⑧キャンプ

 ザク、ざく、ザク、ざく、


 筆の色が変わったようなシリアスの一幕からしばらく、私たちは何処までも続く山道を進み続けていた。

 セミの合唱は冷め、風が強さを増し、脚が棒のようになってきたころ、ビシャビシャの背中はようやくその歩みを止めた。


「今日はここまでにしよう」


 手に持った鉈と破れ掛けた軍手。明らかに私よりも遙かに働いているはずの男は、少しだけ肩で息をしながら優しく声を掛けてきた。満身創痍かのようにヒザに手をつき、返事すらなくイヌのように舌を出す私に向かって。


「……歩くのは慣れないか?、分かっているとは思うが、飛ぶわけにもいかんのだ」

「それも……はぁ、あるケド。ふう。フツー一日中も動けないからね、私

「そうなのか?」

「そうだよ、ホラ、」


 そう言って私は彼に背中を見せる。彼は何も感じ取らなかったのか首をかしげたので、少しむっとしながら私は「ん!」と声を出しながら、自分のスカートを指差した。 彼は、もう一度首をかしげた。


「ニブイ奴め、ホラ」


 そう言って私はスカートの裾で太ももをゴシゴシしたあと、強引に裾を掴ませた。彼のグッと開枯れた目は、ようやくその違和感に気付いたようだった。


「掻いてないでしょ、汗」

「成る程……」


 そう、この違いだ。はるか昔、私たちは寒冷な地域、というか基本上空に生息していた。言葉を話し、クチバシを失い、あげく卵すら産まなくなって指すら(三本だけだけど)生えてる私達だが、鳥類なのだ。まかり間違ってもこの自称 "一番地味な種属" のような、哺乳類でありながら全身から毛が消え失せ、滝のように水を吹き出すという、バケモノじみた冷却機能など持ってないのだ。


「ソレは暑かったな。すまない」

「まぁ、今更帰れないからいいケドさ、」


 話ながらとうとうヘタリ込んだ私を背中に、ラスタフはいつの間にやらそのバカみたいにデカかったハズのリュックを開き、いそいそと準備を始めていた。


 その光景をじっと見て三秒、私はようやく違和感に気付いた。


「チョット! どこにあったのソレ?」


 そう、背中を見ていたハズなんだ。リュックなんて担いでない。ましてや胸の方で担げるサイズでもない。手に……いや軍手とナタはどうなる。


「ん、あぁ。今気付いたのか」


 そう男は少しコチラを嘲るように笑うと、リュックのテッペンに付いていた変な黄色のボタンを押した。


『ぶしゅぅぅぅぅぅぅ』


 途端、穴の開いた風船のような音を鳴らして、私が入れそうなサイズのリュックは、彼の拳と同じくらいの大きさにまで縮んでしまった。


「何ソレ!?」


 指をさしてひっくり返った。まるで子供のようにでんぐり返しをした。目を見開き、銀の髪によく分からん植物の種をつけて叫んだ。

 もしここがお化け屋敷で、彼がそのエキストラなら、これほどうれしいモノはないだろう。しかしココは普段ですら怪しい人権がシュレッダーに掛けられる未踏領域で、彼は私と共にそこを越えて不法侵入を企てる愚か者なのである。


 血相を変えて飛び込んで来たかと思うと、「しぃぃ~~ッ!」と血走った目で、アイスピックに使えそうな程強く立てた人差し指で、あぁやっちゃったみたいな顔をしている私に向けて訴えた。


「ご、ゴメンって。でも黙ってるのはズルいよ、私運ばなくてよかったじゃん」

「あぁソレはすまない。だが運ぶのはどの道、お願いしていただろう」

「なんでさ、ポッケにでも入れれば良いのに」

「あ~~いや、その実はだな、」


 少しバチが悪そうな顔で目をそらし、拳ほどのリュックを掴むラスタフ。かなり慎重な、というかカメレオンみたいな動きでソレを動かすと、私の手の真上まで持ってきた。


「いいか、離すぞ」

「え、うん」


 なんの意味があるのかサッパリ分からない忠告に、二つ返事で応えた。その直後だった。


 [――ズンッ、]


