あなたに両手一杯の青空を

京野 薫

前編

 息が詰まるような長い軍議を終え、気晴らしに中庭に出た私の目に飛び込んだのは、抜けるような青空だった。


 くそ、最近晴ればかりだ。


 私はため息をつくと、顔を伏せて中庭のテーブルに座っている王妃……我が妻レシーナの元に歩み寄った。

 大人と少女の狭間の様な美貌を持つ王妃は、どのような時でも一枚の絵のように魅力的だ。 アフタンーンティーを前に侍女と微笑んでいるその姿は言うに及ばず。

 不毛な軍議に疲れた身には有り難い。


 だが……青空は嫌いだ。

 

「どうなさったの、王様。暗い顔をして。軍議で何かあったのですか?」


 そう言って心配げにのぞき込むレシーナに向かい無表情で首を振る。


「いや、何でも無い。私もそれを頂こうか」


「もちろんです。王様の分もありますよ。レミイ、王様の分の紅茶も」


 鈴の音のような澄んだ声で言うと、脇に控えた侍女が建物の中に消える。

 その姿を見る度に微かな胸の痛みとそれを上回る幸福感が包む。


 彼女、レシーナ姫は元々弟、フォルスの婚約者だった。

 だが、フォルスが森の中での事故によって帰らぬ人になったため、その兄である私の元に嫁ぐこととなったのだ。

 彼女の家のある国は我が国の属国。

 それを思えば、弟などよりも長兄である私の方が彼女や彼女の国にとっても都合が良いだろう。

 双方にとってメリットは大きい。


 だが、弟について私はレシーナに言っていない事……いや、言えないことがある。

 

 そんな事を考えていると、侍女のレミイが紅茶のポットを持ってきた。

 

「どうぞ。ジャスミンティーをお持ちしました」


「あら、これは前国王のお好きだった……」


「下げろ」


「……ですが、これはバルダ国から献上された最高級の……」


「あの男の好きな物を私に出すのか? お前は馬鹿か? それとも私に対する侮辱か」


「い……いえ、そのような……」


 顔を青ざめて震えるレミイに向かって、冷ややかに言った。


「二度は言わん、下げろ。別の物を持ってこい。躊躇するなら貴様の首をこのテーブルに置く事となる」


「かしこまりました」


 弾かれたように頭を下げると、レミイはポットを持って小走りで城の中に戻った。


「ねえ、クライフ。なぜ、お父様の事をそんなに……きゃっ!」


 レシーナに向かってティーカップを投げつけた私は、立ち上がりテーブルを離れた。


「二度と奴の事は言うな。文字通りお前や私が死ぬまでだ。私たちの人生にあの男や弟の情報が必要なのか? ゴミだろうが!」


「フォルスは……ゴミじゃない」


 涙を溢れさせながらつぶやくレシーナに向かって、私は舌打ちをしながら言った。


「ゴミだ。さっきのは聞かなかったことにしてやる。次言ったら離縁だ。貴様を国に送り返して……攻め込む。草さえ生えぬ不毛の地にしてやるからな!」


 妻の泣き声を背中に聞きながら、私は歩く。

 くそ。

 レシーナの泣き声を聞くと……弟の事を思い出す。

 あのカチンの森での事……弟のフォルスを我が剣で切り捨てた時の事を。


 そして……我が父アレック国王の命を奪った時の事を。


 ※


 私は何を求めていたのだろう?

 

 物心ついたときの最初の記憶は、父にしてもらった肩車だった。

 最も尊敬する地上で最高の男。

 

 その男よりも高い景色を見られる。

 それは誇らしく幸せだった。

 そんな時、いつも空を見上げた。


(僕、いつかお父さんみたいに、あのおっきな空も支配してあげるね! それでお父さんに全部あげるから)


(そうか。クライフがお父さんにあの空をプレゼントか……楽しみにしてるぞ)


 自分の世界はどこまでも広く、手を伸ばせば世界の果てまでつかみ取れる。

 そのつかみ取った物は自分と父の物。


 そう思っていた。


 数年して、本格的に第一王子としての修練が始まって……全ては変わった。

 それから私が覚えているのは父の、周囲の冷ややかな視線だった。

 それが私の事を値踏みしているのだと言うのは、子供ながらになんとなく理解した。


 地上で最高の男だと信じていた父。

 そんな国王アレックの第一王子にふさわしい男になりたい。

 そして、父に認められたい。


 それを糧にして吐きそうになるほどの剣術の訓練や、心に亀裂が入るような学びの日々を送ってきた。


 だが、そんな思いをあざ笑うように2歳違いの弟のフォルスは優秀だった。


 頭脳明晰で太陽のように明るく、周囲を暖かい気持ちにさせる。

 亡き母に似て容姿端麗で、ユーモアのセンスもある弟は誰からも愛されたし、尊敬された。 また、弱き者に歩み寄り助ける優しさも持っていた。


 私は父に似たのだろう。

 まるでゴーレムのような無骨を極めたような顔と表情。

 およそユーモアなど考えもしない。

 言いたくとも浮かばない。

 他者への優しさもよく分からない。

 物心ついた頃から父に、周囲に値踏みされてきた私に他人を思うなど考えられない。

 そんな事をしたら、足下を救われ後継者になれなくなる。

 

