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第29話

闇。




真っ暗闇の中。




右も左も、上下の感覚もわからない。




自分がどこにいるのか、全く見当がつかない。薄闇とか薄暗がりならば周囲の状況をおぼろげながらでも把握して、どうすべきかを判断できる。


しかし、いくら目を凝らしてみても、真っ暗闇しか見えない、すなわち、目を開けているのに見えないと同じでは、方向の目星をつけようがない。



ああ、この前宝物庫で対峙したあの黒い獣をふと思い出す。黒い体に、黒い斑。白い牙、そして黄金の獰猛な目。


もしもあんな奴がこの闇の中に潜んでいて、身を低く構えて狙いを定めているとしたら……勝ち目はないだろう。


横から飛んでくるあの鋭い爪も、背後から首筋を狙ってくる長い牙も、暗闇に溶け込んで隠れてしまう。


宝物庫では明かりがあったので何とか打ち負かすことができた。


ヴァラを守ることができて、本当に良かったと思う。




 ヴァラ……




あれ? どうしていたんだろう? 彼女はいったいどこにいるのか。


今朝まで、一緒だったはずだ。


そう、ついに求婚したのだ。


結婚なんて、家のためにするものだから、相手などだれでも構わないと思っていたのに……彼女に会って、欲が出てしまった。




 彼女とずっと一緒にいたい。


 魔女だってなんだってかまわない。


 濃い青の、冬の湖のような艶やかな瞳。


 アッシュブロンドの絹糸のように美しいやわらかな長い髪。


 長い手足と華奢な肩。


 いねむりする姿に、一目で恋に落ちた。


 少し低い声で静かに話す、知的な話し方。


 よく笑い、たまに拗ねてたまにいたずらっ子のような表情を見せる。


 闇の中の光みたいな。





「ヒュー、起きて。目を覚まして」




名前を呼ばれてヒューは徐々に意識を取り戻した。


うっすらと目を開けると、ヴァラの長いまつ毛がまずは目に入った。


彼女の柔らかな唇が、ヒューの唇に触れながら彼の名前を呼んでいた。


「ん……あれ? ヴァラ……?」


ヴァラははっと息をのみ目を開ける。そしてヒューはヴァラの濃い青の瞳に映る自分を見る。


「ヒュー! 目覚めたのね」


ヴァラはソファに寝たままのヒューを抱きしめた。


「あの魔術師に、意識だけ攫われて・・・・・・・・いたのよ」


「え?」


「ちなみに、ヒューの寝ている間に、呪いは解けたわ」


「ええええ?」


ヒューは上半身を起こす。話が見えない。


「呪いって、王家の? 二百年も続いたやつ?」


「そう、それ」


「……」


まだよくわかっていないヒューの頬に触れ、ヴァラはくすっと笑った。


「執務室に行こう。みんな待っているから」


「ああ、うん……」





王太子の執務室に二人は入室すると、大きな円卓にはバル、イギー、フランツが待っていた。


テーブルの上には壊れた紅玉を頂く三つの王権象徴レガリア――王冠、王笏、宝玉――と、竜からの恵与である大きな蒼玉サファイアの塊が載っていた。


「おめざめか、ねむり姫ドォノロッシェィン


バルがヒューに微笑んだ。


「なにそれ、やめてくれよ……」


ヒューは目をすがめた。



「お姫様が王子様で、王子様はお姫様だったか。驚いたよ、揺すっても起きないし」


「ああ、うん、いつのまにか意識がなくなって……まさかその間に呪いが解けていたとはね」


「聞いたのか? そう、解けたらしいんだ。これがほら、証拠さ」


バルが指し示した三つの柄ガリアを見てヒューは細かく頷く。


「ははぁ、見事に割れたか。それで呪いが解けた時、どうなったの?」


ヒューの質問に全員が微妙な表情をする。


「それがさ、かなり呆気ない実に地味な最後だった。レガリアの紅玉たちが割れた時なんてさ、ほら、二百年以上の呪いの終わりだ、パ—―ッと光とか放出されてさ、そういう感じかと思うだろう? ところが。そういうの一切なしで、地味な感じだったよ。パキッ、とね」


イギーがはははと苦笑する。フランツも首を傾げて同じように笑う。


「でも、呪具が壊れたということは呪いが解けたということよ。私は三つの紅玉が壊れた時点で呪いが解けたと思っているわ」


「うん、そうだね。レガリアが壊れたのは残念だけれど、それで二百年以上続いた呪いが終わったのなら惜しくないだろう」


「そこであれよ、バル」




バルの隣に座ったヴァラはテーブルの上の蒼玉の塊を指さす。


「バルの代からはレガリアにはあれをはめ込めばいいわ」


ヴァラの言葉に隣にいたヒューはああ、と頷く。




「今朝言っていた、思い当たることって、新しくレガリアに使うってこと?」


彼女は静かに頷いた。バルは何度か小刻みに首を縦に振った。


「なるほどね。割れた以上は変えなければならないし、竜からの恵与ならばレガリアにも箔がつくよね。ヴァラ、素晴らしいよ。父上に報告申し上げたらすぐに職人に修理に出すとしよう。イギー、フランツ、とりあえずこの四点は、宝物庫に置いてきてくれるかい?」


「御意御意」と言って、イギーはフランツと一緒に三つのレガリアと蒼玉の塊を持って出て行った。



「さて、ヴァラ。こうしてヒューの意識が戻ったから、カジミアはキミの言うことをきいたということで、いいのかな」


バルは腕くみをして背もたれに体を預けたままちらりと隣を見て方眉を上げた。


「いいと思うわ。クラム侯に大金を請求して、すでにこの国を出たと思うわ」


「クラム侯と言えば、どうするつもりなの、バル。呪いがなくなったと知れれば、王太子妃をぐいぐい勧めてくるだろうな」


「さぁて、どうしようか。今回、ヴァラの解呪の邪魔をしようと魔術師を金で雇ったこと、護衛にヴァラとヒューを襲わせようとしたことは大目に見てあげられないな。娘を王太子妃にして将来まつりごとに舅として口を挟んでくるのも勘弁してほしいし……」


「あの、バル。そのことだけど、カジミアがこれをくれたわ」


ヴァラは一枚の羊皮紙に書かれた書状を差し出した。


それは魔術師カジミアからのもので、自分が雇われた理由、雇い主の名前、金額、仕事内容などが詳細に記されてあった。


バルはそれを読み、おどけたように眉を上げる。


「おや、証拠が自らやってきた」


「これでヒューの意識を攫ったことを無しにしてほしいって」


ヴァラはくすくすと笑った。

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