第3話

「はい、颯馬そうまさん。これ、今日のお弁当です」


 昼休みの事──美羽みうは俺の席まで来て、お弁当袋を机の上に置いた。


「朝、渡すのを忘れてましたから」


 すみません、と美羽が困った様に笑って付け足した。

 いつもお弁当は大体朝起こしに来てくれた時に渡してもらうので、今日はお弁当無しなのかと思っていたところだった。無いなら無いで構わないのだが、それは一日の楽しみが一つ減るというもの。とても寂しい事だった。


「おお、良かった。今日は無いのかと思ってたよ。いつもありがとうございます!」


 女神様の施しに、仏でも拝むように手を合わせて大袈裟に喜んでみせた。実際にそれくらい感謝しているし喜んでいる。

 一方の美羽はそんな俺を可笑しそうに笑って見ていた。


「颯馬さん、放っておくとまた購買のパンで済ませるじゃないですか」

「うぐ……よく御分かりで」


 俺は唸って、肩を落とした。

 もちろん、これは演技だ。こうすると美羽が嬉しそうに笑うのである。

 ただ、彼女がこうしてお弁当を作ってくれなかったら、購買のパンで済ませていたのも間違いなかった。


「颯馬さんの事なら何でもわかります。たとえば、今日颯馬さんがおかずで食べたいものとかも」

「へえ、それは興味深いな。是非当ててもらおうか!」


 俺は尊大な態度を取って、言ってやる。

 お弁当を作ってもらってこの態度である。周囲の男子から怨まれるのも当たり前だ。


「それは開けてみてのお楽しみ、です。それと、今日は颯馬さんの好きなものも入れておきましたから」

「え、なに?」

「それも見てからのお楽しみという事で」


 美羽は嬉しそうにはにかんで「お弁当箱は帰りに返してくださいね」と言って、自分の席に戻って行ってしまった。

 今のやり取りを見た同じクラスの女生徒にはからかわれているようだったが、どことなく彼女は嬉しそうだ。

 美羽は大体いつも俺と一緒にいるが、昼休みだけは自分の友達と食べる様にしているようだった。無論、俺もそれに文句を言う気はない。

 女性社会には女性社会のルールやコミュニティがある。高校生活を円滑に過ごす為には、彼女達とのコミュニケーションも大切だろうと思うのだ。

 一方の俺は──


「……おいコラ。手ぇどけろや」


 友人の席まで行くと、彼は俺に弁当箱を置かせないよう、体で机を覆っていた。


「や、やかましぃんじゃボケェ! あの天谷美羽ちゃんから手作り弁当作ってもらってるような奴と一緒に飯なんか食えるかアホ!」

「このやり取り、何回目だよ」

「俺の目の黒いうちは何回かてやったるわ、くそがあああああ! この薄情者! 非国民ッ!」


 血の涙を流しながら関西弁で俺を罵倒しているのは、友人の間島雄太まじまゆうただ。

 茶髪のツーブロックで、黙っていればイケメンタイプ。しかし、話すとこの通りアホなので、モテ期が永遠に来なさそうだ。

 雄太とれ高校入学後に入ってからの付き合いではあるが、今では一番の友達にして悪友。

 友達があまり多くない俺ではあるが、そんな俺といつも一緒に怠い絡みをしている人物──だったのであるが、美羽と付き合う様になってから、毎日これである。

 正直、よく飽きないなと思う。


「はいはい、非国民非国民。だから手ぇどけろ」


 机を覆い隠す事で無防備になった雄太のつむじを、親指でおもいっきりぐりぐりとしてやる。


「うわああああ! なにすんねん! つむじはッ、つむじだけはやめーや! 俺の祖父じいちゃんつるっパゲで親父おとんもまだ若いのに結構ハゲてきてんねんで!?」


 彼の抗議には耳も傾けず、彼のつむじを攻め続ける。あ、毛が抜けた。しかも毛根からごりっと。


「わかった! わかったからつむじはやめてや! 若禿げだけは嫌やねん!」


 こうして、ようやく雄太はスペースを空けてくれるのだった。

 俺はこっそりと抜けた髪を机の横に落として、前の椅子に腰掛けた。

 なに、とんでもなく酷い事をしている様だが、ほぼ恒例行事だ。というか、これが一番有効的で話が早く進むのでやっているだけなのだけども。

 彼の家系はどうやらハゲ家系らしく、父や祖父の毛髪具合を見て、今から不安で仕方ないのだと言う。そんなにハゲが不安なら染髪もやめたほうがいいと思うのだけども、禿げた方が面白そうなので黙っていた。


「……ンまに。おどれのその暴力的な解決手段は何とかならへんの⁉」

「お前が何もしなきゃいいだけの話だろ」


 毎日のこうした無益なやり取りは、ほぼ全て雄太の怠絡だるがらみが原因で生じている事だった。

 俺自身は穏やかに昼休みを過ごしたいのである。


「やかましい! お前に彼女いない歴=年齢の男の気持ちなんてわかってたまるかいや!」

「俺も二か月前まで彼女いない歴=年齢だったけどな」

「ぐぼらがばはぁっ!」


 俺の何気ない返答に、雄太は空中で三回転しながら吹っ飛んだ。軽く手を出したらクリーンヒットしてしまったらしい。

 血の涙を流して立ち上がる雄太を見て、溜め息を漏らしていると──美羽がそんな俺達のやり取りを見て、くすくす笑っていた。

 目が合うと、こちらに小さく手を振ってくる。そして、それを周囲の友達に見つかって、またからかわれていた。


「くそが……今のその一瞬のやり取りだけで殺意湧いたの、絶対に俺だけやあらへんで」

「はいはいそうだな、悪かったよ」 


 また面倒な事をやられても嫌なので、俺は適当に流して弁当箱を雄太の机の上に置いた。

 そして、弁当箱の蓋を開けて中を見ると……これまたおかずがたくさん入っていた。しかも、俺の好きなものばかりだ。


 ──そりゃ、これだけ入ってたら俺の今日食べたいものも好きなものも当たるだろ。


 美羽が嬉しそうにこちらを見ているので、俺も思わず笑みを浮かべて、『ありがとう』と口を動かす。

 すると、彼女も『どういたしまして』と口だけ動かして応えて見せるのだった。


「ぶち殺す……!」


 目の前からとんでもなく物騒な言葉が聞こえた気がしたが、敢えて気付かないふりをして、彼女の作った出し巻き卵を口に運んだ。


 ──んー、美味い。


 味もいつも通り、絶品だった。

 なに、実のところ正解も糞も何もない。俺は美羽に作ってもらえるものなら、何だって美味しいと思うし、何だって食べたいと思うのだ。

 毎日この昼休みが楽しみになるのも、俺の学校生活で変わった事だった。

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