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第22話

それからの4か月は瞬く間に過ぎ去った。


11月から12月の忘年会や新年会、各社各部署への準備とあいさつ回りは、後任の翔ちゃんと一緒に行った。


後任が翔ちゃんだったから、毎日がどんなに忙しくても引き継ぎ業務は楽しく過ぎて行った。専務と三人で時々は仕事帰りに飲みに行って、それもまた楽しかった。


2月、誕生日は暉とビデオトークしてお互いにお祝いした。専務からは私の好きな洋菓子店の特注ケーキをプレゼントしてもらい、翔ちゃんとその彼氏はお祝いパーティを開いてくれて、朝まで一緒に楽しんだ。



私と駿也がお別れしたことは11月にはすでに社内に知れ渡っていた。千夏をはじめ理由を詮索してくる人たちもいたけれど、私たちはどちらもなにも言わずにはぐらかした。


別れた後も――わざわざ会いに行く用事はなくとも、普通に会話する私たちを見て周りはだんだんと私たちから関心を失っていってくれたので、良かったと思う。



決算月の最後に、秘書課で送別会を開いてもらって……


ちょっと早いお花見を、会社のちかくの屋台村でして、先輩たちや後輩たちが、いろいろな選別をくれて……


「秘書課の恥にはなるな」とか「専務に迷惑はかけるな」とか言っていた先輩たちも、この2年半の私の仕事ぶりを評価してくれて、何とも言えず胸がいっぱいになってしまった。



そして勤務最終日。


「いままで、ありがとうございました」


執務室で専務に挨拶する。たった2年半、もう2年半。

 

がむしゃらに頑張ってすごい人についてきた。それが、終わったとは感慨深いような、信じられないような。


「こちらこそ、ありがとうございました」


私と専務はぺこり、とお辞儀しあう。翔ちゃんが見ていたら吹き出しているかもしれない。けれどこれぞ律儀な者同士の、律儀な挨拶なのだ。


私は顔を上げて決意を込めて言う。


「最後に、ごちそうさせてください!」



そこは緩やかな坂道の途中にある、小さなビストロ。地中海料理のお店。


「なつかしいですね」


専務は目を細める。予約してあるのは、懐かしい席。


私が専務つきの秘書になってすぐ、ある会議の資料のデータを間違って消去してしまうという信じられないミスをしでかしたことがあった。常務に叱られ、副社長にも渋い表情をされ、先輩たちからも散々にお説教を食らい沈み込んでいた私を、専務が連れてきてくれた店。


「あまり気にしすぎないでください。だれでもミスはする。同じことを二度と繰り返さなければいいんです」


専務は私を叱らなかった。その代わりに、そう言っておいしいご飯をおごってくれたのだ。


幸い、その時は専務がオリジナルのデータを保管していたので事なきを得た。いえ、それはいいことではなかった。上司にしりぬぐいをしてもらい事なきを得たのであって、自分で切り抜けたわけではなかったから。


だからそれ以来、私もバックアップはつねに取っておくことにしたし、何かするごとに起こりうるリスクを想定して防御策をいくつか立てておくことにしていた。



「いつ、オープン予定ですか?」


大皿からサラダを取りわけてくれながら専務が訊いた。


「今月の末かGW後でしょうか。今、兄が帰国して改装を進めています。あ、カフェの名前が決まって、先週父から教えてもらいました」


「なんて言う名前に?」


「ウト、です。からすうさぎと書いて、烏兎うと。兄は”UTO”にするって言い張ってますけど」


烏兎匆匆うとそうそう、の烏兎ですか?」


「はい。でも意味は、元のほうです。中国の古言い伝えで、太陽にはカラスが、月にはウサギが棲んでいると言われていて、カラスは太陽、ウサギは月を表しますね。それ、兄と私のことだそうです。兄は暉、私は朔で名前の意味がそれぞれ太陽と月だから」


「なるほど。そういえば、朔は新月、という意味ですね」


「そうです。生まれたのがちょうど新月の夜だったからだそうです。名前のせいで、いつも男の子の双子だと勘違いされたし、中学では朔太郎と呼ばれて男子からよくからかわれました」


「ああ、詩人ですね。萩原朔太郎。教科書にも載るから」


朔日ついたち生まれで、朔太郎ですね。同じ字だけど、私とは意味違うのに。あの年頃の男子には、そんなの関係ないから」


「同じ学校にいたら、かばってあげられたんですが」


「ご冗談を。そしたら今度は女子たちにいじめられます」


そう、同じ学校に通うなんてありえない。私は公立、専務は幼稚園からエスカレーターの名門私立。


でも、専務みたいな先輩がいたら、きっと憧れていたかもしれないな。ひそかに、見てるだけ。



専務はふと寂しそうに微笑む。


「——明日から寂しくなりますね」


私ははは、と笑う。


「いつも通りの時間に目が覚めて、いつも通り出勤の準備をしちゃいそうです。習慣って、すぐには抜けないから。でもきっと、麻生君がぬかりなくやると思いますので、どうか彼をよろしくお願いします」


「その点は何の心配もしていませんよ。ただ……」


専務はふう、と小さなため息をついた。そして何かを言いかけてやめ、かすかに首を横に振る。


「?」


私は目を見張って首を傾げたけれど、専務はちょっと口元を上げて何も言ってくれなかった。




この2年半の面白い思い出話をしながらおいしいご飯を食べて、結局私が席をちょっと外した間に専務が払ってしまった。


「ごちそうするって言ったじゃないですか」


私が苦情を言うと、ではコーヒーを買ってくださいと専務は笑う。


私たちはビストロを出た。

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