捜索(四)
宮中に来てから一ヶ月ほど経った頃、葵は自分と同じように他領出身の女御や更衣の許で学んでいる女童がいることを知った。彼女たちも、来年の妃選びの際には成人し、女房として戻ってくることになるらしい。
「まぁ、では、あなたは翡翠領ご当主様の姫さまの女房になられるのですね」
「え、ええ、そうです」
「わたしも、紅玉領ご当主様の姫さまに仕えていますの」
少しずつ顔をあわせる機会も多くなり、同年代、そしてほとんど同じ立場ということで、話に花が咲くのは自然のことであった。
特に、紅玉領の
「
「うちの姫様————
この他、候補となっている姫たちの情報も、葵の耳に入る。容姿の美しさは当たり前で、皆それぞれ、花や香、歌などの芸術に長けていたり、政や兵法に詳しいという知的な部分も持ち合わせているらしい。
妃選びには、様々な試験がある。試験を通して、正室になるにふさわしい姫かどうかを審査するのだ。最終的に決めるのは東宮ということになっているが、姑となる皇后や帝もその審査には口を出すこともある。ただ容姿の美しさだけで選ばれるとは限らないという楓の言葉を思い出し、葵は焦り始める。
「葵さんがお仕えしている姫さまは、何が得意ですの?」
「え、えーと、そうですね……」
美しいだけではダメなのだ。だからこそ、そこを補うために葵は桜子以上に色々のなことを学んで来た。他領の姫たちの情報を得たことで、桜子が選ばれて当然だと信じていた思いが揺らぐ。
さらに、宮仕えが終わった後、各領の様子をその目で見た葵は、何人か妃候補となっている姫たちの姿を遠くからだが見ることができた。どの姫もとても美しく、桜子とは年齢もさほど変わらないというのに、彼女たちの方が随分大人の女性に見えたのである。
————このままでは、姫さまは他の候補たちに負けてしまう。ああ、せめて、姫さまがわたしくらい真面目に学んでくださっていれば、何かが違ったかもしれないのに……!!
翡翠領に残して来た桜子は、子供の頃よりはましになったとはいえ、一人では何もできない。必ず、お付きのものが近くにいなければ不安になってしまうほどに頼りなく、おっとりしていて、物事を知らない。葵は心配でたまらなくなった。
そして、自分の裳着のために翡翠領に戻ってきたのが先月の終わりのことであった。
「葵、久しぶりね!」
久しぶりに再会した桜子は、ますます咲子にそっくりな美しい姫へと成長している。
「葵がいなくて、寂しかったのよ」
屋敷に戻った葵を見て、桜子はとても嬉しそうにそう言って微笑んだ。
以前より体は大人へ成長しつつある桜子の姿を見て、葵は嬉しく、誇らしく思ったのと同時に、なぜか咲子の葬儀で笑っていた、幼い頃の桜子が頭をよぎった。
————なんだろう? 何かがおかしい気がする。
その奇妙な違和感が、余計に葵を不安にする。
一年と半年。
葵が翡翠領を離れていたその間、桜子がどう過ごしていたかは、楓たち女房や女童たちに聞けば大体のことはわかる。女房たちに自分が不在の間、何か変わったことはなかったか訊ねると、桜子はよく「東宮様はどのような人だろうか」と訊いてくることが多くなったという人が多かった。
「昨年の夏に、帝が翡翠領へいらして……あの頃からね」
帝は数年に一度、各地方へ行幸される。現在の帝の世になってから、翡翠領を訪れたのは二度目だった。前回は当主屋敷の中で風邪が流行っていて、万が一にも帝にうつしてしまっては大変だと、央尋が住んでいる別荘でもてなした。そのため、桜子も葵も現在の帝と会ったことがなかった。顔を見たこともなかったのである。
「きっと、初めて間近に帝のお顔を拝見して、興味を持たれたんじゃないかしら?」
「そうそう! 私は遠巻きにちらりとしか見られなかったけど、本当に素敵なお顔立ちをされていて……」
女房たちはぽっと頬を赤らめながらいかに帝のそのお姿が素敵であったか、葵に熱く語った。彼女ら曰く、帝にはなんともいえない色気があるそうだ。端正なお顔であることはもちろんなのだが、所作も、他の者に対する気遣いや指ひとつ動かすだけでも、その一つ一つがとにかく色っぽいのだとか。一年宮中にはいたものの、葵は帝の顔を見たことがない。遠巻きに後ろ姿くらいなら見たことはあるが、大人の色気とかそういうものは特に感じなかった。
「ご側室がたくさんいらっしゃるというのも納得だわ。あんなに素敵な殿方ですもの……はぁ、私ももっと位の高い家に生まれていたら————」
「そうよねぇ、肌ももうすぐ四十になられるというのに、若々しっくって素敵だったわ」
「うちの夫とは大違いよ」
「あらやだ、まだ別れてなかったの?」
桜子は、女房たちがこれほど心酔してしまうような男の息子の妃になろうとしている。きっと、妃選びの日が間近に迫っていることもあって、東宮がどんな男か興味が湧いているのだろうと、女房たちは思っているようだ。
別の女房や下男、下女に聞いても、皆答えは同じようなものだった。帝は三日ほど翡翠領に滞在したそうで、一緒にやってきた側仕えの者たちも、それはそれは見目麗しい方々ばかりだったのだとか。帝が帰った後も、屋敷中の宮仕えの経験がある者や、当主に会いにきたのが宮中から来た官吏であるとわかると、宮中での出来事を聞かせて欲しいと言うようになったらしい。
「姫さまがあんなに積極的にご自分から宮中のことを知ろうだなんて、とてもいい傾向だなと思っていたんです。いくら当主さまが、姫さまを入内させようと思っていても、姫さま自身は、どうなのかなって、実はずっと疑問に思っていたんですよ」
「……どういう意味ですか?」
長く下男として働いてる
「姫さま自身のお気持ちですよ。東宮様のお妃様になられるために、当主様や女房たちがあれやこれやとやっているのは、葵さまも知っていることでしょうけど……姫さまご自身は、あまり興味がないように見えたんです。いつも受け身というか、皆が言うから仕方がなくやっているという感じで————それが、あの日以来とても積極的になられて」
好きでもない男と結婚するというのは、貴族の娘であればよくある話だ。家同士の政治的な思惑があったりする。幼い頃から桜子の様子を見てきた利吉は、心は後から付いてくる場合もあるとはいうものの、心配していたのだ。
「姫さまも、やっと恋をするお年頃になられた、ということなんでしょうね」
目尻にしわを作り、穏やかに笑った利吉の目に光るものがあった。妻子のいない利吉にとって、桜子は主の子供であるが、我が子のように思っているようだった。
「それからですかね、なんだか幼い頃のような、無邪気さとでも言いましょうか……少し明るくなられたような気がするのです」
しかし、不思議なことに桜子が葵に、宮中の様子を聞いてくることは一切なかった。
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