痘痕の光
星来 香文子
翡翠の簪
第一章 失踪
失踪(一)
すべすべとした白く美しいその
傷だらけで、がさがさしている自分の母のものとはまるで違うと、幼心にそう思ったが、
父が死んだ後、母は自分を育てるために、女房として懸命に働いていたのだから。将来、皇后となるべく生まれた二の姫の
そして、葵もいずれは母と同じ、がさがさの手になるのだろうと思っていた。
「————葵? どうしたの?」
誰もが思わず見惚れてしまう、絶世の美女へと成長したその女の娘は、小首を傾げながら、葵の顔を覗き込んだ。
その姿が、いつの間にか綺麗だと思った女の姿と瓜二つになっていたことにはたと気がついて、昔の記憶と重なって見えたのだ。裳着を終え、成人となった立派な姿があまりに美しく、葵の瞳からぽろりと涙が溢れる。
「姫さまがあまりにもお美しすぎて、感動してしまいました」
「もう、大袈裟ね。泣かないの。あなたも再来年には、同じことをするのでしょう?」
「そうですけど……」
姫さまが美しすぎるからいけないのです、と、泣きじゃくる葵に、最初は皆が大笑い。
だが、このままだと鼻水が姫さまのお召し物についてしまう、とまとめ役の女房・
「確かに姫さまはお美しいけれど、なぜお前がそんなに泣くのですか。まったくもう」
「すみません、だって、だってぇ」
「乳母であられる
手拭きを顔に押し付けられて、葵はそれで鼻をちんと擤む。
「すみません。後で洗って返しますね」
「……そのままあげるわ。そんなことより」
楓は葵の肩に手を置いて、腰を曲げ視線を合わせると、真面目な顔で言った。
「お前もいつまでも子供のままではいられませんよ? 再来年にはお前も成人し、女房として姫さまをお支えするお役目があるのです。ことあるごとに泣かれてしまっては、他家の前で恥をかくのは姫さまなのですからね」
葵が敬愛してやまない、美しい姫さま・
妃選びには、身の回りの世話をする歳の近い女房一人と乳母を連れて行くのが通例となっており、その女房に葵が選ばれているのだ。
葵と桜子は二つ違いで、ほとんど姉妹のように育てられたが、それも成人していない子供であるうちだけ。女房として、一番近くで桜子を支える葵には、そろそろしっかりしてもらわないと困るのである。
乳母の菊乃は、近頃床に臥せっていることが多く、医師から長くは持たないと言われている。その為、おそらくはこの楓が、菊乃の名代として共に妃選びに参加することになるだろうと噂されていた。
「わたくしたちはなんとしても姫さまに入内していただかなければなりません。確かに姫さまは、この世のものとは思えないほどお美しい方ですが、どういう基準で東宮様が御正室をお選びになられるかは今のところ不明です」
歴代の東宮の正室は、本当にその時々によって選ばれる基準が違う。
容姿が美しい姫が選ばれることももちろんあるが、何より大事なのはいずれ皇后となるその人柄だ。
噂によれば今の東宮は名君と名高い先代の帝に似て、とても真面目な性格らしい。
現在の帝が東宮であった頃は、数々の浮名を流し、今も側室が片手では足りないくらいいるが————そうなると、今回の東宮は先代を見習って、側室を取らない可能性がある。
桜子は容姿だけなら、確かにどこに出しても恥ずかしくないほど美しいが、文字通りの箱入り娘だ。
この世に生まれ落ちたその瞬間から、大事に大事に育てられ過ぎたせいか、少しおっとりし過ぎている節がある。あまり屋敷の外へ出る事がないのは、幼い頃、たまに外へ出ると少しばかり目を離した好きに人攫いに遭いかけた事が何度もあったせいだ。
「他家の妃候補がどのような人物がわかりませんし、なんとしてでも自分たちの姫を入内させようとあの手この手を使ってくるに違いありませんからね。お付きの女房が何かしでかしてしまったら、姫さまの印象も悪くなるのですよ」
楓に念を押され、葵はごくりと唾を飲み込んだ。
「わ、わかっています!」
初めてこの屋敷に来てから、葵は桜子の補佐をする為に育てられた。
母は一応貴族であったが文字が読めず、下女とかわらないような水仕事ばかりさせられていたが、葵は桜子と一緒に師匠の許で、様々なことを学び、将来の皇后付きの女房となるのに必要な教育を徹底的に叩き込まれている最中である。
少しばかり泣き虫であるが、物覚えがとてもよく、聡明で一生懸命な葵を桜子は妹のように可愛がり、左の頬に
葵も、桜子こそ、将来の皇后に相応しいと思っている。
これほどまでに身も心も美しい人が、他にいるはずがない。
女房に自分を選んでくれたのも、桜子だ。その恩に報いるためにも、足を引っ張らないように妃選びが始まるまであと二年、葵は自分にできることはなんでもやるつもりで気合いを入れ直した。
まさか、その妃選びの前日に、桜子が行方不明になるとは夢にも思わずに。
桜子は忽然と、葵の前から姿を消したのである。
葵が十四歳、桜子が十六歳の、桜が満開となり山々を薄紅色に染めていた、春のことであった。
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痘痕の光 星来 香文子 @eru_melon
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