魔王が勇者と呼ばれるまで
@daibouzu
第1話 勇者と呼ばれるまでの物語よ
第1話 勇者と呼ばれるまでの物語よ
壁も床もすべてが無機質な白で統一され、まるで何も存在しない空間のようだった。家具などの気配もなく、物音ひとつ聞こえない。静寂が押し寄せるようなこの場所で、唯一の光源は、窓から差し込む淡い月明かりだけだった。
「なんだこれは」
自分でも不思議なくらいに冷静な声が、虚ろな空間に響き渡る。その声を掻き消すように、月明かりが少しずつ強まった。
わずかな光が部屋の隅々まで広がり、そこにあった“何か”が見えてきた。
一枚のキャンバス。
そのキャンパスは重ねた年代をその身に揺蕩せていたが、決して劣化を感じさせるものではなく、大切に管理されていたことがわかる思わず手を伸ばし、その冷たい表面に指先が触れるようとした瞬間ーー
ガタンッ!
突然、重い音が背後から響いた。反射的に振振り返った先には、今まで気配すらなかったはずの一人の老婆が立っていた。
「驚いた……」
彼女はそう言うと、しわがれた声をかすかに震わせながら、ふっと笑みを浮かべた。その笑顔には、どこか慈愛が交じり合った妙な温かさがあった。黒いベールのような服に身を包んだその姿は、月明かりに照らされ、薄暗い部屋の中でぼんやりと浮かび上がる。まるで夢の中の幻影のようだ。
「……それはこちらのセリフだ」
老婆の言葉に、俺は一瞬、息を呑んだ。彼女は何の前触れもなく現れたのだ。しかし、不思議と恐怖は感じなかった。
「お前は誰だ?」
そう問いかけてみたものの、老婆も何も言うことはなくゆっくりとこちらに歩み寄る。怪しさを感じずにはいられなかったが、そのことについて言及する気にはなれなかった。彼女の足音は、驚くほど静かで、まるで床に触れていないかのようだった。
「私はねぇ、この絵を見にきたのよ」
彼女は先ほどの薄笑いを浮かべながら、キャンバスをじっと見つめている。
「絵……?」
「そうよ、とある英雄……いや、勇者の絵よ」
疑念を含んだ俺の言葉にそう老婆は誇らしげに返した。その目はまるで、何か特別なものを見ているかのように輝いている。
「勇者ね……」
老婆の言葉を反芻するが、どうにも腑に落ちない。俺が見ている限り、このキャンバスに、そんなもの、が描かれているとは思えなかった。
「あら、疑っているの?」
老婆は口元に薄い笑みを浮かべながら、黒ずんだ指先で古びた額縁をなぞった。そのしわがれた声は、静かな部屋の中に妙に響いた。
「当然だ」
俺は冷静に老婆に返す。しかし、老婆はそれを全く気にする様子もなく、楽しそうに笑い声を立てた。
「ふふふ、それも仕方ないことかもね、なら私が教えてあげるわよ。この絵にまつわる、長い長い勇者譚をね――」
老婆は軽い調子で言い、絵の前に立つ。どうせやることもないし、俺は半ば投げやりに、彼女の話を聞くことにした。
老婆は満足そうにうなずき、ゆっくりと語り始めた。
「これは、魔王と呼ばれた男が人間界に降り立ち、様々なものを助け、勇者と呼ばれるまでの物語よーーー
ーーー
出かけるなら今日にしよう。今日は魔王が勇者に撃ち倒されて、ちょうど100周年の記念日だ。そんなこともあって、街全体が一大イベントの祭りムードに染まっているはずだ。とはいえ、祭りに参加するためだけに人間界に行くわけじゃない。今日は、あのギルドの入団試験が行われる日でもあるのだ。
仲間たちに別れを告げたあと、私は魔族の特徴を封じた。普段の私なら黒い角も鋭い爪も隠す気などなかったが、人間界では目立ってしまうのは避けねばならない。人間たちに見つかれば、面倒ごとが増えるのは目に見えている。
魔界ではどこでも自由に飛んで移動していたが、ここではそうもいかない。仕方なく、馬車を使うことにしたのだ。正直言って、こんな鈍重な乗り物にはあまり乗り気ではなかったが、目立たないためには我慢するしかない。
馬車の中はやけに狭く、進みも遅い。私にとっては少々息苦しい。揺れる車内で、無理やり体を預け、ぼんやりと窓の外に目を向ける。緑の木々が続き、木々の奥には小鳥が鳴き声と共に見え隠れしていた。どこを見ても平和だ。
