第1話

02

 連休明けの朝はつらい。

 連休でも学校がある日と同じ時間に起きるぞ。連休前にいつもそう思うのに、ついつい夜ふかしと寝坊を繰り返して、連休明けにこうして後悔する。

 しばらくふとんでごろごろして、諦めて重たい体を起こした。


 あくびをしながら階段を下りる。まだパジャマの私と違って、玄関には学ランを着たかけるがこちらに背中を向けてがりかまち座っていた。


「おはよう翔さん」

「おはよう渚さん」

「朝練?」

「うん」

「まじめだねえ」


 翔は靴紐を縛り終えて、脇に置いたリュックを背負う。振り返って、一言。


「髪、おもしろいことになってる」


 縦長の靴箱の扉についている全身鏡をのぞけば、髪が盛大に跳ねていた。


「良い匂いのヘアミスト買ったの、今日から使ってみようかな。翔も使っていいよ」

「ども。いってきます」

「いってらっしゃい」


 私も1時間後に登校するけれど、ちゃんと見送る。あいさつは瀬尾の家のルールだから。


 リビングのドアを開けると味噌汁のいい匂いがした。テーブルでごはんを食べている司さんと、キッチンにいる紗希さんにおはようと言う。


 朝ごはんを食べて、顔を洗って歯磨きして、髪のはねをヘアミストで直して、セーラー服に着替えて、リュックを背負って。


「渚ちゃんごめん。翔のお弁当もお願い」

「はーい。いってきます」


 お弁当をふたつ持って、家を出た。




 3階まで息を荒くさせながら上り、自分のクラスのひとつ手前の2組の教室へ先に入る。


「みーちゃんおはよう」

「おはよう。瀬尾君のお弁当?」

「そう」


 みーちゃんの後ろの机のかばんかけに、大きい方の弁当バッグをかけた。

 翔は朝練があるから、紗希さんのお弁当が間に合わない日は私が届ける。クラス替えがあった4月は、周りから彼氏への手作り弁当と勘違いされていたらしい。2組の人に聞かれたときにぽかんとして、その後笑ってしまった。翔はいとこで、瀬尾のおうちにお世話になっていると説明した今ではみんな気に留めない。


 そのまま翔の席でみーちゃんと話していたら、朝練を終えて翔が教室に戻ってきた。


「瀬尾君が渚と席を代わってくれたらいいのに」

「先生に言って」


 女王さまなみーちゃんの発言に、翔はマイペースに返す。


「理系は無理だよ。私はこの高校入れたのだって奇跡なのに」


 席を翔に返して答える。中学の担任にも『正直落ちると思った』と言われた。激しく同意した。


 みーちゃんと翔は理系クラスで、私は文系クラス。予鈴が鳴るぎりぎりまでねばって、隣の3組の教室に戻った。


 私の席は窓際の一番前。『秋本』という名字のせいで出席番号が1番以外になったことがない。自己紹介も何をするのも最初になることが多いのが嫌だ。


 みーちゃんとクラスが離れるのは悲しいけれど、担任はおもしろいし、なによりこのクラスが楽しい一番の理由は――。


 廊下側のななめ後ろを見る。彼も朝練から戻ったばかりで、リュックを机に置いて、中を整理していた。


 長谷川はせがわ祐輔ゆうすけ君。


 好きな人と同じクラスになった。

 休み時間も授業中も姿が視界に入る。声が耳に届く。授業で祐輔君ばかり当たればいいのに、と祐輔君にしてみたらひどいことを思ったりする。体育祭や文化祭、高校生活一大イベントの修学旅行だって一緒だ。


(クラスメイトってすてき)


 連休明けの憂鬱な気持ちもふっとぶ。にやける顔を隠すように、机にひじをついて両手で頬を押さえた。




 先生の説明を聞きながらノートをとり、たまに問題を当てられて焦り、次の英単語のテストに向けてこっそり内職し、紗希さんが用意してくれたお弁当を食べ、うたた寝して頭がかくんと落ちても素知らぬ顔で板書を急いで写す。日によって授業や行事の違いはあれど、大体こんな感じで学校生活を過ごす。

 部活の茶道部は週に1回で、それ以外の日は放課後用事がないのでまっすぐ家に帰る。


 みーちゃんはバス通学だから、放課後遊ぶ日以外は別々になる。今日は生徒会活動で、1か月後の体育祭関係の会議があると言っていた。

 私は生徒会なんて考えたことないけれど、みーちゃんは高校だけでなく、中学校、小学校でも副会長をしていた。どれも先生に推薦されたからで、この話からも優等生ぶりがうかがえる。生徒会選挙では裏から支える副会長としてがんばりたい、と小学生の頃から堂々とスピーチしていた。


『支えるじゃなくて、牛耳ぎゅうじるの間違いじゃない』


 翔はみーちゃんとは中学から同じなのに、まるで見ていたようにそんな畏れ多いことを言っていた。




 高校の自転車置き場は裏門の方にあり、その途中体育館と弓道場の横を通る。


 パンッ。


 矢が的を射る音が聞こえた。フェンス越しに弓道場を眺めると、射場で袴を着ている翔を見つけた。翔は高校から弓道をはじめて、朝練も真面目に通っている。


 翔が後ろに下がり、祐輔君が前に出てきた。袴姿が尊い。

 祐輔君は離れた的に対して垂直に立った。足を開き、姿勢を正す。弓と矢を合わせて左手に持ち、右手を腰にあてる。右手を弦にかけ、的を見る。ゆっくりと両腕を上げ、下ろしながら弓を引く。


 一瞬、世界が止まった。


 ヒュンッと風を切る音がして、パンッと乾いた音が響いた。中心の白の部分から黒の輪を挟んで2つ目の白の輪に矢がささった。教室での柔らかい雰囲気と、部活中のきりっとした雰囲気のギャップがたまらない。


(かわいくてかっこいいとか最高か)


 ひとり悶える自分は外部から見たら気持ち悪いに違いない。

 私も弓道部に入ったらよかったかな。袴を着られるし、集中力つきそうだし、弓道部は男女一緒に練習するから祐輔君に教えてもらえるし。でも私は雑念が多すぎて不動心なんて無理そうだ。


 弓道部の練習の邪魔にはなりたくないので、そろそろフェンスから離れて自転車置き場に向かうことにする。


 家に帰ったら宿題して、夜ごはんを食べて、ドラマや映画を見て、寝る時間になる。

 そして、次の朝がやって来る。


 周りの友だちは時々毎日がつまらないと言う。何か目の覚めるような、刺激的な出来事が起きることを望んでいる。

 私はそんなものノーサンキューだ。

 仲の良い友だちも、好きな人もいる。のどかな学校生活がいい。ぬるま湯バンザイ。


 私の平凡平穏な日常は、今のままで満ち足りている。

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