第27話 帰宅の後に
その後街のレストランで公爵に食事をご馳走になった後、老人ホームや養護施設などをもう数ヶ所まわり、夜にはハリントン公爵邸に戻った。カーティスさんが荷物を片付けに行っている間、執務室に呼ばれた私は、公爵から礼を言われる。
「君を連れて行ったのは正解だったな。どこでも喜ばれた。あそこの子どもたちにとっても、いい一日になっただろう。……ありがとう」
「いえ、そんな。私の方こそありがとうございました。いろいろな施設を見て勉強になりましたし、領民の方々との触れ合いは楽しかったです。ハリントン公爵領は本当に、素敵なところですね」
それは心からの言葉だった。いくつか行った施設では皆健やかな日々を送っていることが確認できたし、公爵もカーティスさんも、怯えられることも嫌がられることもなく皆に笑顔で歓迎されていたから。
ハリントン公爵は少し言葉を詰まらせ私を見た。そして次の瞬間、柔らかい笑みを浮かべる。
「そう言ってもらえてよかった」
その笑顔になぜだか少しドキッとした私は、慌てて挨拶をして執務室を出ようとした。けれどその時、机の角の埃が再び目に入る。
少し悩んだけれど、私は思いきって口を開いた。
「……あの、公爵様。差し出がましいことを申し上げますが、少しだけ、こちらのお掃除をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「……掃除? カーティスが適当にやってくれているはずだが」
「は、はい。床とか綺麗ですものね。ですが、ちょっと……お仕事をされる大切な机の周りが、気になってしまって」
執務室の掃除もカーティスさんがしてるのかと、私は驚いた。重要書類も多く置いてある場所だから、使用人の誰しもに勝手に出入りさせたくはないのだろうけど。
「……君がするというのなら、頼もうか」
「あ、ありがとうございます!」
どんな感情でいるのかよく分からない無表情な公爵のその言葉を受け、私は急いではたきやタオルを取りに行き執務室に戻ると、公爵の目の前で手際よく机周りの掃除を終えた。慎重に書類を動かして隅々まで机を拭き上げた後は、寸分違わぬ場所へと全ての書類を戻していく。
公爵は黙って私のことを見ていた。……何か変な動きをしないかと探っているのかもしれない。そんなに心配しなくても、書類を盗み見たり持ち出したりしないんだけどな。でもまぁ、警戒するのも分かる。重要書類はたくさん置いてあるだろうし、私はまだこのお屋敷にやって来てたった数週間の、赤の他人なのだから。
「終わりました。では、私はこれで失礼いたします」
不審に思われないようにと、掃除が終わった後私はすぐさまそう言って、執務室を辞すことにした。机周りはピカピカにしたし、もう満足だ。素晴らしい公爵様にはぜひ、綺麗な机でお仕事していただきたい。
「ああ。……ありがとう」
そう言いながら、ハリントン公爵は左手だけで器用に上着のボタンを外しはじめた。暑いのだろうか。少しもたついているその動作が気になって、私は無意識に公爵のそばに近付くと残りのボタンをサッと外し、上着を肩から優しく脱がせた。いまだギプスに固定されている右腕を動かさないようにと注意しながら。
「こちらにかけておきますね」
部屋の奥にコート掛けがあったので、私はてきぱきとハンガーに上着をかけると、「では今度こそ失礼いたします」と言って部屋を後にした。扉を閉める前に、公爵の咳払いと、もう一度「……ありがとう」と呟くように言う声がした。
気になっていた机の埃を掃除できてスッキリした私は、意気揚々と自分の部屋まで歩く。けれどそのうちに、ふと思い至った。
(……いや、ちょっと待って……。いくらなんでも、公爵様のお体に勝手に触れるのはやりすぎだったんじゃ……)
短時間で効率良く掃除をした、その気持ちのシャキッと感そのままについ手を出してしまったけれど、さすがに出しゃばり過ぎだった……かもしれない。よくよく考えれば、女性嫌いの公爵様が私に勝手にボタンを外されたり上着を脱がされたりしたら、不快に思われるのも当然なのでは……。
(……わ、私……ものすごく余計なことをしてしまった、かもしれない……)
そう気付いた途端、気まずさと気恥ずかしさ、空回りしたかもしれない自分のみっともなさに一気に冷や汗が出る。どうしよう……。もしかしたらハリントン公爵は今、私に腹を立てているかもしれない。不快な小娘だ、ちょっと視察に付き合わせたら調子に乗って……なんて思われていたら……。
(私……追い出されちゃう……!?)
しまった、やりすぎた。そんなことを悶々と考えながら、その日は夜中までなかなか眠れなかった。
けれどその翌日、いつも以上に気合いを入れて一日中一生懸命働いた私は、夜になって再び公爵の執務室に呼ばれた。
ビクビクしながら行ってみると、またカーティスさんから「ほらよ」と、大きな箱を渡される。意味が分からず、机に向かっている公爵に視線を向けた。すると、
「……昨日視察に行った時に気付いた。君の靴が随分と傷んでいることに。まともな靴も必要だろうと思ってな。あとで履いてみて、サイズが合わないようなら教えてくれ。交換する」
いつものように左手で書類を捲っている公爵は、私の方を見ずにそう言った。
「……っ、あ……ありがとうございます、公爵様……!」
驚きと喜びで胸がいっぱいになる。両手で箱を抱きしめるようにしてお礼を言うと、公爵は書類に視線を落としたまま「ああ」とだけ言った。
部屋に戻って、そっと箱を開けてみる。そこにはショートブーツと短靴が入っていた。どちらも上等そうな革製で、刺繍やボタン、レースなどで可愛らしく装飾がなされている。
どうやら嫌われてはいないらしいとホッとしたのと同時に、公爵の細やかな心遣いに感動し、私はますます彼に対しての敬愛の念を強くしたのだった。
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