第24話 苗作りと虫対策の準備


 さて苗作りだ。まずは苗床としてセルトレイを用意する。

 これは平らな板状の育苗パネルで、規則的に小さな四角いマス(セル)が並んでいるものだ。

 卵が入っているパックを広げたような感じとでも言えば、わかりやすいかもしれない。


 各マスに種を撒き、ここで苗まで育てたものを畑に植え替えることになる。

 利点は個々に分けることで、病気や害虫の拡散を防ぎやすいところ。

 健康な苗を安定育成しやすいのだ。


「ケースケさま。この『セルトレイ』、ですか? なぜ白と黒の2種類あるのでしょう」

「ん? ああ。店で二色売っていたからさ、なにか違いでもあるかと思って両方買ってみたんだ。大した意味はないよ」

「この一つ一つのマスに種を撒くんですね?」

「そう、マスあたり三粒くらいが良いらしい」


 種まき培土を詰めたマスに1センチほどの深さで穴を掘り、種を撒いていく。

 これもジャガイモ同様、玄関先の直射日光が当たらない場所に置いておくことにする。


「あれ、もうオシマイですか?」

「準備自体は手軽なものだな」


 終えるまで一時間も掛からなかった。

 ともあれこれで今、俺たちが手を掛けている作業は大きく三つになった。


 畑の土壌づくり、ジャガイモの芽出し、白菜の苗作り。

 どれも数週間の時間が掛かりこそすれ、当面は軽い水やりや様子を見るくらいが主な仕事だ。

 こう言っちゃなんだが、暇を持て余す。


 俺はネットを使って農作業のことを勉強し、レムネアは暇にあかしてジャガイモと白菜の種に向かって愛情を込めた言葉を投げかける日々。


「ケースケさま、芽が出てきてますよ!」


 四日ほど経った日の朝、レムネアが興奮気味に居間へと飛び込んできた。

 起きたばかりだった俺だが、その言葉にはやはり目が覚める。早足で玄関に行ってみると、トレイの各マスに緑の小さな芽が伸びていた。


「うん、順調そうだな」

「頑張ってくださいねー、すくすく育てー」


 育ってきたら、虫がつかないように気をつける必要があるらしい。

 アブラナ科の植物には虫が寄ってきやすい。

 水分と栄養が豊富なので、虫が好むのだ。


 どれくらい好んでいるかというと、好みすぎてアブラナ科の植物の匂いに対して敏感な嗅覚を持つように進化した虫もいるほどだった。

 どんだけ好物だよ。凄すぎだろ、話が途方もない。


「なるほど。虫から作物を守らないといけないわけですね」


 農薬も使っていかないとな。

 無農薬野菜とか需要あるらしいけど、とても初心者が手を出せるものじゃない。

 難しさが段違い。

 人が食べて美味しい野菜は虫も大好きなんだ、とか言われるほど虫に狙われるようだ。


 そういや化学農薬が使われ出したのってここ百年くらいの話だったと聞いたことがある。

 レムネアの世界ではそういうところはどうしていたのだろうか。


「私は作物作りに造詣が深いわけではないのでよく知らないのですけど……」


 それはそうだ、冒険者だもんな。

 うっかりしてた。彼女は消費する側だっけ。


「でも『虫がつきにくくなる魔法』なんてものはありますよ」

「へえ! それはいいな!」


 是非とも使って欲しい。

 俺がそう言うと、レムネアは困った顔をした。


「この魔法には触媒が必要なのですよ。「ミオン」という植物が必要でして」


 あちらの世界の植物なんか、揃えられるはずはない。

 残念、そうそう楽はできないか。


「あ、でも……」

「ん?」

「ミオンに似た植物をこちらの世界で見つけられれば、あるいは」


 あちらの世界では、比較的一年中見かける植物なのだという。

 日本は四季があるからな、あちらとは環境も違うと思うがどんなものか。


「ちょっとミオン探しをしてみたいのですが、どこか植物がたくさん生えている場所はありませんか?」

「うーん」


 腕を組んで考える。

 ここは田舎だから、管理されてない空き地も多い。

 そういうところには色々な植物が自生している。


 空き地を回ってみるか?

