08.「ああ、αってやっぱり怖いな」

 あの動画を見てあの男を正式に認識し、インナーシャツのやり取りを父を介してだが行って以降俺の精神には変化があった。

 認めたくなくて目を背け続けていたが、そろそろそれも無駄な努力だと思わずにはいられない位の変化だ。


「……映画は、普通に面白かった」


 元々インドア派だった為テレビで色々な映像作品を見られるようにネット配信の契約はしていた。

 でも主に見る物は人間ドキュメンタリーや歴史を掘り下げる番組や自然界で強く生きる動物の知られざる生態的な物ばかりだったのに、気付けば最近今までろくに見なかった映画を無意識の内によく見ている。


 莉帆の言葉を思い出すと如月は生意気なことにラブシーンや恋人がいる設定の役の仕事は受けないらしい。実際見ているとそれは本当のようで恋愛要素を含む映画やドラマには出ていても本人には一切その絡みは無い。

 しかしその反対に「それ以外」の役は基本断らないのかもしれない。

 だって今見終えた映画の中で如月が演じたのは「復讐に人生を捧げた悲しい殺人犯」役だった。

 何作も主演した実績があるのだからわざわざ悪役の犯罪者なんて演じなくても良さそうなのに思わず引き込まれ、作中では警察官である主人公VS如月演じる殺人犯の構図だったのに気付けば殺人犯側を応援してしまっていたくらいだ。

 一昨年公開された映画でこの間見た動画の映像より少し若い如月を見て、灯莉はなんだか不思議な気持ちになった。


 灯莉は自身が本当の意味でΩになる可能性を否定したい気持ちは強いが、既に『Ω』と正式に診断されている事実から逃げることはしていない。

 だから毎年色々と出て来る第二性関連の本は出来る限り目を通すようにしているし、インターネットを通じた当事者たちの発信も時間を見付けては見ている。

 ネット上の情報は玉石混交の為全てを鵜呑みにするのは危険だが匿名の世界だからこそ本音で語れる意見と言うのも確かに存在するのだ。

 ちらりと見たリビングのガラステーブルの上に放置したままの一台のスマホが見えてまた心の奥がざわつく。


「……」


 父に見事に転がされインナーシャツを渡してしまったあの夜から少し時間が経った先週の土曜日、久し振りに両親が揃って灯莉の家にやって来た。

 今度こそ騙されないぞ、と心の中で決意していたことはあっさりと見透かされ父に涼しい顔で「今日は何も持って帰るつもりはない」と最初に言われてしまったのだ。

 母が持って来てくれた手作りのお菓子を食べつつ一緒にお茶を飲みながら親子の会話は始まった……けれど、やはり父はかなり早い段階で本題に入ってしまう。


「コレをお前に渡しておく」

「……スマホ? なんで?」


 意味が分からず首を傾げると母がけらけらと笑って「それじゃ伝わらないわ」と言って情報を補足してくれた。

 なんでもこのスマホには恐ろしいことにあの『α』の連絡先だけが入っているらしい。


「え? わざわざ契約したの? と言うか誰が契約したの?」


 無いとは思うがあちら側から渡された物だったら色々と恐ろしい。

 位置情報の把握だって盗聴だってαの頭脳を以てすればなんでも出来るのだ。実際にそれで一見自由に泳がされているようでいて二十四時間体制で管理下に置かれているΩは多い。

 灯莉の恐れを感じ取ったのか父はまたアッサリと告げた。


「私が契約した。中身も弄って位置情報は絶対に外部から取得出来ないようにしているしカメラ機能は設定自体を弄った上で物理的にカメラを秋帆が殺してくれた」

「カメラを物理的に殺す?」


 意味が分からなくて受け取ったスマホを恐る恐る見ると確かにインカメも背面のメインカメラも何かで塞がれていた。


「何これ?」

「レジンよ。お母さん手芸が趣味だからちゃーんとしっかり硬化しておいたから安心してね」

「ありがとう?」


 一応精密機械だと思うのだけれどそういう事をしても良いのだろうか? でもまあ自分の安全を考えてくれた母の気持ちが嬉しかったので灯莉は礼をして詳しい話の続きを求めた。


「これから母さんが『Ω』の先輩として大事なことを伝えておくわね」

「――うん」


 真面目な顔で言った母の言葉に灯莉は素直に頷いた。

 一番身近で一番信頼出来るΩは、やはり血を分けた実の母親なのだ。


「灯莉は事故のせいで中途半端な『番契約』ではあるけれど『Ω』であることは確定している。――自分でもそこはちゃんと受け止めているかしら?」

「うん、そこは大丈夫だよ」


 母としっかり視線を合わせている横で父は母といる時にしか見せない穏やかな表情で母が作ったマフィンを食べている。

 基本甘いものは食べない人だと思っていたが、やはり番の手作りは違うようで幸せそうに咀嚼している。


「今回十五年経ったことであのαの子が行動を起こした結果色々あってあちらに灯莉のフェロモンが渡ったわね」

「……そうだね」


 あの時の敗北感と確かに感じた裏切りの気持ちを思い出しじとりと父を見ると、父は素知らぬ顔で珈琲を飲んでいた。あれは自分の為に父がわざわざしてくれたことだと理解していてもやっぱりもうちょっと騙し討ちのようなことは避けてくれても良かったじゃないかと言う気持ちは消えない。

