第29話 危機


 獣人王国を出てから、もうすぐ二か月となる。

 ジョアンの軟禁生活は、変わらず続いていた。


(きっと僕は、ここで一生飼い殺しにされる……女王の奴隷として)


 三度の食事は差し入れられ、屋敷内での自由行動は許されている。

 しかし、外出することはできない。

 屋敷の中は必要最低限の使用人だけ。来客は一切ない。

 ジョアンは毎日を、ぼんやりと過ごしていた。


 食事をしていても、風呂に入っていても、読書をしていても、頭に思い浮かぶのはただ一人の人物。


「今ごろ、何をしているんだろう……」 


 王弟としての務めを、しっかり果たしているのだろうか。

 好き嫌いをせず、きちんと食事をしているのだろうか。

 従者を困らせてはいないだろうか。

 気づくと、そんなことばかり考えてしまう。


 過保護で心配性の主だから、一向に手紙が届かないことに異変を察知しているだろう。

 しかし、他国の件に王弟が関与すれば、間違いなく外交問題に発展する。

 それでも、デクスターであれば行動を起こすかもしれない。

 ジョアンは、それを心配していた。

 なんせ彼は、たまに本気とも冗談とも取れる発言をする人物なのだから。


 番いジョアンのことより、王弟の立場と国益を考えて自重してくれること。

 そして……新たな番いと出会えること。

 それだけを、遠く離れたこの地からジョアンは願っている。

 

(獣人王国で過ごした日々は、きっと白昼夢だったのだ)


 ジョアンは、デクスターへ最初で最後の恋をした。

 毎日欠かさず、口づけを交わす。

 体を重ねるたびに、肌の温もりを感じた。

 愛し・愛される喜びを知った。

 最高の思い出をかてに、これから無味乾燥な人生を生きていかなければならない。


「うっ……」


 ジョアンは洗面所へ駆け込む。

 ここ数日体調が思わしくなく、食欲もほとんどない。


(もしかしたら、少しずつ毒でも盛られているのかもしれない)


 女王が、暗殺者を差し向けた黒幕ではないと言い切れない。

 ひっそりと秘密裏に処分されてしまう可能性もある。病死を装って。


「別に、それでもいいけど……」


 長生きをしたって、これからの人生で良いことなど一つもない。

 それならば、デクスターとの思い出が鮮明なうちにあの世へ旅立ちたい。



 ◇



 二日後、女王のリーザがまたやって来た。


「久しぶりね。最近あまり食欲がないと、聞いたわ」


「僕がもうすぐ死ぬのか、確認をしに来たのですか?」


「へえ、わたくしの前で取り繕うことを止めたのね。それが、あなたの本来の姿ってことか……」


 まじまじと不躾な視線を送りつけるリーザへ、ジョアンは顔も向けない。

 香水の匂いで、今にも吐きそうだった。


「生意気な元婚約者へ、少々罰を与えようと準備していたの。それが整ったから、今日わざわざこちらへ来たのよ」


「罰?」


「あなたって、獣人王国の王弟殿下の番いだそうね。いずれ、結婚するつもりだったのでしょう?」


「!?」


 なぜリーザがそのことを知っているのか、考えなくてもわかる。

 トミーが報告したのだ。

 意地悪く笑う女王に、不穏な気配を強く感じた。

 

