終章 暗黙

暗黙(一)

 桜子の部屋に隣接していた小部屋の天井には、確かに『中央の姫』と書かれていた。そして、積まれていた砂袋を全て除けると、隧道へと続く扉が現れる。

「まぁ、こんなところに、扉が?」

 桜子は砂袋を除けようなんて思いもしなかったのか、とても驚いている。

「これだけ重たいなら、下から押し上げるなんて無理だろうな……ということは」

 隧道を調べたとき、最初に見つけた開かない扉は、ここへ通じていたのではないか————と、桔梗は思った。西の棟と東の棟にあるのだから、ここに同じものがあってもおかしくはない。東の棟で帝が『間違えた』と言っていたという撫子の証言からして、初めから西の棟を目指していたに違いない。しかし、隧道には道がたくさん分かれていて、方向感覚を失ってしまいそうになる程だ。帝が全ての道を把握していたとは思えない。だからこそ、こうして扉を開ければそれがどこかわかるように天井に文字が記されているのだろう。

「間違えて東の棟に行き、そのあと、ここにも来たのかもしれないな」

 扉が開かなかったため、諦めて西の棟へ行き、蘭子の部屋に……

「同じものが他の場所にもあるんですの?」

「ああ、西の棟と東の棟にも」

「では、西の棟にも天井に文字が? もしかして、『西の姫』とでも書かれていたのかしら?」

 秘密の部屋なんてとても面白そうね、なんて楽しそうにくすくすと笑いながら、桜子は桔梗に訊ねた。桔梗はその時初めて、西の棟の最初に見つけた小部屋の天井を見ていなかったことに気づく。

「……桜子さん、提灯を借りてもいいだろうか?」

「ええ、いいですよ」

 桔梗は桜子の女房から提灯を受け取ると、階段を下って隧道に降りて言った。藤豆はそれに必死について行き、二人で隧道の道を通って一番近い出口から外へ。左へ行けば、天井には『東の姫』の文字。

「間違えた。反対側か」

 すぐに道を引き返して、反対側の一番近い出口から外へ出れば、『西の姫』と書かれているはずだった。ところが、天井に書かれていたのは————

「『中央の姫』? どういうことだ?」

 そこが『中央の姫』がいる場所であるなら、桜子とその女房がいるはずだった。扉の上から避けた砂袋も小部屋のどこにもない。不審に思って小部屋から出ると、西の棟だった。帝が死亡した蘭子の部屋の周囲に立っていた警護の女官たちと目があった。

「き、桔梗様? 今、一体どちらからいらしたのですか?」

 ついさっきまで自分が通った誰もいない廊下から、急に桔梗たちが現れたのだから、驚くのも無理はない。それも、この西の棟へ入る前に桔梗が桜子と隣の棟に入って行く姿を見ているのだ。妃候補の姫や女房たちの使う厨は中央の棟の中にあり、警護の女官たちはその厨のすぐ横の部屋に寝泊まりしている。交代にまだ来て数分しか経っていない。中央の棟からここまで普通に地上を歩けばかかる時間の半分以上の時間で移動したのだから、不思議に思われても仕方がない。

「あぁ、私のことは気にしないでくれ……ははは」

 その場は何とか笑ってごまかしたが、気になることが多すぎた。天井の文字と出口が一致していない。もう一度小部屋にそのまま戻ろうとしたが、不審がって女官の一人がじっとこちらを見てるので、仕方がなく桔梗たちは今度は地上から隣の棟へ戻った。


「何か分かりました?」

 桜子は入った入り口から戻ってこなかった二人に驚いてはいたが、すぐににっこりと笑う。本当に美しい顔で、思わず見惚れてしまいそうになるくらいだなと桔梗は思った。紅玉領の撫子とも、同じ翡翠領の花梨ともまた違った、どこか幼く、守ってやりたくなるような、そんな愛らしさもある。

「いや、それが、西の棟の天井にも、ここと同じく『中央の姫』と書かれていて……」

「まぁ、どうしてかしら? 同じような部屋がいくつもあるのでしょう? 天井の文字が同じ部屋があったら、わたしならきっと迷ってしまうわ」

 東の姫、中央の姫ときたら、西の姫と書かれているのが普通だと思っていた。紅玉領を東、翡翠領を中央、瑠璃領を西と呼ぶこともあるため、桔梗も西の棟には西の姫と書かれているはずだと思ったのは同じである。扉を開けて天井の文字を確認するまでは、そこがどこかわからないようになっているのは確かだ。その後も扉や隧道のどこかに目印となる文字などがないか確認して見たが、そのようなものは見つからなかった。不思議に思いつつ、昼ごろには桔梗たちは桜子の部屋を後にした。廊下を歩きながら、藤豆は桔梗に訊ねる。

「不思議ですね。どうやって帝様は、蘭子様の部屋がわかったのでしょうか? 同じ中央の姫と書かれた小部屋なのに内装も似ていましたし……砂袋で扉が塞がれているのを知っていたんでしょうか?」

「うーん、どうだろう? 流石にそこまでは、私にはわからないな」

 流石にどうやって判断していたか、なんて、本人が死んでしまった今、確かめようもない。帝の死は、事故ということで片付いたが、桔梗はまだ謎は少し残っているような、どこかすっきりしない気分だった。


 そして、警護の女官たちが寝泊まりをしている部屋の横を通った時だった。


「————それにしても、どうして蘭子様だったのかしら? 主上の好みなら、どう考えても桜子様じゃない?」


 女官のたちが話している声が、廊下まで漏れていた。


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