04.天下のα様には庶民の皮肉は通じないようだ。

「――成程ね」


 示談書にじっくりと目を通した莉帆が顔を上げるのを待ってから灯莉は自分が考えていた案を口にしてみる。


「捨てアドを取得してメールで『会いたくない』って伝えようと思っているんだけどどうだろう?」


 汚しては困る大切な示談書をファイルに入れて少し離れた場所に置いた後戻って来た灯莉が言うと莉帆は少し間を開けてから真剣な顔で言った。


「捨てアドは……セキュリティ問題で弾かれてそもそも届かないとかもあるし、悪戯と判断されて本人の目に触れない可能性もあるから避けた方が良いかもしれない」

「確かにそうだね」


 妹の冷静な指摘で灯莉は自分の視野が知らず知らずのうちに狭まっていたことを思い知る。

 腐っても(失礼だが)相手は人気俳優の有名人。きっとこれから彼が示した事務所の窓口にはファンと言う名の「自称咬傷事故被害者」が殺到することは考えてみればすぐに分かることだった。


「じゃあどうしようか……手紙は足がつきそうでちょっと避けたいんだよね」

「……手紙!」


 灯莉の言葉を聞いた後莉帆は「それよ!」と両手を叩いた。

 その声と音がちょっと大きかったこともあり灯莉が驚いた顔をすると莉帆は頷きながら言う。


「私明後日からまた海外出張だから、渡航先からエアメールを投函するわ。さっきの様子だと受けた連絡を元に探りを入れてお兄ちゃんを突き止める為のエサにする! みたいには見えなかったけれど海外を一度経由することで国内から普通に投函するよりずっと安全性は高まると思う」

「――莉帆天才だね」


 驚いたが素直に褒めると莉帆は「まあねえ~」と嬉しそうに笑って、綺麗に整えられた爪が光る細い指を一本立てて続けた。


「手紙にわざと『フェロモン』を少し付ければ良いわ。きっとそれが何よりの証拠になる」

「ごめん俺フェロモンの出し方分からないんだけど」


 今まで医療機関や研究機関などで色々な検査を受けたが灯莉は誰のフェロモンもさっぱり分からなかった。

 だから学生時代の友人や仕事関係者からは非常に有難いことに「フェロモンが一切分からない超鈍感β」だと思われている。

 Ωだと知られたくない灯莉にとっては「超鈍感β」は誇らしい称号ですらあるのだ。


「私はβだからあんまり分からないけど、あれよ。耳の後ろとかをごしごしした指を便せんにぬりぬりすれば良いってきっと!」

「……その言い方だと加齢臭みたいでお兄ちゃんちょっと悲しいかな」

「似たようなモンでしょ?」


 ……すごく有益な案を出してもらったのになんだかちょっと複雑な気持ちになったが灯莉は莉帆の言う通り手紙を書くことにした。

 しかし莉帆は更に慎重を期すことを提案し、自らがレターセットの調達も引き受けてくれたのだ。

「だって相手はαなんだから便せん自体の入手経路を辿るかもしれないでしょう?」とまたしても頼もしい意見を言った莉帆は次の日わざわざ普段行きもしない駅ビルの中にある非常に混み合っている百均に行き、何処の店舗でも間違いなく売っていそうな非常に個性の薄い封筒と一筆箋のセットを買って来てくれた。


 礼を言って受け取った灯莉は早速宛先に彼の所属事務所が指定した住所を記入。

 そして差出人住所は判断材料の一つになればと二人があの事件直後に入院していた病院の住所を記入し、差出人はあの事件が起きた最寄り駅の名前を人名に見えなくもない文字間隔で記すことにした。

 先に封筒を仕上げて肝心の本文に移る。

 余計なことを書く間柄でも無いので灯莉はまたさらさらと頭の中で用意していた文章を文字にした。

 敢えて冷たく、簡素に見えるように手紙のマナーなんて無視した様式で。



 ――私はあなたに会いたくありません。

 如月様の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。



 輝かしい道を歩んで来られたであろうα様にお祈りメールを模した(と言うかそのまんま)意味が正確に伝わるかは不明だが、これで十分だろう。

 少し離れた位置で自分の荷物の整理をしていた莉帆に封をする前の一筆箋を見せると「透 麻 不 採 用」と笑い転げてくれたのでまあ……良いだろう。

 これだけやって伝わらず本格捜索に乗り出されても嫌なので妹の助言に従い灯莉は非常に複雑な感情を抱きつつも自らの耳の後ろを数回撫でた指を一筆箋の裏側に触れさせた。

 妙な脂が自分から出ていて届いた時に紙が変色していたらどうしよう……でも逆にそれが原因で幻滅してくれたらそれはそれでアリかも知れないと必死に自分を落ち着かせ、丁寧に糊で封をした。