 そんな心をまたしても見透かすように父はサラッと言う。


「他のαに騙される前に教えておくのも親の愛だろう」

「……」

「まあまあ。灯莉勘違いしないでね? パパは灯莉のことをとっても心配していてこのスマホだってもう持てる力の全てを注いで万に一つの見逃しも無いようにってとーっても頑張っていたんだから」

「――言わなくて良い」


 恥ずかしそうにぷいっと顔を背けた父を母が優しい笑顔で見て、少し逸れた話を戻す。


「今まで灯莉は『ヒート』と『抑制剤関係』の面に限定すれば同じΩの立場から見てもとっても恵まれた人生を送って来たと思う」

「うん」

「でも……今までは頭の中で『何処かで多分自由に生きているであろう自分を噛んだだけのα』程度の認識だった相手が『何処の誰』かをハッキリ理解して尚且つ『自分を求めている』ことをちゃんと知ってしまった今……灯莉の中で眠っていたのに等しい『Ωとしての灯莉』がどう動き出すかは誰にも分からないのよ」

「……」


 母の言葉は尤もだと思った灯莉が素直に頷くと、母は「大丈夫」と言う様に優しい瞳で灯莉を見て言葉を重ねた。


「だからこれを念の為持っておきなさい。自分さえその気になればいつでも『あのαと直ぐに連絡が取れる』という手段を持っているだけで心の安定度は全然違うわ。使うか使わないかは二の次で、手段があると知っているだけで心は落ち着く。落ち着くことによって、不安とかが招きやすい心の暴走の可能性を下げられるのよ」

「――分かった。二人とも、ありがとう。一応電源を入れてみても良いかな?」


 そう尋ねると父が頷いたので灯莉は電源を入れる。

 見慣れた起動画面が落ち着くのを待っているとホーム画面にはシンプルな見た事の無いアイコンが一つだけあった。


「コレがメッセージアプリ?」

「そうだ。私が作った」

「作った?!!」


 さらりと父が言った言葉に驚く。

 いや、αの頭脳の高さの凄さは知っていたけれどIT系とは全く畑違いの仕事をしている灯莉にとっては驚きしかない。


「一般大衆が誰でもDL出来るツールは基本的に何かしら情報を抜かれていると思え。――悪用するか善用するかは別としてな。そこを警戒するなら最低限度の機能しか持たない物を最初から自分で作った方が余程安心だ」

「いや、あの……父さん、すごく大変だったでしょう。本当にありがとう」

「別にそこまで苦労はしなかった」


 相変わらず真顔で返す父に横に居た母が「素直じゃないんだから」と言うと父はまた「言わなくて良い」と返す。

 この二人の関係性は灯莉が子供の頃からずうっと変わっていない。

 世間ではαとΩの関係は難しい場合が多いと思われがちだが、灯莉の傍にはどちらも幸せそうに歳を重ね続けている二人がいる。それはなんだか今の灯莉にとっては嬉しいことだ。

 念の為にはなるが自分があのαとこんな風になりたい、なんてことは一ミリも思っていないと強く言っておこう。


 父の優しさに感謝してアプリを開いて――灯莉は思わず一瞬絶句した。


「……な、にこれ?」

「えっと、驚くと思うのだけれど……本気になったαって割とこういう所があってね……」


 思い切り引いている灯莉に向かってフォローしようとする母と違い、父はフンと珍しく鼻を鳴らして言う。


「自分の事を正確に知っておいて欲しいという本能と、自分はこれだけ優れた存在であるというアピールがごちゃ混ぜになっているだけだ。まともに取り合わなくて良い」

「いや……でもさ」


 あのαが自分でご丁寧に入力したのだろうと思われるプロフィールの記入内容の詳細さに加え、何故か前年の確定申告の写しのPDFすら添えられているのを見て……灯莉はどうすれば良いのだろうか。

 現住所(うん、ざっくりとした地名だけでもすっごく良いところ!)、電話番号、生年月日、身長、体重、血液型、視力(これ以下は本当にさらに要らない情報が延々と続く)とか教えて貰ってどうしろって言うんだろうか。


「あの男にDLさせたアプリにはこの初期項目登録以外『折り返し』と『返信』機能しか付けていない。――お前から連絡をしなければ相手は何も出来ないから安心しろ」



 ――勿論プロフィール項目を悪用して連絡を強請るような使い方は出来ないようにしてある。



 そう言い終えて三つ目のマフィンに手を伸ばした父を見て灯莉は「ああ、αってやっぱり怖いな」と久し振りに強く思った。

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