眠り王子と魔女♂

彩亜也

王子の来訪

 漂白剤に漬けたような真っ白な城に、色とりどりの花が咲き乱れる庭園、それらを見下ろすように建つ陰鬱でじめじめした西の塔が俺の住処だった。

 厳密に言えば住処というよりは幽閉されているので牢獄なのだが牢獄と呼ぶにはあまりにも充実している。

 ベッドやトイレと言う最低限の設備から始まった生活は見張り役のハンクさんと仲良くなったことで徐々に物を増やしていき今では薬草学の専門書が並ぶ本棚に珍しい材料が納められたケースに、調合用の道具が並ぶキャビネットなど俺にとっては至れり尽くせりの場所へと変貌を遂げていた。

 そもそもなぜ俺がこんな場所にいるのかと言う話だがこれも簡単に説明しておこう。

 俺はここに来るまでハルトヴィヒと名乗る善良な市民だった。ただちょっと人付き合いが苦手で動物といる方が楽だったので人里離れた森の中に居を構え趣味の薬草採取と調合に明け暮れていただけなのだが、今から五年ほど前に甲冑を着た物々しい奴らが尋ねてきたと思えば魔女のレッテルを貼られてあれよあれよと言う間にこの城に連れてこられたというわけだ。

 あとから聞いた話だがこの国の第一王子サマがヒキガエルだかガマガエルだかに似た貴族令嬢に猛アタックされ、手酷く断ったのを恨まれた結果どこでも前触れなく眠ってしまう呪いにかけられたらしい。それが今から十年前の話でそれ以来家臣たちは呪いを解く手立てを探していたと言うわけだ。

 察しのいい奴ならこの時点で大体わかると思うけどつまり俺がここから出られないのはひとえにその王子サマの呪いが解けていないから。俺は呪いを解く手掛かりのためだけに五年の歳月を奪われたと言うわけだ。そんなもの俺は知らないのに。

 ——とはいえ、だ。俺は始めから人付き合いなんて興味無いし、なんなら薬草のことだけを考えて生きていきたいし調合だけをしてそれ以外にかける時間の全てをできる限り削りたい人間だ。だから今のこの生活はとてもありがたい。

 俺がベッドに寝そべって専門書を読み耽る間に城の人間が一生懸命俺に飯を作り届けてくれる。調合していると濡れたタオルで身体を洗ってくれることもある。服に止まらず寝具だって清潔さを維持するために洗濯してくれる。まさに至れり尽くせりなのだ。

「……それに、景色だって悪かねえしな」

 顔の高さにある壁をぶち抜いただけのガラスも嵌っていない窓は長い監禁生活で痩せ細った体でも出られないほどの小ささだったがそれでも外を見るには十分な大きさだった。

 沈んでゆく夕陽も、オレンジに染まる地平線も、やわらかく浮かび上がる月も城下町の夜景も楽しめる。それはきっとタワマンに住むのと変わらない眺望のはず。こんな俺がこれ以上望んだら女神様に怒られちまう。


 ————そうやって、俺はこの五年を生きてきた。


 変化が訪れたのはここへ来て五回目の春の事。植物が芽吹き、生き物の命の起床を感じる穏やかな日に聞き慣れない足跡を響かせて何者かがやってきた。

 そいつはマントを目深に被り腰元には剣を携えている。けれど俺が怯むことはない。俺のところに訪ねてくるやつなんてだいたい決まっているのだ。見張り役のハンクさんに頭の堅そうな尋問官、そして魔女の魔法を求める貴族サマ。

 この男は当然ハンクさんではないし、尋問官がいつも手にしている本らしきものは無く手ぶら。それでいて自分の素性を隠そうとすると言うことは名の知れた貴族ということだろう。

「……見つけた」

「?」

 俺はハンクさんが持ってきてくれたクッキーの包みを閉じて手についた粉を叩くと柵に近づく。そいつは俺より背が高くそのおかげでフードの下の端正な顔立ちが覗けた。

 目元は暗くて見えないが筋の通った鼻に薄い唇、シュッとした輪郭はそれだけで彼の顔が良い事を匂わせている。実に羨ましい。それにマント越しでもわかる鍛えた先の引き締まった体躯を見ていると必要最低限の筋肉しかついてない自身の青白い腕がひどく惨めなものに思えてくる。