 それ以外だと……。


「山に入ってみるとか」


 山は草木の宝庫だもんな。このあいだ三人娘と遊びに行った滑り丘の先はちょっとした裏山になっていて、そこが森のようなものだったはず。


 行ってみたいです、というレムネアの言葉で、俺たちは朝食後に裏山へと行くことになったのだった。


 ◇◆◇◆


 山といっても高くそびえ立つ類のものじゃない。

 標高云々言うのもおこがましい、本当にちょっとした『裏山』だ。


 木がたくさん生えていて、草もボーボー。

 普段人が立ち入ることも少ないのだろうことがよくわかる。


 というか蚊も多い!

 虫よけスプレーを持ってきて正解だった。

 俺たちは追加でシューと虫よけスプレーを身に吹き付け、中へと入っていく。


「山の中って不思議と落ち着くよな」


 ジーワジーワ、とうるさい蝉の声すらも心地好い環境音に聞こえてしまう。

 夏なのに、木陰だと少し涼しげな空気なのも気持ちいい。

 大きく深呼吸すると、森特有の匂いがするような気がした。


「そういうものですか? 私は落ち着きませんけど」


 眉をひそめたレムネアは両手で杖を握りしめていた。


「どこから魔物が出てくるか、気が気じゃありません。森での薬草や香草の採取は初心者冒険者の仕事ですけど、案外それでも毎年命を落とす人は居るんですよね」

「どれだけハードな世界観に生きてきたんだよ。この世界に魔物が居ないことくらいはそろそろわかっただろう?」


 俺は苦笑した。


「魔物がいなくとも、猛獣は居るかもしれません」

「この辺で熊が出るとか聞いたこともないなぁ。もっと気楽にしていいと思うぞ?」


 イノシシ辺りは居るかもしれないが、こっちが害意を見せない限りは襲ってくることはほとんどないと聞いたことがある。


「なので、そういう緊張した敵意をまき散らすのが一番良くないんじゃないか?」

「う……。わかりました」


 レムネアは耳を垂らして杖をどこかに仕舞った。

 大人しく植物を探していこう。落ち葉を踏みしめながら、山の奥へと入っていく。


 注意深く山の中を見てみると、結構キノコなんかが生えている。

 残念ながら俺にはキノコの知識がないので、食用と毒の区別がつかない。


 ワクワクする気持ちに後ろ髪を引かれながらも、今日のところは諦める。

 そのうち勉強して、キノコ狩りと洒落込みたいな。


 なんて思っていると、横でレムネアがキノコを採りだした。


「お、おいレムネア! キノコは危ないぞ!? 毒のだって混ざってるんだから」

「大丈夫です。こっちのキノコは、ウチの世界のキノコにそっくりです。これなら毒かどうかの判断ができると思いますよ」

「ホントかぁ?」

「これならミオンに似た植物もあるかもしれませんね。もっと奥に行ってみましょうケースケさま」


 提案のままに先に進む。

 木が密集する奥へいくほど草が減っていくのは、日の光が遮られがちだからかもしれない。


「あ……、これ」


 前を歩いていたレムネアがしゃがみ込んだ。


「これですこれ、ミオン!」

「どれどれ? ――って、ヨモギのことか?」

「こっちの世界ではそう呼ぶのですか? 私の世界だと、これを燃やして虫よけに使うんですよ」


 そういえば、確かヨモギには蚊などを散らす効果があったっけな。

 虫が嫌う成分を含んでいるのだとかなんとか。


「魔法の力で効能を拡大して、様々な虫を寄せ付けなくなる薬品を生成することができます。作物に吹き付けたり刷毛で塗ったりすれば、害虫の被害をテキメンに減らせます」

「……用法は農薬に近そうだな。魔法由来の農薬ってところか」


 農薬みたいに人体に悪影響はないのだろうか。

 そこを聞いてみると。


「ありませんよ。その辺は確か研究書が幾つもあって、長い歴史の間に色々と検証されたようです」

「それはいいな。悪影響のない農薬ってことじゃないか」

「とにかくミオンを持てるだけ持って帰りましょう。さっそく薬をお作りしますので」


 俺たちは持ってきた袋の中に、採れるだけのヨモギを詰め込んだ。

