18
「コミック、他に届いてなかった?」
コミック担当に尋ねられ、荷分けしていた手を止める。
今日の荷物が届いたとき、置き場所を指示したのは自分だった。荷物が
「ありました! すみません!」
「よかった。気をつけて」
言葉途中で手早くコミックのシュリンクを掛けだした様子を見て、お腹がぎゅっと絞られる。申し訳なさと、恥ずかしさと、いたたまれなさ。そっけなく聞こえたとか、使えないと思われたように感じたとか。次から気をつけようと思えばいいだけなのに。わかっているのに。打たれ弱くてほとほと嫌気がさす。
気持ちを切り替えなくちゃ。私も荷分けに戻ったところで、バックヤードに入って来た人がまた自分めがけて早足で来る。
「谷口さんいた! レジの交代お願いします」
「あっ! すみません!」
謝ってばかりでがっくりしながら、急いでレジに向かった。
いまだに新人みたいなミスをやらかしたのも、映画の舞台挨拶の日から気もそぞろになっているからだ。穂積君と付き合って少しは前向きになれていたのに、またおどおどとした自分が戻ってきた。
来月から新社会人になるベテランアルバイト3人が辞めた影響も大きい。連日遅番に入り、日によっては早番から1日働くほど忙しい日々が続いている。心に余裕がないと、すぐに情緒不安定になってしまう。
穂積君とは時々連絡を取っているものの、あの日以来都合が合わず顔を見ていない。
映画鑑賞にも全然行けなくて木佐さんにも会わないし、次の打ち合わせはまだ先で槙さんにも会わない。
会ったところでどうしたいのか、どうするべきなのか、頭の中がごちゃごちゃになっていた。私は何を知りたいのか。何を知らなければならないのか。どこまで踏み込んでもいいのか。
「あの、すみません」
「はい!」
(今は仕事に集中しなくちゃ)
レジ業務を交代しバックヤードに戻る途中で、高校生ぐらいの女の子に声をかけられた。
「この本ありますか?」
女の子がスマホの画面を見せる。映画化もした、医師が主人公の小説シリーズ1作目の表紙画像が表示されている。
出版年が少し古いため、本棚に行く前に検索の機械で調べる。運よく在庫があった。表示された文芸の棚に向かい、背表紙を目で追ってその本を見つけた。
女の子は両手で本を受け取り顔をほころばせる。私もうれしくなって口が軽くなる。
「私もこの小説読みました。感動しますよね」
「はい! 図書室で借りて読んで、こんな医者になりたいと思って。大学に受かったので買いに来ました」
「合格おめでとうございます」
「ありがとうございます」
喜びがあふれた笑顔を浮かべて、彼女はレジへと向かった。
本を買ってもらうだけでなく、本の影響力を感じるエピソードを聞かせてもらった。落ち込んでいた気持ちが引っ張られて少し上向きになる。
自分も今日は1冊買って帰ろう。平積みされた本を流し見して、ある一点で視線を止める。趣ある2階建ての木造の家屋と庭の椿。淡い色で描かれた表紙に見覚えがあった。
あのまま何事もなく仕事が終われば良い気分で帰れたのに。現実はそううまくいかない。
「お疲れさまです」
「あ、お疲れさま」
更衣室でぼんやりしていたら、美鳥ちゃんに声をかけられた。
「聞いてくださいよー。あ、さっきクレーム対応にあたったって聞きました。大丈夫でした?」
「アルバイトの子に態度悪いって怒ってたけど、ほぼ言いがかり」
怒鳴り声が聞こえて慌てて駆けつけると、父親ぐらいの年齢の男性が怒っていて、先週から働きだしたアルバイトの男の子が今にも泣きそうな顔をしていた。
謝罪から入って経緯を聞けば難癖をつけるようなクレームだった。ただ言いたいだけなのだ。わかっているうえで言い返さずに、私も一緒にしばらく叱責を受けた。
それよりもアルバイトの子へのアフターフォローがうまくできなかった方が気になっている。客が帰った後で気にしなくていいと伝えたとき、視線が下がったまま「申し訳ありませんでした」と私にも謝った声は震えていた。
