アルストロメリアの後悔
最澄悠夏
001「おはよう、世界は変わらないよ」
病室の中で、ひとりの少女が目を覚ました。
少女の名前は篠竹みどり。なんてことない普通の女子中学生だ。篠竹は、しばらくぼうっと天井を眺めていたが、おもむろに上体を起こす。両手を視界に入れて、握ったり開いたりして、篠竹は自分の存在を確かめる。しかし、篠竹の頭の中に浮かぶのは疑問符ばかりだった。
(どうして、私はここにいるのだ……?)
不意に、病室の扉がノックされる。篠竹は少し肩を震わせてから、戸惑った後、どうぞ、と声を出す。すると、勢いよく扉が開かれ、人の頭部が大きな箱状の物体になっている者が入ってくる。
「篠竹さん! 意識が戻りましたか!」
その者は白衣と聴診器を身に着けており、篠竹はそれから医者であると推測する。
「良かったです……発見されてからずっと意識が戻らなかったんですよ」
「……発見?」
「あ……こ、こっちの話です……あの、どこか痛んだり、違和感があったりとかしますか?」
篠竹は、医者と思われるその者の方を見る。その視線には、大きな戸惑いが見えた。医者と思しきその者は、不思議そうな声を出す。
「どうされました?」
「……」
篠竹は、若干の不安を抱えつつも、正直に、感情を言葉にする。
「すまない、人ではない存在を目にするのは……初めてなのだ」
「はい、身体に問題は無いようなのですが……記憶の面で問題があるようです、特に人ではない存在に対しての記憶と、自分の名前以外の記憶がすっかり抜け落ちてしまっているようで……」
医者は電話口に篠竹の容態を告げる。
「現段階の治癒魔法では、一度失った記憶を再生させるのは難しいのは、日向さんもご存知だと思います……」
『ええ、そうですね……魔法も万能ではありません、それは僕も把握してますよ……今からご本人にお話しを伺いたいと思うのですが、それは可能ですかね?』
「篠竹さんの体調は安定していますし、日向さんの容姿であれば問題ないかと……彼女の人間であるという判定は、容姿に準じているようなので……」
『分かりました、ありがとうございます……今から向かいますね』
電話が切られる。医者――バロン・ボックスは呟く。
「なんで人ではない者の記憶が……」
「なんじゃ、件の自殺を試みた少女かの?」
そばにいた別の医者――くちなわが尋ねる。バロンは答える。
「はい……人ではない者に関する記憶と自分に関する記憶が抜け落ちてるみたいで……」
「名前はどうなんじゃ?」
「あ、名前だけはかろうじて憶えているみたいです」
「ふむ……自殺したのも覚えとらんようなのじゃな?」
くちなわは続けて質問をする。バロンは腕を組む。
「ですね、俺がうっかり『発見』って言った時に、なにか気づく様子もなかったので」
「うっかり言うでない……しかし、不思議じゃのお……なにか世界に干渉レベルの能力を持っているわけでもない一般人の記憶をいじるなど……」
「日向さんが気にかけてるのも分かりますね、ちょっと不思議です」
この世界には、異能や超能力、魔法や最先端技術など様々なものがある。特に、ひとつ間違えば世界に干渉しかねないものには政府からの監視や護衛がつく。この2名が考えているのは、篠竹みどりが政府にそういった能力を持っているという申告をしていないという可能性だ。監視や護衛がつくのを嫌がり、申告をしていない可能性もあるにはある。それで事件に巻き込まれた可能性を2名は考えている。
病室の扉がノックされ、開かれる。篠竹がそちらを向くと、金髪赤眼の容姿端麗な美中年が病室に入って来ていた。
「初めまして、篠竹さん……警察です」
「……は、初めまして……えっと」
「あ~、おじさんは
日向は椅子に腰かけながら言う。
「単刀直入に言うけど、篠竹さん、君が自殺した時のこと、覚えてる?」
「じ、さつ……」
篠竹は薄々そのことに勘づいていたが、改めて言われると少し驚いてしまう。日向は篠竹の様子を見ている。篠竹は記憶をできる限り探ってみるが、直近の記憶で思い出せるのは、ひとつだけだった。
「だれかの、声を聞いた……気が、する」
「声?」
「内容は、覚えてない……だが、声が、した」
「男の人? 女の人? それまでは分からない?」
篠竹は、目を伏せる。
「お……んな……の人だった」
「……ふむ、なるほどね……覚えてることはほかにない?」
「ない、な……申し訳ない、私が自殺したということはなんとなく分かるが、理由や場所、方法までは覚えていない……」
日向は篠竹の顔を少しだけ見る。そして、うん、と一言零すと、立ち上がった。
「お話聞かせてくれてありがとう、篠竹さん、体に気をつけてね」
「……あ、ああ」
「じゃ」
日向は病室から出ていく。見送って、篠竹は再び病室でひとりとなった。篠竹はふと、言葉を漏らす。
「私はなぜ、死のうとしたのだろうか――」
今となっては思い出せない、理由。
世界に絶望したのだろうか、それとも、なにか別の理由があったのだろうか。そして、自分はなぜ、生き延びたのだろうか。
篠竹にはすべて、全く分からなかった。
しかし、自分がなぜ生き延びたのかに関しては、これから生きれば分かるのではないかとほんのり思った。篠竹は決意する。
(生きよう、なぜ生き延びたのか知るために――……そして、なぜ死のうと思ったのか、思い出すために)
長い後日談が、始まろうとしていた。
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