 もう持てないな、というくらい集めて、さて帰ろうかといった段になって気づく。


「あれ。帰りはどっちだっけ」


 作業に夢中になって、方角を見失った。

 なだらかな山の傾斜と方位磁針で一応のメドを付けるが確信が持てない。

 しまったな、山の中に深く入りすぎた。迷ってしまったぞ。


「たぶん……あっちに向かえば良いと思うのだけれど」


 俺が自信なくそう言うと、レムネアがあっけらとした顔で小首を傾げた。


「方角がわからなくなったのなら、飛べばよくありませんか?」

「は?」

「いえ。こんな山の中で、よくわからない方角へと歩くよりは、空を飛んで上から抜けてしまうのが簡単じゃないかと思って」


 なにを言ってるんだコイツは、と一瞬思ったが、そういえばと思い出した。

 ウチに初めてきたとき、レムネアは空を飛んでどっか行ったんだった。


「お、俺も一緒だけど、飛べるの?」

「もちろんですよ。いえ、そんな大量の人数を一度に飛ばすことはできませんけど、ケースケさま一人くらいならなんの問題もなく」

「マ、マジかよ」


 飛べるの!? 飛べちゃうの!?

 思わず聞き返してしまった。空を飛ぶって、結構な憧れなんだけど! そんな簡単にって、うわわっ!?


 言うが早いかレムネアは杖を持ち出して、なにか呪文を唱える。


「うわわわわーっ!?」


 空が落ちてくる。いや、俺の身体が空の中に落ちていく?

 それは錯覚だ。


 正確にはヨモギを詰め込んだ袋ごと、俺が空に浮かび上がっていったのだ。

 一定の高さまで『落ちた』俺の身体は、空の底で止まった。


「えーと……。はいケースケさま、おうちはあちらですね」


 冷静な声で、レムネア。

 しかし俺は、この初めての体験に冷静では居られない。


「す、凄い。夢じゃないよな、空飛んじゃってるんだよなこれ」

「? はい、そうですけど」


 地上が遠い。

 足元に地面がないという感覚は、なんとも不安なものだった。

 身体のバランスをうまく取らないと、クルリと上下が入れ替わってしまいそうな不安定さを覚える。でも。


「ふおお、楽しい。気持ちいい」


 はしゃぐ俺を、不思議そうな目でレムネアが見つめる。


「な、なんだよその目は」

「いえ。ケースケさまが子供みたいだなーと」

「レムネアだって、初めて空飛んだときはあるだろ。そのとき興奮しなかったのか?」

「……したような、しなかったような」


 すみません覚えてません、と首を傾げる彼女をスルーして、俺は興奮気味に伝えた。


「レムネア、もうちょっと飛んでいたい!」

「構いませんよ」


 俺の要請に従ってくれたレムネアは、縦横無尽に空を飛んでくれた。

 風を切りつつ雲を抜ける。

 眼下の小さな町を見ながら、俺は笑った。


「飛んでる、俺はいま、空を飛んでるぞー!」

「ふふ」


 俺が笑っていると、レムネアも笑顔になってきた。


「楽しくないか、レムネア!?」

「そうですね。ちょっと楽しくなってきた気がします」


 彼女は、宙返りをしてくれたり急降下をしてくれたり、サービス精神旺盛に俺を楽しませてくれた。


「ひゃー!」

「こんなのはどうでしょう」

「サイコー!」


 飛んで、飛んで、飛んで。

 やがて俺たちは、ウチの庭に着地した。


「ありがとう楽しかったよレムネア」

「ふふ、私も途中から楽しんでしまいました。悪くないですね、こういうのも」

「また今度、ぜひたの――」


 頼むよ、そう言おうとした俺の顔は、きっとひきつっていたに違いない。

 何故なら俺たちの前に、目を真ん丸にした三人の女の子が立っていたからだ。


「いま……レムネアおねーちゃんたち、空飛んできた、よね?」


 リッコ、ナギサ、美津音ちゃんがそこにいたのだった。


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魔法バレ!ぴゃー!



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