「おい! 聞いているのか!?」
突然の怒鳴り声で思考が中断され、徐に顔を上げた。今のは馬車の御者、私はぼんやりと先頭に視線を向けると、馬の手綱を握った老人が、こちらを鋭く睨みつけていた。
「この馬車が遅すぎるという話か?」
「違う!」
老人はより不機嫌そうな顔になりながら、再び声を荒げた。
「タダで馬車に乗せてやってんだから、用心棒の仕事くらいきっちりこなせって話だ!!」
別に歩いて向かってもよかったが、偶然この馬車が通りかかったのを見つけて、「一緒に乗せてくれないか?」とお願いしてしまったのが発端であった。すると、老人は「用心棒として魔物を倒してくれるってんなら、乗せてやらんこともない」との条件を出してきたので、それに乗っかった形である。
「もちろん、警戒は怠っていない」
しかし、この老人はまだ信用していない様子であった。
「本当か? 襲われたらひどいぞ?」
「大丈夫だ、こう見えて結構強い」
自信をもって答えたが、老人はより不安そうな顔をしている。
「安心なさい、そこの少年は間違いなく強い、このお姉さんが保証するワ!」
やけに弾んだ声が馬車の中に響いて、声の主を探すと、膝まで隠れる緑のローブを着た女性が目に入る。年齢は……30代くらいか? だが、どこか妙に若々しく見える。
「この私を評価するとは、なかなか見る目があるな」
「それも当然よ! 『無敵寒隊』とは私のことだから!」
女性は胸を張って答えた。すると、御者の老人がすかさずツッコミを入れる。
「嘘はよせ、嬢ちゃん。『無寒』ってのは、魔族とバチバチやり合ってた昔の英雄だろうが。今じゃ100歳を軽く超えたババァのはずだぞ?」
「嘘じゃないし、信じなくてもいいけどネ。それよりさ、少年、あんた名前は?」
「フォルティスだ」
「フォル君ね……で、フォル君、あんたは何しにリンベルへ?」
「勇者になるためだ」
女性は目を丸くし、次にニヤリと笑った。「ほう、勇者志望か。いいねぇ、夢があって」
「ゆ、勇者だぁ!?馬鹿かお前は?もう魔王もいないのにどうやってなるんだよ!!」
素っ頓狂な声に驚いた馬を宥めながら、こちらに目線を送る業者。
「勇者の定義をここで論じてもいいが、少なくとも彼は魔王を討伐したから勇者なのか?」
強きをくじき弱きを助ける、それを体現した彼の敵は大半が魔王に連なる魔族や魔物であったが、時には同族にもその刃を向ける羽目になった。魔族と手を組み圧政を強いる王族たち、徒に殺戮を繰り返す強盗団、命を顧みない実験を行う研究所など、魔王を討伐する道中様々な者達を救い、いつしか勇者と呼ばれるようになったのだ。
「何が言いたい?」
「多くのものを救ったから勇者と呼ばれるようになったのではないのか?」
「それも、そうだけどよ……」
「ふーん、じゃあ【ニーベルゲンの剣】にでも入るのかしら?」
「そうだ」
【ニーベルゲンの剣】とは数ある冒険者ギルドの中でも最大規模を誇り、かの勇者のパーティが所属していたことでも知られる伝統あるギルドだ。そのギルドが入団試験をやるとのことでタイミング的にも最適だったというわけだ。
「うーん、あなたの実力ならきっと受かるでしょうけど、もし何かあたら【クードルーンの杖】を訪ねなさい」
「頭の片隅に入れておこう」
「【クードルーンの杖】……どっかで聞いたことが……」
「ところでご老人、ここからそう遠くない位置に魔物が待ち構えているぞ」
「なんだって!?もっも早く言えよ!」
「安心しろ、すでに片付けておいた」
「は?」
「あともう1体、猛スピードでこちらに向かってきている」
「なんだと!?早く退避するぞ!」
「心配するな、もう倒した」
「……俺のことからかっているだろ」
「……??」
「あぁ、もういい!あとちょっとで着くからそれまで大人しくしてろ!全く……とんだ変なやつを乗せちまったもんだぜ!」
悪態をつきながら馬に鞭を振るう業者の男、からかったつもりは全くなく、実に心外である。
ーーー
リンベル近郊の森に熊の魔物が出現し、討伐せよというクエストが発令された。情報収集を兼ねて現場に向かい、できればそのまま討伐を済ませようと考えていたのだが、そこで目にした光景は予想外のものだった。
