㉛スノー・マァジ
アンヌさんたちを見送って、早 数十分。作戦開始の合図は未だ鳴らない。この歪な雷雲へ、約束のツバは吐かれていない。
己の手でこの地を拓いた兵士達も、奇抜なライフルを背に森へとちりばめられた。
一度落ちた落雷が、もう一度落ちようとするのを阻止するため、〆を担う彼女たちも、決戦の地へと向かっていった。
ココに残ったのは二人だけ。ヒトの気が失せたキャンプ場には、勇敢な者達からアブくれた、狙撃担当と回復担当だけが残っていた。
「準備は上々かヨ、」
「ああ、抜かりはない」
頭上、樹上、ナメた口調。寝そべるようにして枝にもたれかかり、背には配ったライフルを更に越えて芝居めいた大きさの銃が一丁。褐色の男はソレを向こう、いや複素数平面でも見つめるような狂気を孕んだ目でウットリと見つめている。
果たしてコイツは自分が役目の重大さを理解しているのだろうか。
「うらやましい限りだな、」
わざわざ雨除けまで敷いて吹かすタバコに舌打ちを添えながら、私はガリガリと地面をひっかいていた。
「オメーが緊張しすぎなのサ、ドラゴンとやった時も三つくらいだったじゃんかよ、」
煙の向こう、眠たげな目でのぞき込んでくる彼の目には、私の足下、既に七つほど完成していた魔方陣が映っている。
「それほど強大なのだ……特に雷は」
「ま、痛ぇじゃすまねーからな、」
ボリボリと髪を掻きながら、男はタバコをくわえた口で呟いた。
「それなら怖くない。痛いと言ってくれるなら」
"SOS が届かない"
仲間の、部隊の救命、回復を担う私にとって、ソレは最も忌避すべき自称だ。
喩え神の手と讃えられようが、顕界した天使と愛されようが、助けて! 患者がそう言ってくれなければ助けられないのである。
……
今書いている魔方陣も、私が今まで覚えてきていた魔法も、大半が助けることを目的としていない。助けを聴く為の物だった。
「さて――
最期の魔方陣を書き終わって、杖を置いた私は思い出したかのように衣服を脱ぎ出す。
住んでいた教会からパクってきた修道服。コスプレと見まがうほど世代遅れのソレは、そこら中に修繕した跡が目立ちだしていた。
喉仏を隠すタートルネック、足下までぴっちりとした黒の股引と、胸元に巻き付けたサラシ。年々誤魔化すのが難しくなってくる成長期の身体。低音が出しやすく、身長に関してはなんの問題も無いことだけが救いだが。
溜息もそこそこに、ヒトが入れる程に膨らんだ、樹上が男のリュックに手を伸ばす。
「変なモン触るなヨ! 吹っ飛ぶからな!」
「わ、解ってる!」
頭上から響いた珍しい大声に、慌てて視線も引っ張られる。
彼はきっと足音だけで自分の荷物との距離を判断したのだろう。わざとらしく寝返りを打っては、インナーのみでラインが解る私のことを、決して目に入れないようにしていた。
……今更 良いというのに。ノイマンを見習え。隣で着替えるぞ、アイツ私のことを親戚から引き取った娘くらいにしか思ってないからな。まぁ似たようなものだが……
なぜコイツはこういうときだけ紳士なのだろうか。いつもの
ちぐはぐな思春期に失笑しつつ、ガラス類のビンを割らないように奥へ押し込みながら、目当ての物を引っ張り出す。
丁寧に畳まれ、わざわざ布袋にまでしまっていたソレは、森の中ですら違和感を感じるほど彩度の高い真緑のスカプラリオだった。
でかでかと白いダイヤが書かれた、膝下まで伸びるソレを、頭から被り、横はヒモで締めていく。着方は実にシンプル。種属ごとのオーダーメイドなんて創りたくないらしい。
「なぁ、どうせ俺らしかいねーのに、着なきゃダメかよソレ」
ヒモを縛る音に顔を戻した男の、下げた眉毛コチラを見据える。
照れに依るものじゃない。そんなコト解っている。わかりきっている。
「仕方なかろう。次バレれば免停だぞ」
「どうバレるんだ?」
「 "陣" を書くのだ。魔力の残滓が嗅ぎつけられる。てかした」
「……まったくドギツイ奴らだゼ、足下見やがって」
ドギツイ奴ら。私も全くもって同意だ。
"DTD・G ゼッケン"
今、私が着ている緑の服の総称である。
ギルドが支給するコレは、ハンターやカラバンの行商、国際宅配など、国境や未踏領域を越えて活動する、全ての "医療スタッフ" が着用を義務づけられている。
