第2話グレン


明け方メリンダが眠っているベッドから起き上がり、彼女の額に別れのキスをして男爵家の離れを出た。


まだ薄暗い王都の街を家に向かい歩いた。

もうこうやって、隠れるように家路につくこともないだろう。

そう考えると少し寂しい気がした。


妻のフレアを裏切っているのは分かっていたけど、止められなかった。


俺にとっての夜の閨事は、ストレス発散の快楽で、スポーツのようなものだ。

俺が結婚していても気にしていない、気が強くてドライなところがメリンダの良いところだ。

交際が10年も続いたのは、彼女が気楽な性格だったからだろう。


結婚して15年が経った。

20歳で子どもを産み、35歳になるフレアは他の騎士たちの女房より若く見えるし美人だ。

けれど彼女は子どもを産んでからは、妻というより子どもの母親になった。

所帯じみた妻と、俺に抱かれて喜ぶメリンダ。

性的にどっちと楽しめるかと訊かれれば妻よりメリンダだった。



俺はちゃんと分かっていた。

妻は一生連れ添う相手で、愛しているのはフレアだ。

そして子どもたちも大切な存在だということを。





妻のフレアが目を覚まさないように、静かに家のドアを開けた。


足音を忍ばせて、ゆっくりとダイニングへ向かう。

部屋の中に目を向けると、食堂のテーブルに座っているフレアが目に入った。

俺は驚き、ほんの一瞬息が止まる。


「おかえりなさいグレン」


「フ……フレア……」


まさか、フレアが起きて待っているとは思ってなかった。


今までは深夜0時を過ぎたら俺を待たずに先に寝ていただろう……

なんで今日に限って起きているんだ。



「帰り際に見回り要請があったから遅くなった。先に寝ていればよかったのに」


フレアに背を向けて、言い訳しながら着ていたコートをクローゼットにかけに行った。


(やばいな、フレアは怒っているんだろう)


ゆっくりと着替えをして、そのまま顔を洗いに浴室へ向かった。


(謝るか?昨日は早く帰ると言ったからな……)


手櫛で髪を整えて食堂へ向かう。


「すまなかった。早く帰ってくるつもりだったんだが、待っていてくれたなんて思ってなかった」


彼女の表情からは、怒りではなく諦めが見て取れた。

よしっ、そのまま諦めてくれ。いつものことだろう……


そのまま彼女は口を開かない。自分だけ先に寝室へ行って眠るわけにもいかない雰囲気だ。


仕方なく彼女の向かい側に腰を下ろした。


フレアはキッチンへ歩いていき、ピッチャーから水をグラスに入れて俺の前に出してくれた。



「大事な話があるの。でも、もう朝だから結論から言わせてもらうわね」


「……結論?」


「グレン、離婚届にサインして」


目の前に、妻の分だけ記入がされている離婚届を差し出された。

いたって彼女は冷静で、冗談を言っているようには見えない。


「り、離婚?」


フレアは頷く。怒りも泣きも、ましてや笑ってもいない。


「ドワン男爵家のメリンダ様と、あなたは10年間不倫していたわよね。離婚の理由は夫の不貞です」


頭は真っ白で、目の前が真っ暗になる。

いや……バレていたのか?


いや、さすがにバレていただろう。

うすうす気が付いているのは分かっていたけど、まさか離婚を考えていたなんて思ってもみなかった。


「ちょ、ちょっと待て」


「子どもたちが寮に入ったわ。もうこの家には夫婦だけになった。これからはあなたも自由に好きなように生きていけばいい。もう家族に対する責任はないでしょう」


「な、何を言っているんだ。まだ子どもたちは15歳になったばかりだ。成人もしていない」


フレアの言葉の衝撃に、焦って声がうわずる。


俺には双子の子がいた。男子のゼノと女子のルナだ。

つい先日、ゼノは試験に合格し全寮制の騎士学園へ入学した。そしてルナは魔力量が普通の人よりも多かったので魔法学園へ推薦で入学した。

どちらも王都に寮があり、これから3年間は入寮して学園で学ぶ。


「二人とも、もう家を出て行きました。ですから子どもたちの世話をする必要はないでしょう」


「離婚なんてすれば、子どもたちの帰ってくる場所がなくなるだろう。それに、俺は家族をバラバラにするつもりはない」


「離れていても、血の繋がりはありますし問題ないかと思います。王都に学園があるんですからいつでも会いに行けます。子どものために離婚しない時期は過ぎました」


「君は……俺の妻だろう。俺を愛していてくれていると思っていた。毎日、笑顔で帰りを待っていてくれたし、大きな喧嘩もしたことはない。夫婦仲も悪くはなかっただろう。お互いおもいやりを持って夫婦としてやってきたつもりだ。俺は君を妻として愛している」


「不倫していたのが理由ですからそんなことを言われても今更です」


そう言って彼女は離婚届をズズッと前に押し出す。


「な、何かの勘違いだろう。愛しているのはフレア、君だけだ」


浮気がバレなければ無かったことになるという。

しらを切り通すのが礼儀であるのは、騎士としての常識だ。


「話が長くなりそうですね……」


「ああ。とりあえず、君も少し落ち着いたら考えが変わるだろう。寝てないんだよな?俺も睡眠がとれていない。ゆっくり休んでから、また話をしよう。俺も今日は休暇だから、夫婦で久しぶりに食事しながら……何か外に旨いものを食べに行ってもいい」


今のこの状況から何とか抜け出したい。妻の機嫌も取らなければならない。作戦も考えなければ……

とにかく今は眠たいを理由に切り抜けよう。


「グレン、離婚届にサインをしてくれたらゆっくり眠れるわ」


「いや、サインはしない。俺は疲れているんだ、もう休ませてもらうよ」


俺はこれ以上話はなしだと言い立ち上がった。


騎士の浮気なんて当たり前にあることだ。

騎士は人気の職業で、正直、女性たちにモテる。だから結婚していても、外に女を作る者も多い。

命懸けの職務からのプレッシャーで、女を抱きに娼館へ行くのも日常茶飯事。


浮気がバレたくらいなんだ……


みんなやってることだろう……



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