第22話 グッバイ追跡者 14

「サダコ、あのカップルと一緒に撮った写真か何か持ってないか?」と僕は焦りながら訊ねた。


 サダコは「あるに決まってるじゃないですか」と自信満々に言いながらスマホを操作する。

 しかし、次の瞬間、彼女の表情が曇る。


「あれ? ないんですけど……」


 僕の胸に冷たい感覚が広がる。

 この異常な状況を説明できる術もなく、ただ事実として受け入れるしかない。

 それでも、どうして写真がないのか理解できずに困惑していると、突然サダコが僕を睨んでくる。


「なんで私が責められなきゃいけないんですか? なんか変なことが起きるのって、絶対に師匠が絡んでる時ですよ!」と、理不尽に僕に怒りをぶつけるサダコ。


 僕は返答に詰まったまま、彼女の言葉を受け流すしかなかった。


 ☆☆☆


 帰宅してすぐに、僕はカバンの中やデスク周りをかき回しながら、彼らのレポートを捜した。

 しかし、どれだけ探しても、二人の存在を証明するものは何も見つからない。

 まるで最初から存在していなかったかのように、レポートが消えている。


「あるとすれば、僕の記憶の中だけか」と呟き、深い溜息をついた。

 だが、ただ記憶に頼るだけでは何も始まらない。

 彼らを捜そうにも、連絡手段が思い出せない。

 SNSも、メールも、住所も、電話番号も、全てが霞のように曖昧だ。


 焦りが募る。

 彼らは確かに存在していたはずだ。

 あの喫茶店で一緒に話していたし、笑い合っていた。

 それなのに、どうしてこんなにも手がかりがないのか?


「他に何かないか……」と考え、データフォルダやメモ帳、過去のやり取りの記録を掘り返す。

 しかし、全てが彼らの存在を否定しているかのようだった。


「待てよ」と独りごち、僕は一つの可能性に思い至る。

 彼ら、前畑くんと阿部さんが、もし僕と同じような系統の体験者だとするならば、いずれ上原のブログにたどり着くかもしれない。

 そうすれば、彼らと再び接触できる可能性が生まれるはずだ。


 すぐにパソコンを開き、上原のブログにアクセスする。

 手がかすかに震えながら、コメント欄にメッセージを打ち込むことに決めた。

 タイトルは『グッバイ追跡者』。

 ”特性追跡者”を茶化しているようだが、コメントを読めば僕が真剣だとわかってもらえるはずだ。

 とにかく、キャッチーで記憶に残りやすいことに重点を置いてみた。


 僕はコメント欄に手を伸ばし、メッセージを残すことにする。


『もし、このコメントを読んでいるのが前畑くんか阿部さんなら、連絡をください。僕は君たちのことを覚えている。この場所が僕たちを繋ぐかもしれない。どうか僕を信じて頼って欲しい。』


 打ち終わり、僕は少しの間、ぼんやりと画面を見つめた。

 コメント欄の送信者名に『O教授』と打ち込んだ。

 ふざけているみたいだが、この文面とタイトルなら、他のメッセージに埋もれることもないように思う。

 彼らに届くことを願いながら、僕は「送信」ボタンをクリックした。


 ☆☆☆


 約束通り、僕たちが取材した記事は特集として雑誌に掲載された。

 雑誌の特集記事が届いた日、その内容を見て心が震えた。


 タイトルは『異界への祭り ~その真実』と大きく記されていた。

 記事は、恐怖と神秘が交錯する山間の村祭りに焦点を当てていたが、僕の撮った写真と中嶋さんの文章がそれを際立たせていた。


 記事の最初には、祭りの概要が詳しく説明されていた。

 村の伝説や祭りの儀式が紹介され、読者にとっては未知の世界が広がっていた。

 しかし、記事の中で特に目を引いたのは、僕が撮ったブレブレの写真だった。

 その写真は、まるで恐怖の瞬間を捉えたかのように、見る者に強い印象を与えていた。

 なるほど。

 自分で撮った写真だったので、いまいちピンとは来なかったが、こうして客観的に見てみると、これほど興味を惹かれる被写体もない。

 技術的には完璧とは言えなかったが、写真が持つ不安定さと不気味さが、逆にその場の雰囲気を際立たせていた。


 禰宜の老人の写真も大きく取り上げられていた。

 彼が神秘的な雰囲気の中で祭りの儀式を語る様子が、まるで幻想的な物語の一部のように表現されている。

 特に、彼が儀式の詳細について話している瞬間を捉えた写真は、意味深い光と影のコントラストがあり、読者に強い印象を与えていた。

 さすが奥井さんの写真である。文句なしだ。


 中嶋さんの文章も見事だった。

 彼女は祭りの儀式の神秘的な側面を引き出し、読者に強い印象を与えていた。

 特に、祭りの儀式の背後に潜む恐怖と謎を解き明かす部分では、彼女の文章が読者を引き込む力を持っていた。

 中嶋さんの文体は、時に詩的であり、時に冷徹でありながらも、一貫して引き込まれるような魅力があった。


 記事全体は、ただのドキュメンタリーを超え、読者に深い印象を与えるものとなっていた。.