命が近い場所におけるヤブやぼったくりを防ぐための物だが、ギルドに所属しない私たちフリーランスは、わざわざ買わなければいけないのだ。
これがもう高い高い。信じられない! ノイマンが体型がバレにくい物を買ってくれたが、彼が軍人の退役金を全てつぎ込んだフルアーマーの倍はかかったらしい。免停になって没収などされればいよいよハラキリの出番である。
絶対キズ付けてたまるか。フンスと鼻息込んで帽子を被る。地面をひっかいていた杖を、力強く握る。
己の書いた魔方陣へ、ゆっくりと脚を踏み入れる。
「書き損じはナシ……よし。ジュマ!」
一つ一つ指でたどったら、最後に樹上の男の名を呼んだ。私たちしか知らない。私があの男に頼る時だけそう呼ぶ名で強く呼んだ。
「あーハイハイ……にぷーは にぺらー!」
めんどくさそうにしながらもしっかりとコッチを観て、馴れない発音で彼はそう言った。
なので私は、こう言った。
「
ガキらしくベロを出して、そう言い返してやった。
両手で横に持った杖を前に突き出す。
目を閉じて、雨に潤む精霊の声を探し求める。
「パン!ッ、パンッ!」
不意に荒天の空、二発、乾いた破裂音が響く。
かすかに開いた瞼の向こう、ピンク色の閃光が二点、雨にも負けずチカチカと主張を強めていく。
二発の開幕を皮切りに、やがて森のあちこちから、今度は重厚な鉛が撃ち上げられた。
渦巻く青黒の積乱雲は、火花を散らして飛び交うソレを、次々と飲み込んでいった。
……ソレが己のはらわたを食い破り、やがて地に堕とす猛毒とも知らずに。
「時間だ、な」
「まったくやっとかヨ。遅くね?」
愚痴に何も返さず、もう一度深く目を閉じる。強く、強く奥底、己の脚を通して伝わり来たるこの森に巣くう声をたどる。
ざわざわと騒ぐ。靴を空かして脚を撫でて。
ひそひそと囁く。杖を震わして手を噛んで。
止まれ留まれ停まれ富まれ、
安らぎの声はここに在る。
「――蝶々結びの
叫ぶと同時に、手に持っていた杖を魔方陣の中心へ、思い切り突き立てる。
杖に巻き付いていたツタは輝き、大地を吸い上げるように成長を初めて。
やがて根は網を成し、皿と形り、琥珀を薄めた泉を掬った。
どこからともなく風が吹く。雨嵐も雷も無視した、どこか遠くの春をこさえてやってくる。
はるかぜとともにやってくる。光り輝く蝶々がひらひらひらひら、群れとなってやってくる。
蝶たちは私の前、泉を吸いて茂る杖に安息を見つけて羽を閉じた。
「おー多いな、ホントの形忘れそうだゼ」
「気にするな……ヨシ、次!」
残らず全ての蝶が止まったのを見届けると、賞賛もそのまま、私はすぐに次の魔方陣へと脚を踏み入れる。
コチラに杖は要らない。既に仕掛けるだけの仕掛けは終えている。
ゆっくりと唇に小指だけ充てたら、そのまま前に出した。
「――どうかトマトよ、萎びかないで《初恋の原題》」
声を皮切りに小指に指輪のような紅い輪が回り出す。そして、熱を帯びたかと思うと、そのまま森の四方八方、木々を撃ち抜くほどの勢いで拡散し、糸となって伸びていった。
「ま、この二つでまずはよかろう、」
張り詰めた糸が全て問題なくたわんだことを確認して、私はいつの間にか紅く滲んでいた魔方陣の外へ出た。
「いつ見ても引くぜ、どうなってんだ
樹上、やや引き気味の賞賛が、再び送られてくる。
"オメーラ" 仲間にすらそう思われるのも仕方が無い。なにせ本来、止まり木に停まる蝶は多くて三匹低度な上、糸は一本なのだから。
――スノー・マァジ。
線の細い痩せた体型、一見はブロンドの髪、男女ともに中性的な顔立ち、そして長い耳。
一見すると
それが、私の種属。
――
別名、銀嶺の支配者。
零下40℃に適応した、熱だけを吸い込む透明な体毛に、2メートル越えの体躯。深紅の瞳。下着にすら隠せる小さな丸い尾。そして――
平均で 15倍程度。多種属とは文字通りケタが違う魔力の容量を持つ。
それが、私の種属。
天使の宅配も赤い糸も。本来、卓越した歴戦の魔導師ですら複数人で使う魔法も、14歳の少女が使えるのだ。
「……フフ、」
滲む傲慢が口角をつり上げる。才能も努力もした。日頃酒をあれだけ止められるのだ。己にぐらい酔ったって、バチはあたらんだろう。
"――バチンッ!!"