「これは……」
「すでに片付いてますね……」
目の前には、巨大な熊の魔物の屍が横たわっていた。致命傷を受けたその姿は、異様なまでに整然としている。
「このクエストを受けたのは俺たちだけだよな?」
「はい……ですが、偶然遭遇した冒険者が倒したとか?」
後輩の言葉に一理はある。しかし、それならば通常、少なくとも魔物の素材を剥ぎ取るはずだ。
「……シュラフ先輩なら、めんどくさいとか言ってやりかねませんが」
「シュラフみたいな怠け者がそう何人もいるか、それに、急所を一突きだぞ?お前、こんな芸当ができるのか?」
その言葉に後輩は一瞬黙り込み、肩をすくめる。
「馬鹿にしないでください!私だってこれくらいできますよ!」
「猛スピードで向かってくる相手に、だぞ?」
言われて、後輩の反論は弱くなった。足跡は、魔物が全力で駆けていたところで途切れている。つまり、相手が走りながら狙い澄ました一撃で仕留められたというわけだ。
「……奇襲すればできます」
そう言いながらも、その語気には自信がなかった。【ニーベルゲン】のホープと呼ばれる彼女がこうなのだ。他にこれを成し遂げられる者がどれだけいるだろう。
「しかも、これだけじゃない」
熊の魔物の遺体から少し離れた場所で、硬い鱗を持つことで有名な大蛇の魔物が倒れているのを確認していた。こちらもまた、的確な一撃で仕留められている。並の刃では傷一つつけられない鉄壁の魔物が、このようにあっさりと討伐されるとは――。
「……とりあえず、討伐完了の報告を確認するぞ」
死体の場所を回収係に伝え、俺たちはリンベルに戻った。
ーーー
受付で討伐完了の報告を確認するも、予想外の返答が返ってきた。
「討伐完了の報告が来ていない、だと?」
「はい……」
「てっきり、うちの誰かが倒したものだと思っていましたが……」
クエストの受付嬢が、不安げな顔でこちらを見上げる。
「俺たちが受けた熊の魔物の討伐依頼、あっただろう?」
「ええ、確かに」
「討伐完了にしておいてくれ」
「え? あ、はい……討伐ありがとうございます。報酬はこちらに――」
「いや、それを受け取るべきは俺たちではない。すでに倒されていた」
「えっ!? すでに!? 誰が……」
「しかも、大蛇の魔物もだ」
「えぇ!? あのシュランゲまで!? 一体誰がそんな……」
俺は首を横に振る。
「それが分からないから困っている」
受付嬢は驚愕しながらも、考え込むように目を伏せた。
「最近、あなた方【ニーベルゲンの剣】の試験を受けようと、さまざまな冒険者が集まっていますよね。その中にいるのでは?」
「そうですね。私ほどではないにしても、中々の手練れが集まってきてますからね」
後輩が自信ありげに言う。しかし、この討伐者の技量は――
「いや……おそらくお前よりも……」
そう言いかけて口をつぐんだ。
「何か言いました?」
「なんでもない」
明日の試験に、その正体が現れると良いのだが――。
ーーー
窓から差し込む柔らかな朝の光が瞼をくすぐる。心地よい暖かさが身体に広がり、自然と目が覚めた。悪くない目覚めだ――と思ったのも束の間、耳をつんざく怒号が空気を引き裂く。
「今日支払ってくれるって聞いたんですけどー!!お客さん!聞いてますかー!」
遠慮のない大声が、建物中に響き渡っている。耳を塞ぎたくなるような声量だ。
「ちょっとあんた!やめなよ!」
「うるせえ!大体な、明日なら必ず払えるから今日泊めてくれ、なんて言う怪しい奴を引き入れたんだ!」
女の必死ななだめと、男の怒りのこもった非難が応酬を繰り返している。
「困ったときはお互い様でしょ!」
「違うね!どーせお前のことだから、顔がいいから泊めさせたんだろ!」
「ちょっと危ない雰囲気がある方がかっこいいって思わない?」
「そんなことだろうと思ったぜ!お前はいつもいつも……」
この会話が終わる気配はないらしい。 私は静かに視線を窓へ移した。相変わらずのいい天気だ。朝日が燦々と降り注ぎ、外の景色はどこか穏やかで牧歌的だ。
「なによ!あんただってこの前……」
男女の不穏なやり取りは、ますます白熱してきている。そっと足をベッドから下ろし、靴を履き、窓を開ける。
