第8話

 寝室に籠ったフェリスはベッドに腰掛ける。

 与えられた自由に戸惑っていた。

 最初こそ嬉しいと思い複数場所を挙げたが、それは一人で行きたい場所ではなく屋敷の同僚と一緒に行きたかった場所だったり、領主様の付き添いで行けたら良かったと思っていた場所だったりで、一つ一つ行きたい場所を想うと屋敷での思い出が蘇って切ない。

 しかしそれ以外に行きたい場所などすぐには浮かばなかった。


 貴族向けの部屋の内装になんだか落ち着かず、フェリスは窓の外に目を向ける。

 見慣れた街並みがそこにあった。

 日はとっぷり暮れて時刻はもう夜だろう。

 人足はまばらで、店は概ね閉まっていた。

 街頭の灯りがその様子を照らす。

 ぐう、とフェリスの腹が鳴った。

 そういえば朝から一食も口にしていなかったことを思い出す。

 昨晩からの怒涛の出来事に食事のことなど忘れていた。


「おなかすいた……」


 彼らは空腹にならないのだろうか。

 同じく食事をしていない魔族二人にフェリスは疑問を抱く。

 ぽすん、とフェリスはベッドに倒れこむ。

 たまらない空腹に頭を悩まされていた。


 オズの下に行くとは言ったが、どういう待遇かは聞いていない。

 もしかしたら奴隷のようにこき使われるかもしれないし、血を吸いつくされて捨てられる可能性だってある。

 色々なことがありすぎて自分のこれからをフェリスは忘れていた。


(私の行きたいところに連れて行ってくれるってどういうこと?)


 その理由もフェリスには見当がつかなかった。

 このままでは埒が明かない。

 フェリスは立ち上がり、寝室を出てオズの部屋のドアをノックした。

 応答替わりにオズが現れる。

 腕を組み、きざったらしく首を傾げながらオズは言う。

 シャツは着崩され、さらされた首元は色香にあふれていた。

 寝巻のまま飛び出してきたことにフェリスは少しの罪悪感を覚える。


「どうしたのかな、フェリス」

「これからのこと、もう少し話をききたい。それと、」


 フェリスの言葉を代弁するように盛大に腹が鳴った。

 口元を抑えてオズは後ろを向いた。

 肩が震えているので笑っていることがうかがえる。

 これでは色気も何もなかった。

 気を取り直すようにコホンと咳を一つ。


「そういえば君の食事を用意していなかったね。ミア」

「御意」


 オズがミアを呼ぶ。

 室内に控えていたミアは返事をしてすぐ部屋を去っていった。

 数分後、部屋にパンとチーズ、スープの乗ったお盆を持って現れた。


「今はこれしかないとのこと」


 そう言ってことりと室内のテーブルに置いた。

 夜も更け厨房はとっくに閉まっている時間だろうに用意されたスープは温かかった。


「ありがとう、ミアさん」

主人マエストロの命令。気にする必要はない」


 礼を述べるフェリスにミアはしっぽをつれなく一振りして答えた。

 昨日ぶりの食事にしては質素だが、空腹の前にはごちそうである。

 フェリスはさっそく席に着いた。


「いただきます。……二人は?」


 使用人のような恰好のミアが食事をとらないのはともかく、オズの分まで無いことにフェリスは首をかしげる。


「俺はいらないよ。気にせず食べるといい」


 お言葉に甘えてフェリスはカトラリーに手を伸ばした。

 さすが高級宿。パンはふかふか、スープは目立った具は無いものの透き通っていてコクがある。

 チーズも風味豊かで、これまでフェリスが食べていた食事よりも上等なことが味で分かった。

 美味しさに頬を押さえる。

 空腹のスパイスも影響して実に充実した食事だった。


「ごちそうさま」


 フェリスが食べ終わるとミアが無言でお盆を片付ける。


「ミアはオズの使用人なの?」

「いいや。契約はしているが、半分はアレが好きでやっていることだ」


 聞くに、ミアはオズの手下だという。


「私も、あなたの手下?」

「それは少し違うが……喜ぶと良い、俺に近づきたがる魔族は多い。それを出し抜いての大抜擢だ」


 少し思案してから、さして起伏もなくオズは言った。


「それで、これからの事だったね」


 こくり、とフェリスはつばを飲む。


「まずは旅でもして親睦を深めようじゃないか。せっかく君は俺を見つけたんだ。その幸運に免じてそれを許そう。まあ、俺が君を見つけたの間違いかもしれないがそれも些事だろう」


 この男は自分をして幸運といった。

 オズという吸血鬼が来てからは散々な思いばかりしているというのにすごい言い様だ。


「食事はつく?」

「もちろん。三食に間食もつけようじゃないか」


 なんとも贅沢な待遇だ。


「旅って野宿もするの?」

「君が望む場所によるね。必要であればするよ」


 なんだかんだ箱入りのフェリスは旅というものを経験したことが無かった。

 物語の中でしか知らない旅には野宿というものがある。その言葉にフェリスは少し心躍らせた。


「旅程は君の望む場所を聞いてからだ。さあ、お望みは?」


 フェリスは黙り込む。

 行きたい場所は未だ決まらなかった。


「急かしているように聞こえてしまったかな。ゆっくりでいい。」

「ごめんなさい、決められなくて」

「構わない。もう夜も遅いから今日はお開きにしよう」


 その言葉を皮切りにオズは部屋へ戻っていった。

 フェリスも寝室に戻ることにした。




 フェリスは寝室で枕に顔を埋めていた。

 オズの前では堪えていたが、用意されていたのがそれだけだったとはいえ寝巻で男性と相対したこと、あまつさえ腹が鳴ったこと。その上そのまま食事までしてしまって、己の行儀の悪さに恥ずかしくてたまらない気持ちだった。


「明日は部屋着も用意してもらわなくちゃ。でもあまりねだりすぎるのも……」


 現在フェリスのワードローブは全て処分され、今日来ていたワンピースも片づけられてしまった状態だ。

 今来ている服しかフェリスの手元には無かった。

 着る服がないことに頭を悩ませる。

 また明日、今日のようにミアが用意してくれるならいいが毎日彼女の世話になりながら着替えるのも嫌だった。

 しかしこの服のままでは外に出る事もままならない。

 といっても、出られたところで一銭も持っていないから買い物すらできやしなかった。


(仕方ない、明日は数着着替えを用意してもらえるよう頼もう)


 旅の行先よりも衣食住である。

 衣食住の衣の心配が終わったフェリスはとりあえず眠ることにした。



――――


ストックが尽きたので今回から二日に一回更新にします。

何卒よろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る