 それは父から見捨てられると言うことだ。


 少年の頃はまだ良かった。

 だが、年齢を重ねるにつれて周囲は父の後を継ぐ存在に弟の名を上げることが増えていた。

 そうだろう。


 優秀で優しく、容姿端麗な弟であれば国はさらに反映する。

 父のフォルスを見る目には慈しみがある。

 周囲の家臣どもも。

 そして……レシーナも。


 レシーナ。

 私の初恋の人。


 初めて見たとき、その可愛らしさと美しさ。そして日だまりのような暖かさに心を奪われた。

 彼女と一緒なら自分も人間らしくなれるのではないか?

 そう思い、彼女と僅かな時間でも話せるように周囲の家臣共や彼女の父を使い、レシーナを呼び寄せ2人の時間を作った。


 だが、彼女の私を見る表情は暗さを増す。

 なぜなんだろう。

 装飾品も食事も、ドレスもある。

 彼女がワルツが好きと聞いたので、最高の楽団を呼んだ。

 その場で演奏を失敗した奏者はその場で首にして、別の奏者に替えもした。


 だがレシーナは悲しそうに「あの方にも生活の糧が必要です。仕事を奪わないで」と言うばかりだ。

 その後、フォルスがしゃしゃり出てその奏者を呼び戻したらしい。


 その翌年、レシーナは弟と婚約した。

 父は嬉しそうに微笑んでいた。

 なぜ?


 その2ヶ月後。

 私が18歳の誕生日を迎えた日。

 神が私に最後の一押しを与えた日。


 その夜は強い雨の日だった。

 病に冒され、寝室のベッドで横たわっている父に呼ばれた私は、内心の高揚感を押さえながら寝室に入った。


 恐らく後継者の件だろう。

 父はもう長くない。

 最近は血を吐くことも増えた。

 彼には新たな王となる者が必要だ。


 私はここ2回の戦争で、大きな戦果を上げた。

 いずれも我が国に逆らう砦を兵糧攻めにし、味方の犠牲をほぼ皆無として砦の中の兵や住民を壊滅させた。

 大量の奴隷も確保した。


 父や弟に敵国の砦の中の、飢えによって戦意を失いきり死を懇願こんがんする敵兵や住民の姿を見せもした。 

 

「どうです? 味方に犠牲を出さず戦闘力を奪いきった我が策は」


 あの時の呆然とした父と弟の姿は忘れられない。

 私の勝利だ。


 私がこの国を統治すれば、より発展する。

 あんな甘ちゃんなどでは無理な話だ。


「王様、お呼びでしょうか」


 ※


 私は降りしきる雨音を何も考えること無く聞いていた。

 空洞になった我が身体に雨の音が響いているようだ。


 弟が……次期国王?


 先ほど、意気揚々と王のベッドに向かった私に、父が言った言葉が響く。


「次期国王は次男のフォルスとする。書記官よ。書き留めておけ」


「……なぜ」


「クライフ、お前はフォルスを支えよ。それこそが天がお前に与えた役目。お前はお前の立つべき場に立つのだ」


「父上、私の何がダメなのです。戦果では……剣の腕では……足りなかったのですか?」


「今のお前に言っても理解できまい。だが、弟を支えきって……未来になったとき分かるだろう。お前を後継候補にした私が間違っていた。すまなかった」


 その言葉は私の中の形を保っていた心を、まるで砂のように変えた。

 砂に変わった心は滑らかに冷酷に砕けて……流れた。


「私の……これまでは一体? 教えてください、父上。今の私に何があるのです? 王になること以外価値を教わらなかった……この滑稽こっけい木偶でくに」


「話は終わりだ。もうすぐフォスルが来る。去れ」


 雨の降る空を見上げる。

 暗闇が心地よい。

 そうだ……私の見上げた青空は。

 いつかつかみ取れると思っていた空は、幻だった。


 靴音が響く。


 音の方を見ると、心配そうに私を見るフォルスが王の寝室に歩いて行く姿が見えた。

 私は渾身の憎悪を込めて睨み付けた。


 私を……笑うな。

 お前が手に入れる全ては、私の物だ。

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