逃げるのではない、用事があるからだ。
風が頬を撫でる。朝の冷たい空気が頭をすっきりとさせてくれる。 地面に飛び降りると、すぐさま辺りを見回す。道はどちらに行けばいいのか見当もつかないがそんなことは問題ではない。
光の指す方へ歩いてみよう。それが正解に違いない。だって、こんなにも明るく、眩しい光が世界を包んでいるのだから。 私は足を踏み出し、何もない空へ微笑みを投げかけた。いい天気だ。気分も悪くない。
ーーー
人の喧騒が、耳障りに感じられることがある。大抵の場合、それは自分自身に問題がある時だ。少なくとも私の場合は。
「ふむ……」
街の賑わいを見渡しながら、独り言を漏らす。道行く人々は皆、忙しそうに足を急がせており、怪しげな異邦人の話など聞いてはくれない。人混みに飛び込めば何とかなるだろうと高を括っていた自分が愚かだった。
(いっそ、誰かを脅して無理やり道案内でもさせるか……)
そんな魔族じみた自己中心的な考えが、頭をよぎる。もちろん、本気ではない。
「なんてな……」
自嘲気味に呟き、雑念を振り払う。現実的な方法を取るべきだ。目を凝らして見つけたのは、優しそうな雰囲気をまとった老人だった。よし、ターゲットは彼だ。
「あの、すみません」
私は穏やかな声で呼びかけたが――
「今急いでるんで!」
老人はこちらを一瞥することもなく、すれ違っていった。
「……そうか」
先ほどから、話しかける人間が皆こんな具合だ。次々と流れていく無関心な人の波に、内心小さな苛立ちが募る。さて、どうしたものか。
「……あの!!」
不意に背後から声がかかった。振り返ると、そこには紅色の瞳を真っ直ぐにこちらへ向ける女性が立っていた。彼女の衣装は鮮烈な印象を放っている。 鮮やかな紅のシルクに包まれたドレス。高い襟が優雅に首元を飾り、斜めに開いた前立てが身体のラインを際立たせている。その腰の横から足元へ大胆に走るスリットからは、鍛えられた脚がのぞいており、そこにはただの装飾ではない、力強い美しさがあった。だが、最も目を引いたのは彼女の腰に巻かれた前掛け。そこには大きな文字で『回生起死』と書かれている。
「……その前掛けには何の意味が?」
思わず口を開いた。
「前掛け?蔽膝のことですか?これは『カイセイキシ』と読みまして、死に瀕する時にこそ真の力を発揮する……って意味でして」
「なるほど。よく分かった、ありがとう」
「どういたしまして……いや、そんな話をしたいわけじゃなくて!」
彼女は軽く溜息をつき、すっと背筋を伸ばした。そして、こちらをじっと見つめる。
「もしかして、【ニーベルゲン】の試験を受けようとしてます?」
紅い衣装が陽光を受けて輝く中、彼女がさらに顔を近づけてくる。後ろでまとめた銀の髪が揺れ、白馬の尾のように美しく光を反射している。
「いかにも」
私が答えると、彼女の表情がぱっと明るくなった。
「場所、分かってますか? よかったら、一緒に行きません?」
「なんだ、お前も迷っているのか?」
「いえ……いや、そうですねー、はい!私も迷っています!」
即答から一転、急に素直になった彼女に、少しだけ警戒が走る。
「なんと……そんな難しい場所にあるのか? それともその場所を探すこと自体が試験の一部なのか?」
「いえいえ、そんな奇々怪界な場所じゃありませんよ。ただ、ね?一緒に行ったほうがいいです!1人で迷うより2人で迷ったほうが効率がいいですから!」
「……なるほど。一理あるな」
彼女の勢いに押され、私は小さく頷いた。
「よかった!では、行きましょうか!私、ウーシュウっていいます!」
「フォルティスだ」
妙に強引な展開ではあったが、断る理由もない。最優先は試験会場に辿り着くことだ。
「あと、その……あまりにも黒すぎる服装は……」
「これか? お気に入りだ」
「そ、そうですか……それと、その威圧するような魔力、少し抑えていただけると助かりますけど……」
「なんのことだ?」
「いや、自覚がないなら、しょうがないですけど……」
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