「えぅっぅぎぃ、!?、」


 轢かれたネズミみたいな声が、閉じていたハズの口から思わずにじみ出た。

 出した右手は実際に轢かれたかのような痙攣を起こしていた。なんだコレ、砲丸?、よりもまだ重い。遙かに重いよ。まずいよ、間違いなく乗ったその瞬間、手を貫通して地べたでふんぞり返るこの拳骨からは、命に穴を開ける音がしたんだ。


「……重さが、変わらないんだ……」


 申し訳なさそうに呟いた前方の男。その目は最期まで逸らされたままだった。


「ベクヴェーム……」


 記憶の中におぼろげに出てきたその単語をぼそっと呟くと、あからさまに彼の身体は震えた。背中に氷を入れられたようだった。


「コレ、確かそんな名前だったよね、」

「あ、あぁ……詳しいんだな」

「詳しいも何も、私たちにも宣伝してくれ~~みたいなのが来たからね、政府から。二年ぐらい前だケド、」


 彼の顔色はますます悪くなった。そうだ、思い出した。このカプセル。場所を取らない価格も廉価、この国(ヘンデルス)の技術力を象徴する国家プロジェクトがうんたらかんたら……これからの運送はキミたちのポケットで行われるだのなんだの言ってた割には音沙汰ないなと思ってたんだ。まさかこんな始末だったとは。


「みんなゼイタクを言うんだ! 筋トレ一つでキャンプやスキー、釣りの準備だって手のひらサイズだってのに」

「本末転倒でしょうよソレ、ムキムキじゃなくても豊かに暮らせるために作ってんのに……」

「先にプロテインを国民に支給すべきだったんだ」

「ヤダよそんな、国民からサンオイルみたいな匂いする国……で、その廃棄ワゴンが公務員の給料代わりに入ったと、」

「夏のボーナスの半分がコレさ、後家に10ヶはあるぞ」


 自嘲気味に彼は笑った。その表情は国の不始末を隠したい役人根性と、自分の給料がショーもない消え方をした不満が入り交じった、複雑なモノだった。


「まぁ良いさ、どのみちボクにとっては素晴らしいモノなんだ。見てろ――ッ『ベクヴェームレーズンッ" 展開ッ!!』


 そう言って謎の決めポーズ……じゃねぇや知ってるぞコレ。CMでヒーローがやってたヤツじゃん。弓矢打つ感じで右手突き出して腕ぐるぐるして、なんか家みたいなの建てるヤツだ。


「キャハハハハハ!!」

「わ、笑うな!!」


 羞恥で泡吹きそうなレベルで紅くなった顔を必死に隠しながら、彼は地面にあった砲丸もどきを拾い、放り投げる。

『バンッ!』と地下に居るモグラを反動で殺せそうな音がしたかと思うと、再び似たような破裂音と共に、人二人がギリギリ入れるサイズの迷彩柄のテントが現れた。


「ココをキャンプ地とする!」

「おおお~~~」


 予想よりかは遙かに立派だった結果に、少し気の抜けた感嘆と拍手を送る。抜けきらない照れをそのままに、彼は自慢げに鼻の下に指を当てた。


「おじゃましま~~ってアレ、一つだけ?」


 許可も取らずに開けたテントの中には、明らかに独り用の寝袋があった。え、待って。同衾!?、この狭さで?、いや、割と私たち密集して寝ることあるケド、ソレってあくまでも押しくらまんじゅうみたいな感じで……この狭さは流石に……


