨房のスタッフにしつこく問いただし、彼の母親の担当するフロアと担当の患者の名前をメモした紙を空中で振った。
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