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第12話

火曜日、午前11時20分。


  ≪今日の昼は一緒にどうですか?≫


私が送ったそのメッセージの答えはすぐに来る。


  ≪11:30からランチ会議なんだ。ごめん、明日の夕飯はどこかへ食べに行かないか?≫


ということで、明日の退勤後7時に、エントランスの受付前のロビーで待ち合わせをした。



今朝早く、ホテルのロビーで目撃した光景を思い出す。


なんか、ドラマみたいだった。美男美女が訳アリなかんじで。7,8cmのピンヒールを履いて、181cmの駿也より5,6センチほど低かった。出るところは出ていて、くびれるところはくびれている、完璧なSライン。前に千夏が空港で目撃した時に「混血みたいな、めっちゃ美人」と言っていたけど、まさに、そんな感じだった。


駿也は、どうしたいのかな?


もし完璧に誰もが予想する事態ならば、私は……どうすればいいかな?




一日半、考えた。


もしも月曜日、翔ちゃんとスパに行かなければ?


いや、行ったとして、もしも朝、偶然にもあれを目撃しなかったら?


もしも彼らが別のホテルに行っていたら?


私が何も知らずにいたら?



いっそのこと、言ってくれればいい。


「ごめん朔、結婚はできない。別に好きな人ができたんだ」


とか。


そうすれば……


やっぱりね、そうだと思ったって、納得する? それとも、失望する?


いえいえ、いっそのこと、何も言わないでほしい。



でもすべてがただの仮定でしかなくて……



水曜日、午後3時。


「山野井さん、外線です。モリタさんとおっしゃる、女性のかた」


秘書室のデスクにいるときに、先輩が私に外線を回してくる。モリタさん? はて、森田さん? 盛田さん? 杜田さん? 専務の取引先ならばみんなおじさんのはず。


「山野井です」


電話に出ると、すこし掠れた低めの声が言った。


「突然のお電話、失礼いたします。モリタと申します。ほんの少しでもいいので、お会いしたいです。圷さんのことで、あなたとお話がしたいです」


どくん、と心臓が口から飛び出るかと思う。


彼女、だ。歯形。昨日、ホテルのロビーで見た、あの美女。




専務が社内会議に出ている間、専務のスーツとコートをクリーニングから引き取りに行く予定があった。午後4時半すぎ。早めにクリーニング店へ行って服を回収し、そのまま大通りの駅のそばの、大きなカフェに向かう。


「お待たせしました、山野井です。モリタさんですね」


壁際の窓に面した席に、彼女は座っていた。ぼんやりと窓の外の雑踏を眺めていた彼女は、目の前まで来てお辞儀をする私を見ると、少し驚いた。あ、彼女の瞳は、ちょっと色素の薄い茶色なんだ?


「私のこと、わかりましたか?」


ええ、はい、昨日、私の彼に抱きついてキス攻撃してるところを見ましたから、とは言わないでおく。


「勘です。荷物、向かい側に置かせてもらいますね。上司のお遣いなんです。私、飲み物買ってきます」


私は専務のクリーニングを向かいの席に置き、彼女がうなずいたのを見るとカウンターに注文を通しに行った。



近くで見ると、本当に美人だ。千夏の言うとおり、混血だ。


「アンナ・モリタ・ビアンキと申します。ミラノで日本企業向けの、コーディネーターをしています」


「山野井朔と申します。もうたぶん、よく……ご存じかと思いますが」


私たちは名刺を交換する。


(普通、名刺交換って……するの?)


アンナさんは薄い唇の端を皮肉気にくっと上げる。


「あまりご存じではないですが。そうですね、ちょっと、聞いています」


口調がちょっと攻撃的。なんか、胃がけいれんしそう。叩かれたりしないよね?


「はあ……それで、何のお話を……」


彼女は細く筋張った手で、私の両手を自分の両手で包み込んだ。びく、と私は肩を縮める。


「山……朔さん。お願いです。圷さんと、結婚しないでください」


「えっ?」


ド直球。


「彼が前の会社で働いていた5年位前からの知り合いなんです。この前ミラノで会ったときに、今度結婚するって聞いて……それで、私、止めようと思って。追いかけてきました」


「……」


「迷惑だから、帰れと言われました。あなたのことを愛してるから、私の気持ち、応えられないって。でも私は、駿也を忘れられない。彼じゃないと……」


アンナさんは、薄い茶色の瞳をにじませた。ぽろぽろと涙が流れ落ちる。ライオンみたいな人かもしれないと怖がっていた私は、とても驚いた。


「3年前、日本で就職すると言われて、諦めました。半年前に、仕事先で再会して、やっぱり、忘れられなくて」


ああ。やっぱり……元カノかぁ……


「再会した時、やっぱり、運命だと思いました。でも、彼はもう、別の人のことが好きで、その人にプロポーズしたって、嬉しそうに笑って」


私は両手を握られたまま動けない。彼女は右手を解いて、自分のスマホの画面を出して私に見せる。


「シュンヤには、まだ言ってないけど」


「!」


私は息をのんだ。


くりんくりんの黒髪、すべすべのほっぺ、小さな赤い唇、大きな薄茶色の瞳。天使のようにかわいらしい……2歳くらいの女の子が、3段重ねのジェラーティをべたべたに顔につけて、カメラ目線で満面の笑顔、の写真。ああ、似てる。すごく似てる。


「別れた後に、彼女がおなかにいるとわかって……半年前に再会した時、伝えようかやめようか、迷って。もう日本で結婚してるなら、やめようと思った。でも、まだ、だったから……」


でも……


アンナさん、これは……ズルいよ。


「ぁの、ええと……」


声が上ずってしまう。するっと彼女の手の中を抜けて、私は彼女の左手をそっと両手で包む。ふう、とゆっくりと息を吐く。


「早くこれ、見せてあげたらいいと思います。私じゃなくて、本人と話してください。このために、わざわざ日本まで追いかけてきたんでしょう……?」




会社に戻ると、待ち合わせ場所変更のメッセージを駿也に送った。エントランスのロビーではなく、7時半に彼の家。


7時40分になったら、メッセージを送ろう。




  ≪明日の夜、ゆっくり話そうね≫




そして私は8時まで残業した。

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