「……よし。じゃあごめんね莉帆。これお願いね」

「任せて頂戴! 上海からノンホウよ!」


 お金を渡そうとしたが笑顔で断られたので帰国したら食事をご馳走する約束をして莉帆はまた軽やかに旅立って行った。


 上海からのエアメールがどれくらいの期間で日本に届くのかを灯莉は知らない。

 そして届いた所で恐らく膨大な量の郵便物などを確認しているのであろう事務所スタッフの目に留まるまでさらに何日掛かるかも不明だ。

 しかし自分の意志で明確な「拒否」を示した灯莉はこれで今回の問題は終了したと思っていたのだ。

 でも……現実はどうやらそうではなかったらしい。


 ――お兄ちゃん、今日の二十一時に透麻がまた生配信するって予告出たよ。


 仕事の合間に妹から届いたメッセージを見て灯莉は一瞬首を傾げた。

 何故だ? あの件は終わったと思っていたのに……そうは言っても自分も無関係とは思えないので教えてくれたお礼を返信して灯莉は夜自宅マンションのリビングで二度と再生することは無いだろうと思っていたチャンネルを何故か表示して配信開始を待っていた。


「俺……何してるんだろう」


 本気で思うが、自分の拒否を受け取った彼からの決別のメッセージだろうと思いノンカフェインのお茶を飲みつつ過ごしているとこの間と同じカウントダウンの後彼が映った。

 ――相変わらずとんでもなく顔が良いが、今回は何というか……笑顔だ。物凄く、笑顔だ。

 そして手元にはどう見てもチャック付ポリ袋を持っている。とても大事そうに。

 非常に筆舌に尽くしがたい感情を抱くが、それには自分が莉帆に頼んで送って貰ったであろう手紙らしき物が入っているではないか。

 もう一度言おう。

 チャック付ポリ袋である。ソレ的なお洒落な袋ではなく、明らかな大手メーカーのチャック付ポリ袋だ。ロゴだってバッチリ映っているがスポンサー契約でもあるのだろうか? それとも機能性だけで選んだのだろうか。

 これには流石にコメント欄も同様の疑問でざわついたが、本人は今までの整い過ぎて作り物のようだった顔をくしゃっと人間らしく歪めてとても嬉しそうに笑っていた。


「相手の方から手紙を頂けたんです! 本当にありがとうございました」


 彼の笑顔と明るい声にファン達は当然「上手く行った」と判断しコメント欄には祝福の声が溢れる。しかし、祝われている当の本人は今日もコメント欄の存在には目を向けず弾んだ声で言った。


「俺には会いたくないけど『今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます』って言って貰えました。だから、いつか会いたいって思って貰える様にもっと仕事を頑張りますね」


 ……。

 …………やべえ、このαには明らかにお祈りメール皮肉が通じて無い。

 普通に気遣いのメッセージだと受け取って――喜んでいやがる。


 思わずそう心の中で汚い言葉が出てしまった。

 コメント欄にも微かにだが「それってお祈りメール的なやつじゃ?」と言った意見も散見されるが、「まさか天下の如月透麻にお祈りメールは無いでしょ!」みたいな流れの方が圧倒的に強く何故か皆が応援する流れになり普通に告知映像に切り替わって配信は終わった。


「…………」


 何? あのαなんなの?

 天然なの? それとも天然を演じているの? この茶番、まさか続くの?


 ピロンとスマホが鳴って、莉帆から届いたメッセージは小生意気な顔をした猫が「乙www」と高笑いしているスタンプ一つだった。

 それに溜息を吐きつつ返事をして、でもまあこちらからこれ以上コンタクトを取る義務は無いからスルーで行こうと思った三日後……たまたまとても気楽なランチミーティングと言う名の普通の昼食中休憩室で流れていたテレビのニュースに緊急速報が入った。



「俳優の如月 透麻さんが今日の午前主演映画の撮影現場で倒れ、都内の病院に緊急搬送されたそうです」



 何も知らない同僚達が口々に何かを言い合う。

 緊急搬送と救急搬送の違いってなんだっけ、なんて場違いなことを考える中で画面の映像を見て灯莉は首筋に嫌な汗をかいた。

 早速突き止めた報道陣が押し掛けている「都内の病院」は嫌になる程見覚えがある建物だったのだ。



 ――あそこは灯莉も何度も通ったことのある「第二性」を原因とした疾患の治療等に特化している国の指定医療機関のひとつである。

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