「最初はキミが入ってて良いぞ、」


 背後から唐突に掛けられた声。思わず飛び退いてしまった。


「あ、暖めとけってコトデござりまするか殿!」

「ん?、何の話だ。一人用だぞコレ」

「し、シングルですか!」

「あぁ、二時間交代で周囲を見張ろう」

「へ?……」

「ん?」


 混乱するだけ混乱して、あたふたするだけあたふたして。何故かイキナリ急ブレーキを踏んだ、情緒が大分アブナイ私に、ラスタフは首をかしげる。

 その目には下心も羞恥も何もなく、ただひたすらのクエスチョンマークだけが浮かんでいた。誠に遺憾ながら、

 

 成る程、えぇナルホド……どうやら私は偉い勘違いをしていたようですね。ええ全く。

 なんだよ、悪いか。オイ、やめてくれたまえ、そのリードに繋がれて店先ですべての客に威嚇してる犬を見る目を今すぐやめろ。

 クソっ、クソっ! 昨日も味わった! 喫茶店の前でソレを! そうかそうか、キミもそういう人間だというのか、ええそうでしょうね、そうでしょうとも。ナメやがって、クジャクヤママユごと握りつぶしてやる!


「何をブツブツ言ってるんだキミは、……ひょっとして、臭いか?」

「違うやい!! ばか!」


 くそ真面目にのぞき込んできた朴念仁の顔に向かって、渾身の右ウイングで季節外れの反抗期を吹かした。バサッと鳴っただけで通り過ぎてった痛みにますます首をかしげた彼に舌打ちしながら、私はテントの中にすごすご撤退した。


「んっこいしょ、」


 おばあちゃんみたいなかけ声で脚をほっぽり出すと、レッグポーチから厚く固い生地の布と霧吹きを取り出す。週間づいた手つきで布を濡らすと、私はこの一日山道を歩き続けていた脚を拭い始めた。


 前方で夕飯、と言っても簡素なジャーキーを切っていたブーツの男は、その光景を物珍しげな目で見てきた。


「……ん、気になる?」

「あ、いや、まぁ……」

「なんか、やりづらいんですケド……」

「――っあ、あぁ! すまない!」


 当たり前の事。特に恥ずかしいことをしてるわけでもない。別に普段も人前でやってるし……

 なのに、なよに無性にむずがゆくなった、なってしまった。咳払いを一回したあとで、耐えられなくなって私は背中を向けた。


 ……、……、……、


「――ッ、覗くのやめて! なんか余計ハズかしいから!!」

「す、すまない!!」


 向けたはずの背中に、確かに刺すような?、いやそんな強くはない生暖かい視線を感じた。

 こうなったらもうダメだ。別に嫌なわけでもダメなわけでもないのに、鍵のないトイレに入ったときのような、不安と羞恥に陥ってしまうんだ。


「ああもう! ホラ!!」


 じれったくなって再び前を向いた。仕上げのブラシとヤスリも取り出して、案の定コチラを真っ直ぐとガン見していた彼に向かって正面から向き合った。


「後でソッチも見せてもらうからね……」

「あ、あぁ、あぁ?、」


 自分でもよく分からない交換条件を元に、、私は再び脚を磨き始めた。鱗の間に詰まった土埃をブラシでこそぎ落とし、鉤爪をヤスリで整えたら、今度は霧吹きを直接脚に掛けた。最期に先ほどとは違うキレイな方の布で、入念に、もむようにして拭ったら、「はいおわり、」とダケぼそっと、彼の方を見て言った。


「あ、ありがとう」

「何の感謝だよ!! やめてよ!! なんかそんな店みたいじゃんか!」


 熱くなった顔でそのまま手に持っていたブラシを投げ飛ばした。彼はオウムのように「すまない、すまない、」とだけ繰り返した。


「ん、じゃ、あ~~二時間後?、また。」


 しばらく一悶着した後、いよいよ疲れが限界に来たのか襲いかかってきた眠気につられて、私は先ほどキレイにした脚を寝袋に突っ込んだ。破れないか心配だったが予想以上に強い税金仕様の布地に感心しつつ、すでに夕焼けすら終わって薄暗くなり始めていた空と、彼に向かって、にたっと笑いながらそう告げた。