「悪いけど、俺は魔女じゃねーから魔法は使えないぜ?」

 貴族サマにはいつもはじめに牽制しておく。俺は薬草専門なため魔法の適正なんか無い。魔女は血筋だ。それも魔法を使うとなると由緒正しい魔女の血が必要となる。それは外見だけは人と同じだが全く別個の種族であると言うことを表す。俺のように偶然魔女に拾われただけのただの人間は薬作りの手伝いはできても魔法そのものを扱う回路が備わっていないのだ。中にはその回路を無理矢理体内へ埋め込む研究をしてる奴らもいるらしいが幸いにも師匠は俺に負けず劣らずの薬草バカなので精々調合の手伝いをするくらいしか学ばなかった。

 男は黙ったまま俺を見下ろしている。意図が読めず俺の方も必然的に無言になってしまい嫌な沈黙が流れる。初対面の相手との逃げ場のない沈黙こわい。外を飛ぶ鳥の囀りが無ければ俺は意識を飛ばしていた事だろう。

「いやお前何しに来たんだよ!」

 徐々に時間を無駄にされた怒りが湧いてきて突発的に怒鳴ってしまう。男は一瞬ハッとしたように俺を見たが再び口をへの字に結んだ。なんか言えよ。

「だーっ……くそっ、俺だって暇じゃねーの!アンタの相手するくらいならさっさと調合始めたいの!用が無いなら帰ってくんない⁈」

「……ああ、すまない」

 頭を掻きむしって言えばとても穏やかな口調で謝罪される。声までかっこいいのはずるいだろ。

 そいつは動こうとせず、と言うより微動だにせず相変わらず俺を見下ろす。

「っ……はぁ?」

 その無反応ぶりに何か言い返してやろうと吸い込んだ空気で間抜けな声を零した。

 俺は目の前の異分子に文句をぶつけてやろうと口を開いたがこれ以上何を言ってもこいつはこのままだろうしそれでは俺のフラストレーションを溜めるだけだと閉口した。しばしフード下の目と睨み合ったが埒が開かないとため息を吐く。

 どうせ俺が何をしたってこの男の行動は変わらないのだ。それならばと早々に見切りをつけ先ほど読んでいた雑誌の続きに目を通す事にした。

 何か言ってくるかと思ったが日が傾いてもそいつはじっとそこにいた。そろそろ夕食の時間だ、ハンクさんもやってくる。俺には関係のない話だが、こいつと鉢合わせたハンクさんにもしものことがあっても困る。仕方なしに顔を上げればそいつはまだじっとそこにいた。

「なぁ、そろそろハンクさんが……えっ」

 親切心から見張の存在を教えてやろうと声を掛けるとそいつは突然飛び上がり長い手足を使って天井に張り付いた。全体的に黒いせいか巨大な蜘蛛に見えてキモチワルイ。それからすぐに聞きなれた足音が響いてきて、機嫌のいいハンクさんが今日の夕食を手にやってきた。

「おう調子はどうだいハルトヴィヒ!」

「は、ハンクさん!いや普通だよ」

 ひげを蓄えた顎を擦りながら受け渡し口にお盆を乗せるハンクさん。どうやら蜘蛛男に気付いていないらしい。というか先ほどと違い鋭い眼光でハンクさんを睨みつけているがまさか消そうとしてないよな?

「ん?どこ見てんだ?」

 俺が天井の隅を見ていることに気付いたハンクさんが視線の先を追うように振り返ろうとする。まずい。もしハンクさんが無言蜘蛛野郎を見つけたらただでは済まないだろう。ハンクさんの方が強いとしても平民がお貴族サマに剣を向けるなど最悪死罪だ。

「いや!ボーっとしてただけ!それより機嫌が良いみたいだけど何かあった?」

 俺の問いかけによくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに顔を綻ばせて向き直るとハンクさんは嬉しそうにお礼を言ってきた。

「お前にこの間貰ったシップ薬!あれのおかげでうちのばーさんすっかり元気になってよお!今じゃ畑で竜巻みてえに働いてるよ」

「それは良かった、ハンクさんにはいつもお世話になってますから」

 そう言って薬品棚を見る。これらはすべてハンクさんがこっそり運び込んでくれたもの。以前ある薬をプレゼントしたことをきっかけにわがままを聞いてくれるようになったのだ。

