朝日の屋上と影の地面
小土 カエリ
第1話 プロローグ 落ちる影
「ふぁあ」
少年は肩を軽く回しながら、眠たそうな目で朝の空気を吸い込んだ。大きなあくびと共に、店主の少年が店の開店を確認しに外に出てくる。その光景をカメラに収める奴が居た。
「よっ。今日も早いな」
その少年は今では旧型になってしまったカメラをこちらに向けて笑っていた。
「見晴、おはよう」
聡真は軽く手を振る。
「聡真は今日も修理か?」
見晴は店の中を見渡しながら、何かめぼしいものが入荷していないか確認する。
それを尻目に聡真は出張修理の用意を進める。
「そうだぞー。お前も働け」
モニターを操作しながら、ドローンが静かに起動し、立体把握カメラが精密な3Dモデルを映し出す。いつも通り、すべてが完璧に整っていた。彼の目の前には、パズルのように組み立てられる機械の構造が広がり、まるで現実と変わらないほどの精度で再現されている。
道具を仕舞う間に、見晴は店の中から戻って来る。
彼らは幼少期からの友人だ。お互いのことはよく知っており、このような軽口は日常茶飯事だった。
「働いてるだろ!失礼な奴だな!」
冗談めかした雰囲気で見晴は文句を言う。彼は普段カメラマンとして働いている。事件が起きた時など、スクープがあると真っ先に現場に行き、その写真を企業に売っていた。
「今日のこれだって…ほれ!これ、俺の写真だぜ!」
彼が見せてきた空中モニターに目を移す。その記事には下層で起きたガス爆発の現場の写真が載っていた。
「またガス爆発かよ。最近多すぎだろ」
聡真は怪訝な表情を浮かべる。
「いや、下層のインフラ不良なんて、昔からだろ?でも、確かに最近数が多すぎるんだよな。おかげで、あんまりお金になりませーん」
見晴は手をヒラヒラと振って、渋い表情をする。
いくら最速で現場の写真を抑えても、似たような事件が頻発するのであれば、写真の価値は落ちる。企業が求めているのはよくある事件の一枚ではない。大事件の決定的な一枚なのだ。
だが、彼はまるで街の空気の微妙な変化すら見逃すことがないように、絶えず周囲を観察していた。彼の目には、ただのスクープ写真以上に何か意味を見出しているかのようだった。
見晴は普段一見、冗談めかした態度を崩さないが、その瞳は常に冷静で、その目は、静かにすべてを見通す鷹のように鋭く、街の細かな動きを逃さない。
聡真の背中を見つめる彼の視線にも、どこか鋭いものがあった。
「ほーん。まあ、あんまり危ないことに首突っ込むなよ?」
聡真はガレージのバイクのエンジンをかける。
「心配すんな。ちゃんと見極めはしてる。でも、お前も気付いてるだろ?なんかここ最近変だよな、この街」
見晴がカメラを軽く振りながら、何気なくそう言った。
聡真はそれを一瞬聞き流そうとしたが、見晴の瞳に宿る冷静な光が、彼の言葉の重さを感じさせた。
「…」
聡真としても、ここ数か月で、修理の依頼が急増しているのを確認している。考え過ぎだと今までは思っていた。
だが、見晴との軽い会話の中で、聡真はふと、今の自分で違和感を覚える瞬間があった。まるで見えない影が、この街全体を静かに覆い尽くしていくような不気味な感覚。
そしてその不安は、じわじわと彼の中にも忍び寄ってきていた。
その違和感が自分の中にも広がっているのだ。
この街で、ただ修理の仕事をこなすだけの日々。修理の仕事は得意だが、心のどこかで『これだけではない』という思いが消えなかった。
何かが欠けている感覚。その違和感は、次第に彼の思考の隅に居座るようになっていた。
何かが違う。
はっきりとした形はないが、心の奥でその感覚は次第に大きくなり、彼の思考を覆い始めていた。
その感覚が日ごとに強まっていくことを聡真は自覚していたが、それを無視するように自分に言い聞かせた。今は別のやることがあると、心の奥に押し込んだ。
バイクの出力が安定したのを見て、ヘルメット被る。
