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第29話

「どうした? 遅かったな。迷ってたのか?」


どうしたのはこっちのセリフだよ。なんなの? その超絶甘々な口調は?


蒼の前に立っていた女性が、蒼の視線の先をたどって私を見る。


うわぁ! すごい……美女!


ふわりと柔らかそうなダークブラウンのセミショート、落ち着いた知的な感じの……30代の前半くらいの、リッチな若奥様風。細身の、それでいてばっちりSライン。黒のシフォンブラウスに白のロング丈のマーメイドスカート。そして黒の8㎝ストラップサンダル。無駄のない輪郭、マツエクの艶っぽい目元、知的な鼻筋と下唇が厚めの肉感的な唇。


ソファに座っている蒼とその傍らに立っている彼女は、完璧な美男美女。


――けど。



少し不機嫌そうな蒼の表情から、なんとなく状況を察した私は(前の秘書という職業柄、とっさの状況判断力は高いほうだと思う)、仕方なく話を合わせてあげることにする。


「うん、ちょっとね……」


蒼が目の前の美女に気づかれないように、私に目で「こっちに来い」と合図を送ってくる。はぁ。あの女の人、怖くないよね? いきなり叩いてきたりしないよね?


蒼の目力の圧が半端なくて、私はすごすごとふたりに近づいていく。


危険だとわかっているところに近づかなきゃいけないなんて。


至近距離まで届くと、待ち構えていた蒼が手を伸ばし、私の手をつかんで目の前に引き寄せる。


「……あら、本当に連れがいたのね」


美女はにっこりと笑んだ。うわぁ。見る人からお金が取れるよ、その笑顔。でも……目が、笑ってない。


私は「状況がわかりません」というような戸惑いの微笑みを浮かべて(=演出)軽く会釈する。


「帰国したばかりで連絡もくれないで、それなのに新しい彼女とデート?」


ええ? この人に連絡することが一番重要だった、みたいな言い方……?


蒼はふん、と冷笑する。


「ただの知り合いにいちいち連絡するか? そのうち嫌でも仕事で顔合わすのに?」


美女はあでやかに微笑む。「ただの知り合い」と「嫌でも」をスルーした! メンタル強し!


「冷たいわね。半年ぶりなのに」


くす。


美女はあでやかに笑んだ。


たぶん、その余裕の反応にイラっとしたのだろう。蒼は私の手を握ったまま立ち上がり、上から美女を見下ろすように冷たく言った。


「どうでもいいだろう? さあ、行こうか。まだ買うものがあるしな」




大股でぐいぐい歩かれると、足がもつれないように小走りでついていく(引っ張られていく、とも言う)のが大変だ。ソファ売り場からだいぶ離れて上階へのエスカレーターに乗ると、蒼はやっと私を振り返った。


「ああ、胸くそ悪い。いったん昼飯に行こう」




高い天井に木製のファンが回る、5月の日差しが明るく降り注ぐコロニアルスタイルのカフェ。外のテラス席は空中庭園の緑の中にあるから、東南アジアのリゾートにいるみたい。


白い帆布のパラソルの下、ローズマリーで燻したTボーンステーキに蒼のご機嫌は直ったみたいだ。


私は自分のラムチョップを咀嚼して飲み込んだ後に訊いた。


「あれ、元カノでしょう?」


案外、あっさりと答えが返ってくる。


「ああ、司法修習のときのな。ほんの2か月くらいだったけど」


「ということは、あのひとも司法関係?」


「検事。旦那も検事。言っとくけど、あいつが結婚したのは半年前だからな。俺は人妻には興味ない」


「もしかして……半年前って……結婚式で、一時帰国したって言ってたよね……?」


「そうそう。あの時の、あのホテルで結婚式挙げたんだよ」


「うわぁ……じゃあ、バーについてきたって言ってた赤いドレスの人は、同じ結婚式の参列者……ってことは、新婦あのひとの友達かなんかだったとか?」


新婦の友達が、新婦の元カレを狙ってたってことね……ドラマみたい。どろどろのやつ。


「なに? ああ、たぶんそうだろう。どうでもいいけど。なにせあの時の俺はあんたのことが気になってたから、その女が何話してたかなんてまったく覚えてないんだよな」


私のことが・・・・・、じゃなくて私のワインが・・・・・・、気になってたんでしょうが」


肩をすくめると蒼はくすっと笑い、私のラムチョップをグサッとフォークに刺してさらっていった。そしてその代わりにTボーンステーキが一切れ、私のお皿に載せられる。


「あんたぼうっとしてるようで、やっぱり元重役秘書だけあっていろいろと察しがいいな。さっきもちゃんと空気読んでたし。それなのに」


ふと、蒼の声がワントーン下がる。じっと私を見つめる視線にいたずらっ子のような意地悪さが宿る。


「あの時は、やり逃……」


「あー! こ、これ! このステーキ! おいしいね! 私もこれにすればよかったっ!」


私は周りを見回す。大丈夫、隣の会話は聞こえない距離。


「……こんな人が多いところで、そういうこと言わないで!」


ひそひそと声を押さえて注意する。蒼は笑いをかみ殺して口元を押さえている。私をからかうことを完全に楽しんでいるのだろう。



午後は再び家具売り場に戻り、蒼の家具を見た。


「新居とはいってもついこの前までアニキが住んでいたから、足りないのはベッドとソファくらいだ」


赤とか黒の革張りのソファでも選ぶのかと思ったら、ブルーグレイのロータイプの布ソファを選んでいた。そのあとはベッド売り場に引っ張られて行く。


「なぁなぁ、これと……こっち、どっちがいい?」


高反発マットレスの上にぽんと放り投げられて文句を言おうと上体を起こしたら、今度はポケットコイルマットレスにぐいっと引っ張られて放り投げられる。


「……自分の好きなの、選べばいいでしょ」


「ふーん。やっぱりあれか、高密度スプリング!」


すぐにまた別のマットレスに放り投げられる。私を放り投げるのが楽しくて仕方ないって感じ。もう……髪がぐしゃぐしゃだ。


ため息をついてぐったりしていると、ぽん、と隣に寝転がって、蒼は顔だけこちらに向けてくすりと笑う。


「やっぱりこれだな。な? これがいいよな?」


「だ、だから自分でいいならいいんじゃないって……」


「あんたの意見も、大事だろう?」


年配の女性店員があらあ、と意味深に笑う。



「さあ、次は家電だ。PC買うんだろう?」


午後になり、モールはますます混雑してくる。


手をつないでいても何度か人の流れに小突かれて引き戻される私にイラついたのか、蒼は私のウエストを捕まえて人混みをかき分けてゆく。


んん、なんか、すごくちらちらと、周りから見られている!


いるよね、いるよね、ぴったりと引っ付いているカップル。


でも私は、今まで誰ともそんなに引っ付いて歩いたことなんてなかった。手をつないで歩いたのも駿也ぐらい。


だって、なんか、恥ずかしいでしょ?




ちら、と蒼を見上げると、前を向いているけれど私の視線に気づいているようで、口の端が吊り上がっている。


「これはなんの罰ゲームなの……?」


ぼそぼそと呟くと、蒼は私を見下ろしてにやりと笑った。


「半年前、こっそり逃げただろ? 俺は根に持つタイプなんだ」


「……」




あれがそんなに、根に持つようなこと?!

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