第48話 チグハグな会話

 アマンダさんが無事カーティスさんにお誕生日の贈り物をしてから数日後、執務室の机周りを掃除している時に、ふと、旦那様の視線を感じた。

 顔を上げ、本棚の辺りに立っている旦那様の方を見ると、明らかにこちらを見ていたはずの旦那様がふい、と私から視線を逸らし、手元の本に目を向ける。


(……? 何かご用があるわけではないのかしら……)


 角の埃を丹念にはたきながら、頭を巡らせる。旦那様は何か私にご用がある時には、いつも躊躇なく声をかけてくる。けれどここ数日、旦那様は寡黙だ。私が執務室にいても、いつものように「ミシェル、そっちの書簡の仕分けを頼んでもいいだろうか」などと声がかかることがほとんどない。けれどこうして黙って掃除をしていると、気付けば旦那様がこちらをジーッと見ていることがあるのだ。

 命じたいことがあるのならば、遠慮なく声をかけてほしい。もしくは……何か気付かぬうちに粗相でもしてしまっていただろうか。私に注意すべきかどうか悩んでらっしゃる……?

 こうして机の上の片付けが終わり、しゃがみ込んで側面を乾拭きしている今も、背中に旦那様の視線をピリピリと感じるのだ。絶対に何か、よほど私に訴えたいことがあるに違いない。今ならカーティスさんもお使いに行っていていないのだから、余計に話しやすそうなものだけど……。

 すると、旦那様がこちらに近付いてきた。軽く咳払いをしながら、執務机の前の椅子に座る。そのタイミングで、私の机周りの掃除も終わった。私は静かに立ち上がり、旦那様に告げる。


「本日のお掃除は終わりました」

「……ああ。ありがとう」


 このまま挨拶をして部屋を出ていっていいものだろうか。しばし悩んでいると、ついに旦那様が私の顔を見て口を開いた。


「……最近はどうだ? 何か困っていることはないか」


(……困っていること?)


 私の様子をやけに気にかけているように感じたのは、私の近況が知りたかったからだろうか。


「いえ、特にございません。皆さんにはよくしていただいてますし、変わりなく働けています」

「……そうか。それならいい。……先日、君とカーティスが庭のところで二人で話をしていただろう。君が何か相談事でもしているのかと思ってな。気になっていた」


 その言葉を聞いた私は、ようやく納得した。なるほど。私がカーティスさんを呼び出して悩み相談をしていたと旦那様は思ったわけね。だから最近やけに私のことを気にするようなそぶりを見せてくれていたのか……。


(なんてお優しいんだろう。使用人一人のためにそこまで心を配ってくださるだなんて……。やっぱりこの方神様かもしれないわ)


「いえ、全然。そのようはことではございません。ご心配なく。ありがとうございます、旦那様」


 私は今度こそ「では、失礼いたします」と挨拶をして踵を返すつもりだった。

 けれど、旦那様はまだ言葉を続ける。


「……では、一体何の話を?」

「……え?」

「あの日、庭で二人で何を話していたのかと思ってな。カーティスに聞いても、秘密ですとしか言わないが。……何か他人に聞かれたくない、特別な事情でも?」

「…………っ、」

 

 やけに真剣な目で私にそう問いかける旦那様は、なんだか普段よりも切羽詰まって見える。私は焦った。どうして旦那様はあの時のことをこんなに気にするのだろう。……まさか。


(……え? 私、カーティスさんに対するやましい感情があるんじゃないかって、疑われてる……!? やっぱり私、ハリントン公爵邸の風紀を乱す悪女だと思われてる!?)


 それを言うならアマンダさんだってカーティスさんに恋をしているわけだけど、長年働いて実績を積んできている彼女と正式採用からまだ日が浅い私とでは、おそらく旦那様の信頼度も大きく変わってくるだろう。私は慌てて全否定した。


「違うんです! その……! ち、ちょっと気になったものですから! 皆さんお休みの日には何をされてるんだろうなーって。ア、アマンダさんや他の方にも尋ねてみたんですよ。ほら、私も最近時々お休みをいただけたりしますが……その、な、何をして過ごせばいいかよく分からなくて……あは。それでその、休憩時間に聞いてみたんです。カーティスさんはどんな風に過ごしてらっしゃるのかなぁって、はい。ふ、深い意味は、一切、ございません……っ!」

 

 冷や汗をかきながら精一杯の苦し紛れな言い訳をしていると、旦那様がさらに私を追い詰める。


「……それは、カーティスに対して遠回しにデートの誘いをしたということではないのか」


(…………っ!?!?)


「まっ! まるっきり違います!! そんなつもりは微塵もございませんでした!」

「……そうか」

「ご……誤解を招くようなことをしまして、大変申し訳ございませんでした、旦那様。もう決して、男性の方と二人きりで私的な会話などいたしませんので……!」


 私は必死だった。旦那様の信頼を失えばここを追い出されてしまう……! せっかくこんなにいい職場なのに!

 すると涙目になって全力で謝罪する私を見た旦那様が、突然気まずそうな表情を浮かべ、口元に手を当てながら私から視線を逸らす。……なぜ耳朶が少し赤いのだろう。


「……いや……そこまでは言っていない。私は別に……、君を束縛するつもりでは……」

「……え?」


 何やらボソボソと呟く旦那様に問いかけると、旦那様は咳払いをして手元の書類を触りはじめた。


「……すまなかった、ミシェル。君が何も困っていないのなら別に構わない。休憩時間くらい、自由に過ごせばいい」

「……は……はい……。ありがとうございます、旦那様」


 なんだか分からないけれど、ひとまず納得してもらえたみたい。よかった……追い出されずに済む……。


 私は心底ホッとしながら、旦那様に挨拶をして踵を返し、執務室を辞そうとした。すると後ろから、旦那様の静かな声が追いかけてくる。


「……君は特別な想いを寄せている相手がいるわけではないのだな?」

「っ! は、はいっ。もちろんそのような方はおりません」

「……そうか」


 振り返って答えた私に、旦那様がそう言って少し微笑んだ。

 廊下を歩きながら、なんだかやけに騒がしい自分の鼓動を持て余し、私は大きく息をついた。





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