「あぁ、おやすみ」


 すでに閉める途中まで来ていた扉の向こうから、不思議なくらい優しい声が聞こえた。


「ん、お休み」


 もうすでにつぶった目を元に、私はそのまま袋の中へ、睡魔を抱えて沈んでいった。

 

「……まだ起きてる?」

「ああ、起きてるさ、」

「……クラスの好きな人」

「修学旅行か!、寝なさい」

「バレンタインもらえそう?」

「寝ろ!! 先生呼ぶぞ」

「ケチ~~」


 そんな応酬も、数分と続かなかった。それくらいに疲れていた。疲れ果てていた。


 「ん、……」


 どれほど経っただろう。

 全身に立ち込めた、まとわりつくような暑さに目を覚ます。暗い。何も見えない。手探りであるはずのランプを探して全て空振り、更にヤケに狭い室内に突き指してようやく気付いた。そうだそうだ、今山登りの最中だったと、


 外はヤケに静かで、風すら吹いていないようだった。月の声が聞こえるほどだった。

 寝袋からのそのそと、まるで脱皮するザリガニのように。翼のせいで予想以上にもたついていると、何か軽いモノに頭をぶつけた。


「なんだよもぉ~~」


 やつあたりの恨み節と共にソレを拾う。なんとなくで上に付いていたツマミを回す。途端ソレは口を開いた。天敵に対する予想外の抵抗のように、鋭く私の目を射した。


「ん”ッ!、」


 汚い悲鳴と共につむった目をうっすらと開けると、その先には円盤状に書かれた数字と大小二本の針が見えた。


「え、スゴッ、光るんだ」


 ソレは懐中時計?だった。いや、疑問形をつけざるをえない。光るの今のって。少しブルジョワ過ぎて実際の灯り以上に眩しく感じる。


 目を据えた先、指針は夜の一時を刺していた。


 一度目をつむり、私はもう一度確認する


 ……夜の一時を指していた。


 もう一度目をつむり、こすり、今度は細めでぐっと睨むように見た。


 ……夜の一時を指していた。


 遠くから見てみる。


 ……夜の一時を指していた。



『二時間毎に交代しよう』


 もういつ聴いたかすら思い出せないその約束を、湧き出る冷や汗も拭かず私は反芻はんすうしていた。


「ああぁぁぁああごめんラスタフさんまじでゴメン! え、ちょっ、ちが、違うの聴いて!! この寝袋思ったよりも寝心地よくってさ!! いやホントに、ほとんどトゥルー○リーパーだって!!」


 入りきらない血圧と振り切れたテンションで叫び散らしながら、おぼつかないしびれ気味の手でテントのヒモをほどく。


「ねぇ〜ラスタフさん、おこってる? すごいよヘンデルス、このベッド絶対夏のボーナスより価値あるって! いや~~卑しい庶民の私めに使わせていただきまして光栄でヤンス!、ってちょっと? ラスタフさーん、」


 手をコネコネしながらしばらく、体育座りで待って見れども返答はなし。

 怒られそうになったらすぐ場の雰囲気をおふざけに持っていこうとする悪いクセが見透かされているようだった。


「フーッ。フーッ、」


 飛び出すのが怖くって一応耳を布に当ててみると、手負いの猛獣みたいな息づかいが聞こえてくる。


 え……ブチ切れてらっしゃる?、


「ご、ゴメンよぉ、その、置いてかないで欲しいんだケド……」


 情けなくぽそぽそと呟くように謝罪しながら、イヤに動かしずらい足取りで、我慢できなくなった私はテントをこじ開けた。


 「あ、ラスタフさん!、おはようご――


 目の前に入ったその顔は、想像とは違ってた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る