「俺の方こそお前には一生かかっても返せない恩がある。……本当なら出してやりたいくらいさ」

「いいんですよ。それにここから離れたらもうハンクさんとこうして会えなくなるかもしれませんし」

「ああ、お前の出身はノースフロンティアの森か」

 そう、俺が住んでいた場所はここから陸路で数か月、船でも一か月はかかる僻地だ。その上定期便が出るのは二か月に一度。まあそもそも近くの村へ行くのだって半日がつぶれる上に大きな町は港にしかない場所だ。今生の別れとまでは言わないけれどそうそう言って帰ってこれる場所じゃない。それに魔女の故郷と呼ばれるが故に検問も多いし軽い気持ちで行くような場所ではないのだ。実際俺もこの世界に来てから最初の頃は南下したところにある大きな町シュテールに長いこと身を寄せていた。しかし、人は多いしトラブルに巻き込まれたしでいいかげんうんざりして、宿屋で聞いた“人よりシカの方が多い”という話に飛びつきそれでも二か月かけてたどり着いた。

 ただ俺の記録は転生特典で都合よく書き換わるらしく、この世界の人々は俺がノースフロンティアからやってきた元孤児の魔女だと思われているらしい。

「自然豊かでいい場所なんですけどね。珍しい薬草も手に入るし」

「自然がいいなんて変わってるな」

「……はは」

 どうもこの世界の人間にとって自然は身近すぎてわざわざ大切にするという感覚が無いらしい。薬を調合する人間からすると勘弁してほしいところだ。

「それから、これお礼と言っちゃあなんだが……」

 そう言うとハンクさんは受け渡し口に紙が巻かれた何かを置いた。そのサイズ感から雑誌だろうかと行き当たり気分が高揚してくる。もしかして、以前欲しいと伝えていたあの本だろうか。期待を込めた眼差しでハンクさんを見れば親指を立てて真っ白な歯をむき出しにした笑顔を見せてくれる。俺はすぐさまそれを受け取ると傷つけないようにそっと包みを開いた。

「こ……これは!」

「へへっ遠い親戚に伝手があってな。これであってるか?」

「……!……っ!」

 俺は力強く頷くと表紙を見て視界が霞んできた。

 これは大陸全土のありとあらゆる薬草についてまとめられた学術雑誌だ。貴族の子女ならまだしも平民が手に入れるには倍率のエグイ大学に通うしか方法はない。こういうところに日本教育の質の高さを感じてしまう。――――そんなことはどうでもいい。

「ハンクさん!ありがとうございます‼」

「次もまた手に入ったら持ってくるから楽しみにしとけよ!」

「ああ、どうしよう、ここにしまおうかな……」

「って聞いてねえな……」

「聞いてます」

 苦笑するハンクさんの反応がくすぐったくてつられて笑う。これが父親というものなのだろうか。

「ほんじゃあ俺はもう帰るから食い終わったらいつもの通りにしてくれ。あったかいうちに持ってきたんだから読む前に食えよ?また明日」

「はい、また明日!」

 手を振るハンクさんを見送って俺は雑誌をベッドの上に置くと食事をすべく料理をテーブルに並べた。少し温度が下がってはいるがまだ少し温かい。

「いっただっきまー……うええ⁈」

 食事しようと手を合わせた瞬間上からぼとりと黒い物体が落ちてくる。

 ————コイツの存在を忘れていた。

 そいつは服を軽く叩くと近づいてきて口を開いた。

「あの男は貴方の仲間か?」

 思いがけない質問に意図が読めず黙ってしまう。ハンクさんが仲間……と言うのは刺客だと疑っているということだろうか。当然俺は首を横に振った。

「仲間じゃないよ。ただよくしてくれるから俺もできる事をしたんだ。その応酬があるだけ。仲間って言うよりはツレかな」

 そう、俺たちは別に何か目的があるわけじゃない。ハンクさんは俺のために解放できないのかと上に掛け合ってくれているらしいが当の俺は別に絶対にここから出たいとかそう言う気持ちはないのだ。出たところで俺はひとりぼっちになるだけだ。

