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第24話

久しぶりの実家。


引き払ったアパートから、1時間半の距離だから、そんなに遠くもない。


かわいい路面電車と海と、サーフィンが有名な街。



大学入学の時に一人暮らしを始めたから、戻って暮らすのは……10年ぶり!


もとは明治の商家だったご先祖が建てた家。それを大正、昭和、平成にちょこちょこと手を加え、今に至る。父は勤務先の大学のちかくに家を借りて住んでいて、ここは月に一度、掃除とメンテナンスが入って状態を維持していたようだった。


私が好きな場所は、中庭に面した縁側だ。庭は四季の草木が植えられていて、なんだか由緒ある料亭みたい。


ガラス障子を通してみる庭の景色は、小さいころからだ好きだった。


そして一番のお気に入りは、離れの建物。そこは父の書庫だった。


屋根部屋付きの2階建てでぎっちりとあちこちに本が積み上げられ、壁の棚に並んでいる。


いくつかの壁を崩し、一部を1階から2階まで吹き抜けの空間を作った。1階に大きなテーブル席、最大10席。庭に面した窓際に角を利用したL字型にカウンター席が10席。2階に10席、屋根部屋は貸出できない貴重な蔵書の保管棚と私(と一応、暉)の事務室に。ガラス障子で仕切られた広い縁側廂にはカウンターを作り、そこで料理や飲み物を作る。おしゃべりもその席で。天気の良い日は庭でも3つある外席で読書を楽しめる。


「カフェが軌道に乗って落ち着いたら、母屋で民泊はじめてもいいな」


トラベル・インフルエンサーは早くも新しい野望を抱いているようだ。うん、きっと外国人にウケるだろう。



父の幼馴染の妙子さんにも久しぶりに会った。


「まあまあ朔ちゃん! あか抜けてキレイになったね!」


小学校高学年から中学生のころ、私だけちょっと精神的に不安定になったことがあった。胸が出てくるとか初潮が始まるとかの体の変化からくる心の不調でふさぎこんだ時、父が妙子さんに相談して、私は時々妙子さんの家に預けられていた時期があった。


体が女性になること、生理用品の使い方、生理前後の体や心の変化や波などを教えてくれたり、下着を一緒に買いに行ってくれたりした。料理や掃除、洗濯などのコツも。私には、そういうことを教えてくれる母親やおばなどがいなかったから、とてもありがたかった。


ふくよかな胸にぎゅむっと抱きしめられて、私もぎゅっと抱き返す。


「久しぶりです、妙子さん。相変わらず若い!」


妙子さんには私より2歳下の真那ちゃんという娘さんが一人いる。去年、彼女は遠くの街に嫁いでしまった。一人娘が嫁いだことを機に、妙子さんは離婚したらしい。旦那さんは単身赴任が多くて私も一度くらいしか会ったことがなかったから、どんな人だったかはよくわからない。


「心の重荷がすべてなくなったから、もう、絶好調よ~」


シワのないつやつやの頬を緩ませて、妙子さんはおっとりと笑う。美人ではないが、年齢より若く見えるベビーフェイス。


「今はご実家に?」


私の問いに、彼女は首を横に振る。


「あそこには兄と兄嫁がいるから、出戻りは居づらいのよ。いてもいいって言われたけど。近くにアパートを借りたわ。ここから5分よ。ホントに、はるちゃんには感謝だわ」


玄とは、父のことだ。山野井はる。某国立大学の国文学教授。専門は中世文学。


「妙子さんがいてくれると心強いけど、給料、大丈夫? 低くない?」


「あはは。大丈夫よ。慰謝料がっぽりもらったから! ただ、社会と接点を保つために、働いていたいの」


私は妙子さんの両手を握ってぺこりと頭を下げた。


「これからよろしくお願いします」


妙子さんはにっこり笑って同じように頭を下げた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」




改装はほぼ出来上がってきた。


営業許可の申請やもろもろの手続きは、父と暉がほとんど済ませてくれていた。食品衛生責任者の名前は妙子さんで申請がおりている。食器類はうちの蔵にあった戦前の骨董品たちを使う。ばらばらだけど、かえってそこが味があっていいとみんなの意見が一致した。もとでもかからないし。


暉が友人のグラフィックデザイナーに依頼した看板も出来上がった。切り絵風で太陽と月、三本足のカラスと二本足で立ちあがったウサギのデザイン。そのイラストの上下に、”Books & Coffee",  "Uto" と書かれている。


食材やコーヒー、紅茶その他の飲み物は私の会社員時代のつてで業者を決めた。


料理とデザート類は妙子さんが作る。フランス人のパティシエの洋菓子店にパートで勤めていたこともあるそうで、かなり本格的だ。


飲み物に関してはパリやローマのカフェで働いたことがある暉の担当。暉が海外に行っていない間のために、私ものちのちおいしい作り方を教わる予定。


暉と妙子さんと3人で試作品を作ってメニューを考えるのはとても楽しかった。結論として、メニューはシンプルにとどめることにした。


コーヒーは普通のフィルタードとバリスタマシーンでできる数種類、紅茶はダージリン、ニルギリ、アッサム。そして緑茶、ほうじ茶、ジャスミン茶と季節ごとに変えるハーブティー。


デザートは季節のタルト、アップルパイ、フォンダンショコラと2種類のチーズケーキ。


軽食はキッシュ、サンドウィッチ数種類とおにぎり数種類のみ。


「やっと夢がかなう」と喜んでいた父は、ほとんど口を出さずにただにこにこして、私たちのやりたいようにやればいいと言う。


オープンに当たって、知り合いや友人たちにそれぞれお知らせを送る。暉はSNSで宣伝したので、早くも国内外からたくさんの問い合わせが届いている。私も翔ちゃんと専務に招待状を郵送した。それから、小中学校や高校の地元の友人たちにも。



「高校の同窓会があるから、ちょっと宣伝してくるよ! あ、友達がひとり、1週間くらい泊るから。今日連れて帰ってくるから、よろしく!」


暉はそう言って金曜の夜に元気に出かけて行った。


私は、一応客間の用意を整えて置いた。せめて男性か女性か、日本人か外国人かくらいは教えてほしい。


同窓会なら、高校の友達かな?





まさかそれが、嵐の前兆だなんて……


送り出した時には、夢にも思わなかった。

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