第30話 アマンダさんとの会話
ブレイシー侯爵令嬢のその言葉に私はあ然とした。冗談じゃない。そんな誤解をされたんじゃたまらない。
「ち、違います! 断じてそのような……、私は本当に……」
「ロイド様の地位や麗しさに惹かれて、籠絡しようとしているのでしょう。身の程知らずの浅ましい子ね。いい? 命じておくわ。あの方に近付こうとするのはお止しなさい。お前ごとき卑しい小娘を相手にするようなお方じゃないの。もしもロイド様にほんの少しでも目をかけていただこうとしているのなら……必ず後悔させてみせるわ。私を怒らせないで」
(え……えぇ……!?)
と、思わず声を上げたくなった。なぜ? なぜここまでひどいことを言われなければならないのだろう。私はハリントン公爵家のただのメイド。旦那様に近付こうなんて思ってもいないし、ましてやそれを他家のご令嬢にこんな風に咎められる筋合いもない。
けれど……ここで不用意に反論してこの方を怒らせてしまったら、それが旦那様のご迷惑になるかもしれない。お二人がどんなご関係かは分からないけれど、家柄が王国の重鎮同士であることは明らかだ。
そう思った私はぐっと堪え、静かに俯いた。
ご令嬢が出ていき仕事に戻る時、アマンダさんが気遣わしげに謝ってくれた。
「ごめんなさいねミシェルさん。何も言ってあげられずに、私……」
「っ! そんなこと、気にしないでくださいアマンダさん! 私たちの立場で、あんな高貴な方に許しもなくお声をかけることなんて絶対にできないのは、私にだって分かってますから」
慌ててそう言うと、アマンダさんは少し微笑んだ。
「ありがとう……。さ、気を取り直してお仕事しましょう」
「そうですね! ……あの、でも、その前に確認しておいてもいいですか? あのブレイシー侯爵令嬢という方は、旦那様とはどういう……?」
今後のためにも一応ある程度頭に入れておくべきだろうと思い私がそう尋ねると、アマンダさんは困ったように小首を傾げた。
「私たちも詳しいことは分からないのよ。でもね、あのご令嬢は旦那様に会いに、定期的にこの屋敷を訪れているわ。あくまで予想だけど……旦那様に想いを寄せておられる方じゃないかしら」
「……ですよね。どう見てもそんな感じでしたよね」
「ええ。ご令嬢はああやってお見えになるのだけど、ご両親が顔を出されたことは私の知る限りないわ。お家同士が特別懇意にしているわけでもなさそうなのよね。それに、可愛いあなたにいきなり噛みついたのも、きっと不安になったからだと思うわ。旦那様があなたに特別な感情をお持ちになるのではないかって」
「えぇ? ふふ、まさかそんなこと。あり得ないですよね。こちらもそんな気持ちは一切ありませんし」
アマンダさんの言葉に、私は思わず笑ってしまう。あんな華やかな美貌を持つ侯爵家のお嬢様が、私なんかにそんな対抗意識を燃やしたのだとしたら驚く。お門違いにもほどがあるわ。
するとアマンダさんは私の顔を覗き込むようにして、いたずらっぽく微笑んだ。
「あら? そうなの? 旦那様、とても素敵な方でしょう? 思わずときめいちゃったりしない?」
「いいえ、全然。そりゃ、お優しくて素晴らしい方だとは思いますが、あまりにも畏れ多くて……。私にとって旦那様は命の恩人ですから。ご恩返しをする以外の目的でここにはおりませんもの」
きっぱりとそう答えながら、実は内心ちょっとドキドキしていた。アマンダさん……、も、もしかして今、私の気持ちを探ってる……? この子も自分と同じように、旦那様に恋をしているんじゃ、みたいな……。
“アマンダさん、旦那様にひそかに想いを寄せている説”が私の中で濃厚になりつつあるので、本心だとしても私の言葉はより慎重になる。アマンダさんを不安にさせたくはない。
私の返事を聞いたアマンダさんはクスリと笑い、「旦那様があなたを信頼している理由が分かる気がするわ」と言った。
「じゃあミシェルさんは、好きな男の人とかいないの?」
「私ですか? はい、特には。恋愛とは無縁の人生でした」
そう答えると、アマンダさんは可笑しそうに肩を揺らしながら言った。
「ふふふ……。あなたの人生はまだまだこれからでしょう? まるで達観したおばあさんみたいなこと言って」
「あ、本当ですね。……これまでは、無縁の人生でした」
「ふふ。そうよ。これからは分からないわよ」
そんなことを話して笑いながら次の掃除場所へと向かいつつ、私はさっきのご令嬢のことを思い返していた。
(ブレイシー侯爵令嬢……。あんな方だったのね。パドマがよくエヴェリー伯爵夫人と話していたわ、彼女のことを……)
伯爵邸にいる頃何度も耳にしていた、あの二人の会話をふと思い出す。
『あぁもう……! 本当に嫌になるわ、あの人!』
『また学園でディーナ・ブレイシー侯爵令嬢に何か言われたの? パドマ』
『そうよお母様! ディーナ様ったら、今日のパドマさんの髪飾りは趣味が悪いだの、靴もまともに選べないの? だの、あなたはいつも気が利かないわねだの……。機嫌の悪い日はこうだから困るのよね。私に八つ当たりばっかりよ。もううんざり!』
『ま、相変わらず高慢ちきなご令嬢だこと。……でもねパドマ、分かっているでしょう? ブレイシー侯爵令嬢のご機嫌を損ねちゃダメよ。そんな日でも耐えて。今のうちからあのブレイシー侯爵家の娘との関係を密にしておくのは、後々我が家にとっても有利になるはずよ。侯爵夫人は社交界の重鎮だし』
『分かってるわよ! だから我慢してるんでしょう』
……あれらの会話から察するに、パドマとブレイシー侯爵令嬢がよく見知った関係であることは間違いない。パドマはご令嬢の取り巻きのような存在だったのだろうか。
(……まぁ、だからといって私がビクビクすることでもないとは思うけど……。別にパドマがここに来るわけじゃないし、私が彼女たちと会うことは、もう二度とない。……はずだものね)
そんな出来事があった、その翌週。
そのブレイシー侯爵令嬢が、再びハリントン公爵邸を訪れた。
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