「仲が良いのか……あの男が好きなのか?」

「は⁈」

「す、すまない違うのか」

 大声を出してしまったから狼狽えるそいつが初めて人間らしく見えた。と言うか喋れば喋るほど声の良さがわかって悔しい。

「まあ恩人という意味では好きですよ。ただ、アンタの言うそれは別の意味の好きかって事だよな?」

 こくこくと頷く男は先ほどよりずっと素直に見えてつい答えてしまう。

「それは無いよ。俺は誰のことも好きにならないし。それにハンクさんは……ん、どうした?」

「だ、だだ誰の事も好きにならないって言うのは……?」

「そのままの意味だよ。それよりその髪の色……」

 指摘すれば男は頭を押さえる。しかし俺が確信しているのを理解したのか観念したようにフードをおろした。

 溢れ出す金色の髪に森の奥の泉のような深い緑の瞳はこの国の王族の証だ。

 男は渋るように唇を震わせるが覚悟を決めたように口を開いた。

「私はこの国の第一王子ヒルデブラント・フォン・シューリク。貴方に頼みがあって来た。話だけでも聞いて欲しい」

「王子サマでしたか。それも第一王子サマとは……なんでしょう?先ほども申し上げましたように俺には魔法は使えませんよ」

 王子サマは強く頷くと突然膝をつき俺を真っ直ぐに見つめる。なんだか嫌な予感がするのは俺だけだろうか。

「ハルトヴィヒ殿、貴方に俺の呪いを解いてもらいたい」

 ————ああ、一回ぶん殴ってやりてえなコイツ。

「“それができない」から俺が五年間もこんな場所にいるんだろ?」

 必死に感情を押さえつけ目の前のボンボンを睨みつける。彼はハッとした顔をして首を横に振った。

「すまない、そう言う意味では無いのだ」

「じゃあどーゆー意味だよ」

 落ち込んだような顔しやがって一々癪に触るやつだ。

 魔女の呪いは強固で人間が見様見真似でやるものと違い解くには並の魔女でもできない。それこそ解呪専門の魔女でもなきゃ無理だ。

“眠り姫の呪い”なんて古の魔女が好んで使った呪いを人間如きが扱えるはずも無いのだからここに連れてこられた時点で俺にできることがないのはわかりきっていた。それでも俺がここに居続けたのは専門知識の無い馬鹿どもが魔女と非魔女の区別もつかないまま俺を閉じ込めてから。言うなれば医者に薬を調合させたり、批評家に小説を書かせるようなもの。知識があったって技術が伴わなければ何の意味もないのに、上の奴らは下の奴に丸投げしてふんぞり返るのが仕事らしい。

 ————そう言う意味ではコイツも被害者なのだろう。

 ろくに仕事もせず問題を先送りにして追及すれば責任逃れの御託を並べられる。だから自分の目で確かめる所に俺のところまでわざわざ足を運んだのかもしれない。

 それでもコイツには感情移入なんてできない。なぜならコイツの顔がめっっっっちゃ良いからだ。俺はイケメンという生き物が心底嫌いだ。愛想を振りまきゃみんなが持て囃し、特に恋愛においては涙を飲む必要も無い。相手なんて選び放題で、振ったやつのことなんざ一々記憶に留めることすらしないのだから。

「おい、大丈夫か?」

「えっ……あ、あぁ」

 くそっ、ぼーっとしちまった。

 心配そうに下から覗き込む顔も美しくてムカムカする。けれど今は冷静になる時だ。もしかしたら今日をきっかけに外に出られるかもしれないのだから。とはいえ、ハンクさんのお世話がない生活なんて考えられないが。

「俺が言いたかったのは……こほん」

 勿体ぶって咳払いをするなと言いたいが話が進まないと困るので黙って見守る。心なしか俺を見る瞳がキラキラしているように見えた。

「ハルトヴィヒ殿、俺は一目見た時から貴方に強く惹かれていた……!」

 ————ん?

 今コイツなんて言ったんだ。惹かれていた……轢かれていたの間違いだろうか。いやそれだと意味が通らないが。

「俺の伴侶になって欲しい!」

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2024年12月16日 19:00
2024年12月21日 19:00

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