「じゃあ、気を付けてな」
近づいてきた見晴は右手で拳を作り、差し出してくる。
「おう。お前もな」
聡真はそれに拳をぶつけると、勢いよくバイクを走らせる。
見晴は笑顔を浮かべていたが、彼の笑顔の裏には、静かな警戒心が潜んでいた。まるで風の流れに耳を澄ますかのように、周囲の変化を捉えていたのだ。
まあ、あの目が生きている内は大丈夫だろう。
ルートをヘルメットのモニターに写し、マニュアルモードで駆け抜けていく。
バイクを走らせながら、聡真は思わず自分の胸を押さえた。
軽口を叩く毎日、そして同じように繰り返される修理の仕事。それは平穏な日常かもしれないが、どこか物足りなさを感じていた。
彼の内側で、何かが目覚めようとしているのを無視できなくなってきているのだ。
「…っ!仕事仕事」
けれど、それが何かを突き止める勇気は、まだ聡真にはなかった。
ボーっとする頭を切り替えて、彼は迷いを捨て去るように速度を上げていく。
依頼者の家を目指しながら、超大型ビルの合間を走り抜けていく姿を、鳥たちが見下ろしていた。
ビルの合間を縫うように張り巡らされた空中回廊は、まるで巨大なクモの巣のように都市を覆っていた。上層の空気は澄み渡り、太陽光が反射するガラスのビルは、まるで真昼の星のように輝いている。
ネオンの光が空中回廊を優雅に彩り、静かな音楽が風に乗って漂ってくる。
だが、その下、地面に近い場所では、下層特有の錆びた鉄と油の匂いが立ちこめ、足元のひび割れたアスファルトには雨水が溜まっていた。ビルの陰に沈んだその場所には、誰もが避けるような暗さと重さがあった。
バイクで走り抜けながら、聡真はふと気付いた。
どこか街全体に漂う異様な静けさ。普段なら聞こえてくるはずの雑踏の音が、今日だけはどこか不自然に薄れているように感じた。
だが、そんなことを気にしている時間はない。目的地に急ぐため、その思いを振り払うかのように、彼はバイクのスピードを一段と上げた。
だが、その瞬間、彼の視界の端に、何か奇妙な影が一瞬映った。
影は、一瞬のうちに視界をかすめた。何かが確かにそこに存在した――。
しかし、それは彼が振り返る前に、まるで風のように消え去った。
不気味な感覚だけが胸の奥に残った。不安感が胸に重く残り、それが消えることはなかった。
彼はアクセルを踏み込んだが、次に訪れる変化の予感を拭うことはできなかった。
時代は遥か未来。
日本は高度な技術発展を遂げていた。
人々の暮らしは豊かになり、都市のビルはより高く、より巨大になっていった。ビル同士を繋ぐ回廊が生まれ、空中を利用した新たな交通手段が生まれ、上層の人々はますます豊かな暮らしを送っていた。
ビル群の最上部はガラス張りの豪華な回廊が並び、輝くネオンが絶え間なく光を放っている。空気は清潔で、まるで作り物のような世界だった。空中回廊に漂う香りすら人工的に調整され、どこか冷たさを感じさせるほどに完璧だった。
上層のガラス張りのビルは、太陽光を反射して眩いばかりの白銀の輝きを放っていた。
だが、その下層では、日光がほとんど届かず、陰鬱な空気が街を覆っていた。徐々に地面へと近づくにつれ、錆びたパイプや崩れた壁、荒廃した通りが次第にその存在を主張し始める。
その光僅かな最下層はまるで別の世界。空気は重く、錆びた鉄の匂いが漂い、地面には長く放置された廃墟が放置されていた。ひび割れた路面には雑草が生え、路地には壊れたドローンの残骸が無造作に放置され、不穏な緊張感を漂わせていた。
そして、その下層では貧しい人々が身を寄せ合っている。
AIの進化により、中間層だった人々の仕事は無くなり、貧富の差は拡大する一方だ。
その中をバイクで走り抜ける一人の少年。
これはそんな世界で生きる、彼らの物語である────。
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