08
翌日の午後、美鳥ちゃんは栗色の髪を後ろで編み込んで出勤した。染めたことのない黒髪を後ろでひとつにくくっているだけの自分と比べて、頭の先から足元まで、おしゃれに対する意識の高さに感心するばかりだ。
力仕事は文句を言いながらでも、企画の提案など仕事に対しても熱心だ。あとは職場に打ち合わせ中に滑り込むように出勤しなければ言うことない。
遅番との打ち合わせ後、みどりちゃんに声をかける。
「今日の入荷分届いたから、品出しお願い」
「はーい」
倉庫へ向かった背中を視線で追って、首を傾げる。力仕事系はぶうたれるのに、今日は素直だ。今夜残業したくない予定でも入っているんだろう、とそれ以上深く考えず、自分の仕事に戻った。
午後に販促物を持ってきた槙さんは、「穂積どうだった?」と話の最後に聞いた。
「好印象だった」
「だと思った」
どうやら私の好みは見抜かれていたらしい。
「好きなタイプとか話したっけ?」
「なんとなく。次はふたりで会ってみる?」
「それはハードルが高いというか……」
「そんな構えなくても、無理なときは無理なんだし」
「フォローになってない」
彼女がいる余裕ってやつか。あ、別れたんだっけ。それでも付き合ったことがあったと全然ないとは天と地の差だ。
槙さんが荷物を持って立ち上がったので、私も卑屈になりながらも見送ろうと席を立つ。
スタッフの通用口を出た正面に、小説の単行本の新刊が並んでいる。槙さんは引き寄せられるように本棚に近づき、平積みの本を手に取った。
「その作家のファンって言ってたね」
槙さんの好きな作家は、江戸時代の小説を得意としている。後ろから話しかけると、槙さんは私がいたことを思い出したように振り返り、少し照れた笑いを見せた。
「買ってきます。ありがとうございました」
「お疲れさまでした」
好きな作家の本を読むのは至福の時間だ。私も手帳に新刊の発売日を書き込み、その日を楽しみに仕事をしている。
(田中先生の新作の進み具合はどうかな)
年が明けてから映画館で会えない。連絡先を知っているから次はいつ来るか聞けるけれど、プレッシャーに感じさせたくなくて控えている。映画館でひょろっとしたもやし体型を探す癖が、知り合いになった今も続いている。
今日の美鳥ちゃんは力仕事だけでなく、普段さらりとかわそうとする電話もすぐに受けている。まるで違う人みたい。プライベートで何かあったんだろうか。先輩としてここは聞いてあげた方がいいのか、それともよけいなお世話だろうか。
ひとりぐるぐる考えるものの、閉店まで美鳥ちゃんと話す余裕もなく、そんな時間ができたのは仕事を終えた更衣室でだった。
「お疲れさま」
「お疲れさまです」
私が更衣室に入ると、美鳥ちゃんは先に着替えていた。私のロッカーは美鳥ちゃんの3つ隣。更衣室には私たちの他、ロッカーを挟んだ向こう側でアルバイトたちが大学のレポートの話をしている。
美鳥ちゃんは友だちがたくさんいそうだから、私なんかに相談する必要はないかもしれない。けれど、私は仕事のことでわからないことがあっても、よけいな仕事を増やして煩わせたくないと質問するのを躊躇していたとき、川合さんからどうしたのか聞いてくれてうれしかった。
(聞くだけ聞いてみよう)
まず本題に入る前の話題を頭の中で探して、昨日美鳥ちゃんを見かけたことを思い出す。
「美鳥ちゃん昨日」
バン、と金属の扉が閉まる音が更衣室に響く。ロッカーの向こう側も一瞬話し声が止んだ。
「お先に失礼します」
ロッカーに鍵をかけ、灰色のコートを腕にかけて目も合わせずに更衣室を出て行く後姿を、私は呆然としたまま見送った。
こんな日に限って終電は混んで座れない。乗客が同じようなバッグやパーカー、Tシャツを着ているので、近くで誰かのライブがあったらしい。
降りる駅まで半分を過ぎたところで、やっと長イスに座ることができた。
電車で読む用に通勤バッグにはミステリーの文庫本が入っているがのに、さっきの出来事で到底読む気になれない。周りを見渡すと、同じく仕事帰りのサラリーマンやOLが疲れた顔でスマホをいじっている。
楽しいだけの仕事なんてきっとない。
力仕事で腰や腕が痛いし、立ちっぱなしで足がむくむし、本が店頭になくて客に文句を言われたり、雑に本棚に戻されてページや帯が破れた本を見つけたり、仕掛けた本が全然売れなかったり、なにひとつがっかりしない日の方が少ない。
それでも好きな本に囲まれている、やりたかった仕事をしているという実感が自分を支えている。
けれど、職場の人間関係のことは、他人の心が関わってくる分どうしたらいいかわからなくなる。相手に苦手意識ができるとますます
川合さんだったら、他の人だったら、美鳥ちゃんに上手に聞き出せただろうか。
どうして自分はこうなんだろう。自分に対して腹が立って、情けなくて、悲しくなる。私はこんな自分のことが嫌いだった。
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