不意にバチが落ちた。それはしかし私にではなかった。森の近く、南西の方角から嘶いたのだった。
やがて糸の一本が張り詰めたかと思うと、くん! と強く指を引いた。投げた覚えのないウキが、確かに沈んだのが伝わってきた。
「逝ったか!?」
「それなら即座に千切れる。落ち割れた木に当たったか、もしくは崩れたな」
「死んではねーんだな!?」
「ああ間違いない……ヨシ、翔べ!」
何故かすぐヒトを殺したがる不謹慎ヤローのダブルチェックをあしらい、地面から杖を引き抜く。
ぶんと音を鳴らして杖を思い切り振りかざすと、蝶の一匹は、その羽をムラサキと見まがうほどの早さで、雷の方角へと飛び去っていった。
「……アレで治んのか?、ホントに?」
「逆転の発想だ。薬を飲ませられないなら、薬が飛んでいけば良いのだ」
「……いつか痛い目観そーだゼ、」
「褒め言葉として受け取ろう」
減らず口の応酬も束の間、やがて直ぐに蝶が戻ってきた。
蝶は私の手を一周した後、再び杖の止まり木へと羽を下ろした。
「大したケガではなかったな、」
「無駄遣いクセーぜ、あと何回行ける?」
その質問に対して私は、何も言わず指を三つ立てて彼に見せた。
「30?、流石に盛ってネ?」
「違う。三周だ。全員のな、」
「……杞憂だったな、」
ぼそりと呟いた後、彼は上に向かって口笛を吹く。今まで何度も死線をくぐり抜けてきたとはいえ、普段四人では観ることのない "おこちゃま" の強さというやつを、ようやくそのカラに近い頭が理解したらしい。
「回復と集計は任せろ、キサマは狙撃と――
「パンッ!」
声を遮って銃声が響く。空を吸い寄せる力も、撃ち落とす力も無い。弱い麻酔銃の音。
「護衛だろ。わーってるヨ」
「……ああ、」
音の鳴る方へ目を凝らす。
獰猛な牙に頑強な脚を持ったその猛獣は、車くらいならお手で木っ端みじんに出来ただろう。
いつの間にか上で狙撃姿勢に入っていた男に、バレないようそっとほくそ笑んだ。
「……いつも通りだ。」
「……おうよ! ソレが一番だゼ」
決まり文句を繰り返す。
モチロン、こんな天気予報すら歪めるバケモノと相対したことなど一度も無い。
しかしこの杖を握る手には、それだけではない確信があった。
そうだ、四人いるんだ。
もっと居るんだ。
……怖がる必要なんてドコにもなかったんだ。
アンヌさん。アナタを観て確信した。
この人はまだ大丈夫だと、
げに恐ろしき狂気こそ侍していたが、この中でアナタは唯一、軍人でも、狩人でもない、普通の目をしていたから。
我ながら情けないほど甘えてしまった。初対面の女性に。
ケド仕方が無いんだ。赦して欲しい、コイツら二人とも身体ゴツくて仕方ないんですもの。
二人で出かけようと誘われたとき、久しぶりにアレクサンドル・イグナーチェフは、アレクサンドラ・イグナチェヴァに戻れると思ったんだ。
だからゴメンねアンヌさん。
アナタだけ残してこの狂ったるつぼの虜になる、喜々として日常をドブに棄てる愚かなる若輩を許して欲しい。いや、赦さなくて良い。どうか叱って欲しい。
サーシャは今、この
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