 写真と文章が相まって、特集記事は恐怖の物語を生き生きと描き出しており、読者はページをめくるたびに心臓が高鳴るのを感じるだろう。


 もちろん、オカ研メンバーの聞き込みやフィールドワークでの成果やレポートも引用されており、彼らの面目も立っている。


 オカ研のメンバーは大いに盛り上がり、二週間ほどその話題が持ちきりだった。

 文化系のサークルや部活動からも注目され、他の学生たちがオカ研に遊びに来ることが増え、部室は賑やかになった。


 そんな忙しさの中、ふとスマホが鳴った。

 画面には「中嶋さん」の名前が表示されていた。

 何かあったのだろうか。彼女からの電話は久しぶりである。


「もしもし、中嶋さん?」


「お久しぶりです。オカ研のみなさんの反応は如何ですか?」

「それはもう。皆、大喜びですよ」

「ああ。そうですか。売り上げの方も久しぶりの好調でして」


 いくらかの世間話を挟んだ後、中嶋さんの声のトーンが一段、上がった。


「ところで……ですね。うちの雑誌で連載していた小説が映画化することになりまして」

「え? そうなんですか? おめでとうございます」

「渡辺先生の『鏡のなかのひと』ご存じですよね?  先生が監修されてた」


「ああ、ナベさんの」と僕は頷いた。

 渡辺先生の作品は、独特の雰囲気と緻密な心理描写で評判が高い。

 特に『鏡のなかのひと』は、怪談としての恐怖だけでなく、鏡の中に映る死んだ夫の描写が秀逸だった。


 あれは僕の実体験に近いことを、飲み屋でナベさんに話したことに着想を得ている。

 監修を頼まれたのも酒の席だった。

 虚実織り交ぜた僕の与太話を、いつか小説にできればいいね、と笑っていた数日後。

 僕は、ナベさんが送ってきたプロットに仰天した。


 僕はホラーに仕立てるものだとばかり思い込んでいた。

 ところが、ナベさんが書いてきたものは怪談要素ありの、実質、恋愛小説といっていいものであった。


 僕が聞かせた話と、彼から出てきたものが全然違う。

 インプットとアウトプットで別物になってしまった。

 どうなっているんだと混乱しながら監修したのが数年前のこと。


 小説家というものはわからない。

 あんな呑んべえオヤジの何処から、泣ける恋愛小説が出てくるというのか。


「へえ、すごいですね。渡辺先生も喜んでいるでしょう」


「ええ、でも実は……渡辺先生が現場に立ち会えない状況でして」と中嶋さんの声が少し曇った。

「え? ご病気ですか?」と僕が訊ねると「そういうわけでもなく」と珍しく中嶋さんの歯切れが悪い。


「それで、渡辺先生の代わりに、小説と同じく監修として参加してくださらないでしょうか? 渡辺先生も、長谷川先生にお願いしたいと――如何でしょう?」


「実は、主演の杉山さんも、ぜひ先生にと仰っておられるんです」と中嶋さんは付け加えた。


「杉山って――杉山恵理?」

 その名前を聞いた瞬間、僕の胸の奥で何かが引き裂かれたような感覚がした。

 今の僕の知識では、杉山恵理は遠い世界の大女優である。

 だが、最初の人生、上原雄介として生きていた頃――彼女は僕の妻だった。


 一瞬、頭の中に過去の記憶が溢れ出す。

 上原雄介として、彼女と共に過ごした日々。

 笑顔、共に語り合った夢、そして別離。

 その全てが、鮮やかに脳裏をよぎった。


「――先生?  大丈夫ですか?」

 中嶋さんの声が遠く聞こえた。


 僕は深く息を吸い込み、なんとか平静を取り戻す。


「――ええ、大丈夫です。ただ、少し驚いてしまって」

 冷静を装いながら、どう返事をすればいいのか一瞬迷う。

「杉山恵理さんが主演というのは……大変光栄なことですから」


 だが、胸の奥では動揺が収まらない。

 彼女は今の僕を知らない。

 いや、そもそも、上原雄介としての過去を共有しているはずがない。

 オカルト教授として観ることはあっても、彼女にとって、僕はただの他人。


「それで、監修のお話なんですが」中嶋さんが話を戻す。


 僕は一度大きく息を吐き出し、これがただの偶然だと思い込もうとするが、胸に残る一抹の不安が拭いきれない。


「さてはナベさん、逃げたな……」

 そう思うとなんだか笑えてもくる。

 あの呑み助め。

 アイドル系の主演なら呼ばれなくても、浮かれきって現場へ顔を出しただろうに。


 だが、今回は相手が悪い。杉山恵理だ。

 演技派で、映画界でも評価の高い彼女の存在感は圧倒的である。

 はっきり言って、現場にいるだけで緊張感が漂う。


「杉山恵理は――怖いもんな」僕は心の中で呟いた。

 見た目こそ美しく、魅力的だが、偏屈な芸術家肌で有名なのだ。

 機嫌を損ねると手に負えないと、業界では知られている。

 彼女の求める演技や脚本の質に対するこだわりは並大抵ではない。

 相手がその期待に応えられないと判断すれば、容赦なく冷たい視線を向けてくるだろう。


「――先生?」中嶋さんが少し不安そうな声をかけてくる。


「いや、大丈夫」

 僕は無理やり笑って答えたが、内心は少し不安だった。

 もし撮影現場で彼女の機嫌を損ねたら、どうなるか……考えただけで冷や汗が滲む。


「もちろん。彼女ほどの名優と一緒に仕事ができるなんて、貴重な経験です。是非、受けさせてください」と答えつつも、僕の頭の中では彼女との再会がどうなるか様々な思いが巡っていた。

 昔の記憶、上原雄介としての妻だった彼女と、今の自分がどう向き合えばいいのか。


 彼女は僕を覚えていないはず。

 だが、どこかで彼女の目が僕を見抜いてしまうのではないか。

 彼女が演技に集中した時の異常な集中力は尋常なものではなかった。

 一度は魅せられ、それから逃げ出したあの瞳。 


 僕のなかで得体の知れない不安が、胸の中をかき乱していた。

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