「自分も昔同じようなクレームを受けたの後から思い出したけど、バイトの時間終わって帰っちゃってた。あの子が明日から来なくなったらどうしよう」
彼のおどおどした態度は自分を見ているようだった。私がクレームを言われたときは川合さんが励ましてくれたから次の日も出勤できた。彼にとってあのとき、私にとっての川合さんになれたのは、私だけだったのに。
「真面目ですねー」
「ほんと、柔軟性がないよね」
「誤解の無いように言っておくと、良い意味で言いました」
うつむいていた顔をあげる。セーターを首から被った美鳥ちゃんは、ロッカーの扉の裏につけた鏡を見ながらほつれた髪を整える。
「志穂さんも怒鳴られたのにその子のこと心配してるから。自分の仕事でいっぱいいっぱいになってても、私が仕事でわからないところを聞くと答えてくれますよね。真面目は美点です」
「あ、ありがとう」
いっぱいいっぱいになっているのが伝わっている件は保留にして、褒められることに慣れていないせいでそわそわする。
「さっき聞いてもらおうとしたのも、企画棚を入れ替えてたら、若い人は流行に詳しい、おじさんにはわからないって話になって。デジタルネイティブの差はあるかもだけど、何もしないで情報が頭に届くわけないのに。年齢でできない理由を正当化するなって、もやっとしました。これが志穂さんだったらサイトとか聞いてくるだろうなって」
仕上げにリップをつけ、美鳥ちゃんは荷物をまとめてロッカーを閉めた。
「これから同期の飲み会に途中参加なんです。お先に失礼します」
「お疲れさま。ありがとう!」
美鳥ちゃんと入れ替わるように川合さんが更衣室に入ってきた。
「さっきより元気になってる」
私の顔を見てすぐ気づくところはさすがだ。川合さんがこの時間帯の責任者だったので、クレームの件を報告していた。
「美鳥ちゃんに回復呪文かけてもらいました」
「よかった」
明日、探してでもあのアルバイトの子に話そう。私も同じ失敗をしていること、腹の立つ客もいるけれど、時々うれしい言葉をかけてくれる客もいるということを。
川合さんとは家の方向は反対でも路線が同じなので、一緒に駅に向かう。違う階のファッションブランドの店員だろう、洗練されたコーディネートのグループが私たちの前方を歩く。
「今月、今までで1番忙しい気がします」
「同感。アルバイトもう1人募集かけろって店長の尻叩いておいた」
「ありがとうございます。川合さんは明日お休みですよね。おうちでのんびりですか?」
「夫と養子縁組の説明を受けてくる。その帰りはちょっと奮発して、高級ステーキ店で結婚記念日のお祝い」
前方のグループに馴染めそうなほどおしゃれで、いつも背筋を伸ばした尊敬する先輩。自分もこうなりたいと思う憧れの女性。
「川合夫婦の子どもになれば、もれなく作文の天才教育を受けられますね」
「ふふっ。アピールポイントを書かないといけないときは、それ使おうかな」
川合夫婦は手描きPOPを作ると本の売り上げが動く、発売前の本の原稿を読むゲラ読みや帯用のコメントを依頼されるなどカリスマ書店員たちだ。
私は読むのは好きでも文章を書くのは苦手だ。読書感想文の宿題が出るなら、書き方も前もって教えてくれと文句を言いながら仕上げていた。アウトプットが極端に苦手なのだ。お金を払ってでもいいから、川合夫婦から文章の書き方を学びたいと思っている。
「志穂ちゃんは明後日休みだっけ?」
「明後日に読む本買いました」
トートバッグから宿と椿が描かれた表紙の本を取り出して見せる。
「それ、夫が読んでた。その本を読んで縁に感謝したって、何でもない日に花束くれた」
「すてきです」
「志穂ちゃんが時代小説って珍しい」
「敵を倒すには、まず敵を知れと言いますから」
「誰と戦うの?」
敵なのか、味方なのか。――誰の味方なのか。
この本を読んだら、自分の進むべき道筋が見えるだろうか。
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