「馴染みの娼館に頼んで、獣人の男娼を探してもらったの。ようやく見つかったと連絡があったわ。もうすぐこちらに来るはずよ」


 楽しみね…と微笑むリーザを、ジョアンは睨みつける。


「恋人と同じ獣人の男に犯されるって、どんな心境なのかしら。まあ、これで心が折れて、多少は従順になるといいけど……」


 その時、若い男が入ってきた。

 短髪の黒髪で、背が高い。長い前髪に隠され、表情は見えない。

 男は周囲を見回すと、ジョアンへ目を留めた。

 前髪で見えずとも、射抜くような視線を感じる。

 森で遭遇した狩人と同じ、獲物を捕らえた猛獣の気配だ。

 デクスターの印の効果はとっくに切れている。

 特異体質の匂いは、垂れ流された状態だろう。


「この子を、好きにしていいわよ」 


 リーザの声に反応し、男が素早く動く。

 ジョアンは後退りするが、すぐに距離を詰められ寝台へ押し倒された。

 馬乗りになった男は、ジョアンの体と両手を固定している。

 こうなると、体格差もあり逃れる術はない。

 それでも、身をよじって抵抗する。

 絶対にこの体を汚してはならない。

 その思いだけで、ジョアンは必死だった。


 男の顔が近づき、耳を舐められる。

 それから、嚙みつくように唇を奪われた。

 長くて深い口づけに、ジョアンの目から涙がこぼれる。

 無駄な抵抗を止めたジョアンへ、男の口撃は容赦なく続く。

 ジョアンの首筋に口唇の跡をいくつか残したところで、男は後ろを振り返った。


「気が散るから、あんたは出て行ってくれ」


「仕方ないわね。その代わり、きちんと依頼は果たしなさいよ」


「言われなくても、わかっているさ。こいつは上玉だ。心置きなく存分に楽しませてもらう」


 男の目には、ジョアンしか映っていない。すぐに背を向け、続きを始める。

 フフフと黒い笑みを浮かべたリーザは、部屋を出て行った。



 ◇



 リーザが部屋を出て行ったことを確認すると、男はジョアンのまぶたに優しく口づけを落とす。


「おまえなあ……いくら何でも、泣きすぎだ! それに、もう少し抵抗するフリをしろ!」


「だって、デクスターだから嬉しくて……」


「あの女に気づかれるんじゃないかと、こっちはハラハラしたぞ」


 傍からは、意に添わぬ相手との行為に悲観したように見えたことだろう。

 実際は、愛しい人との再会に嬉し涙を流していただけだった。


 ジョアンは男から耳を舐められたときに、「……俺だ」と懐かしい声を聞いた。 

 前髪の隙間から見えたのは、忘れたくても忘れられない碧眼の瞳。

 思わず涙があふれた。


「あの女が無知で助かったな。番いにしか発情しないのに、獣人の男娼がいるわけないんだからな」


 『人』の男と違い、獣人に媚薬は効かない。

 これでは、身を売る商売はできないのだ。



「デクスター……会いたかったです」


「俺もだ。助けに来るのが遅くなって、すまなかった」


 二人は抱き合うと、再び口づけを交わす。

 会えなかった日数分を取り戻すように、何度も何度も。


「おまえ、ちょっと瘦せたんじゃないか?」


「最近、食欲がなくて……」


「もう、誰に何と言われようと、俺はおまえの傍から絶対に離れないからな」


「でも、仕事のときはどうするのですか?」


「おまえは、俺の膝の上で仕事をしろ」


「ふふふ、デクスターならそう言うと思いました」


 ジョアンは、そっと黒髪に触れる。


「髪を、切ってしまったのですね……」


「おまえを助けるためなら、俺は丸坊主にだってなるぞ。それに、式のときには上手くくくり付けてもらうから、まったく問題ない」


 短髪で黒髪のデクスターは、これまでと雰囲気がまったく違う。

 まるで別人のようだ。

 ちょっと素敵だなと思ってしまったのは、浮気になるのだろうか。

 ジョアンは大真面目に考えてしまった。



「さて、せっかくだし今から続きをするか? 久しぶりだから、手加減できる自信はないが……」


「こんな時に、何を言っているのですか!」


「アハハ、説教ができるのは元気な証拠だな!」


「冗談を言っていないで、デクスターは早く逃げてください! あの女に捕まったら、僕と同じようにここから出してもらえなくなりますよ!!」


「おまえを置いていけるわけがないだろう? それに安心しろ、助けにきたのは俺だけじゃない」


「えっ? それは、どういう───」


 そのとき、ガシャン!と窓が割れる音が屋敷内に響いた。


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