第Ⅸ話 襲撃


 ◇


「加速!」

 伯爵が、この狭い中で加速した。攻撃するつもりだ!


 風圧で、はじけ飛ぶテロ仲間、警備兵もはじけ飛ぶ。伯爵は、仲間の警備兵など、紙くず程度にしか思っていないのか。


「フェンリル~!」

 伯爵が私に迫ってきた。


 ライザを抱え、伯爵と向き合う。ライザを抱える体勢では、私が圧倒的に不利だ。

 伯爵が腰の長剣を抜いた。この天井の低い部屋で、何をする気だ?




 上段から長剣を振り下ろした。かろうじて、剣筋をよける。


 伯爵は、力づくで、剣がぶつかる天井を切り裂き、私たちの後ろの壁まで切り裂いた。人間の常識は、魔族には通じないのか!


「降伏すると言った相手を斬るのが、貴族なのか?」

 私の言葉に、伯爵の動きが止まった。

 一瞬の静けさ……


――ブシュー

 頭上から変な音がする。独特で、わずかに硫黄臭いような匂い、これはガスだ!

 伯爵の一撃は、天井を走るガス配管を切断していた。




 危険を感じ、ライザを抱えたまま、入ってきた通路へ飛び込む。

 地下室の中で、剣がぶつかる音!

 火花が、ガスに引火する。


――ドン!

 地下室から通路へ、真っ赤な炎が飛び出してきた。


「痛い!」

 爆風で吹き飛ばされ、T字路の横道へとはじかれた。ライザを守るため、私が壁側になり、壁にぶつかり止まった。


 すぐに走る。伯爵は追ってこない……見逃してくれたのか、爆発で傷を負ったのか。

 そうだ、テロ仲間はどうなっただろう。処刑か、捕虜か……




 ◇


「うっ……ここは?」

 気付け薬で、ライザが目を覚ました。

 それは良かったのだが、この気付け薬のアンモニア臭はキツくて、私は苦手だ。


「床下の空間だ。メンテナンス用なのだろう」

 私のローソク魔法で、薄暗いながらも周囲が見える。

 高さ1メートル程度で、部屋の床下に作られた隙間だ。多くの配管が見える。


 外は、もう午後になっているだろう。私の腹時計がそう言っている。

 まずは、ライザのケガの治療だ。伯爵から弾き飛ばされた衝撃で、何ヵ所か骨にヒビが入っていたため、治癒魔法で治す。魔力がもうないので、服の汚れはそのままだ。


「私は、多くの人を巻き込んでしまいました」

 ライザは、仲間を巻き込んだのは自分だと、自分を責める。心の傷までは、魔法で治癒できない。




「いや、テロの仲間は、自分の意志で、ライザの下に集まった」

 私は慰めたのではない。あの白髪交じりのおじさんが言っていたことだ。


「だれもいない……もう無理です」

 ライザの心が折れて、彼女は下を向いた。哀しすぎて、涙も出ていない。


「まだ、私がいる」

 魔力を使い切って、お腹も空いているけど、今の私は彼女の味方だ。


 彼女は、苦しげな表情ではあるが、少し笑ってくれた。




 ◇


「フェンリル様……さっき、伯爵が言った執行聖女とは何ですか?」

 ライザが訊いてきた。私のことを、味方として信じきれないでいるのだろう。


「執行聖女とは……大司教様から特別な許可証を授かった者のことです」

 簡単に答えた。それ以上は、知らないほうが幸せだろう。


「大司教様!」

 彼女が驚くのも無理はない。大司教様は、シスタークラスにとって、雲の上の存在だ。


「さぁ、ここから脱出しましょう」

 彼女と一緒に、床下を静かにはいずって移動する。




 ◇


「さっきの気付け薬の匂いが、鼻に残っていて、匂いが嗅ぎ取れない」

 私は愚痴る。床下から、一旦通路に出たのはいいが、まだ、敵の匂いを嗅ぎ分けることが出来ない。

 嗅覚が回復するまで隠れる場所を、探すことにする。


 薄暗い通路の角、先をそっとチラ見したら、むさ苦しい男と目が合った。

 むさ苦しい男は、休憩していたのか、赤ワインを一人で飲んでいるところだった。


「待てよ」

 顔をひっこめた私を、むさ苦しい男が一人で追ってきた。私は、むさ苦しい男から逃げたわけではない。


 ライザに、敵に発見されるという格好悪い所を見られ、恥ずかしかっただけだ。




「その赤ワインは、年代ものですか?」

 むさ苦しい男へ、にこやかに話しかけてみた。


「いや、採れたてで新鮮な、美味しい……人間の血だ」

 いやらしく笑う私兵……腰の長剣を抜いてきた。


「その汚い口で、何人の血を飲んだ?」


「この街に来てから、毎日さ」

 空になったグラスを私に投げてきた。と、同時にむさ苦しい男が斬りかかってきた。




 しかし、激高した私にとって、スローモーションのような動きだ。

 むさ苦しい男のみぞおちに、私の右ストレート


 もん絶したスキに後ろに回って首の後ろをつかみ、左手首から伸びた触手が前側からノドを潰す。


 触手がむさ苦しい男の血を飲んでいる。


《人聞きが悪いな、私はコイツの記憶を読んでいるんだ》

 包帯の下の宝石が、私の心に話しかけてきた。




 もん絶していたむさ苦しい男の動きが急に止まり、貧血でひざまずいた。

 男の足元で六ボウ星が輝く。


「痛みが強く長いほど、貴方の罪は浄化され、天界へと導かれます」

 全身の骨が折れる痛みで、むさ苦しい男が苦しみもだえる。


「お幸せに」

 むさ苦しい男は、チリとなって天に昇っていった。


「これが、大司教様から授かった特別な力よ」

 一部始終を見て、驚き固まっているライザに、教えた。




 ◇


「誰もいない」

 やっと、休憩できそうな部屋を見つけた。階段を降りた地下二階で、重く厚いドアを開ける。


 中は、伯爵の屋敷と同じ様に明るく、そして、異様に静かな部屋だ。中央に丸テーブルの様な台座があり、バケツ大のガラス製らしい無色透明な水槽が置かれている。


 水槽の中には、こぶし大の黒い玉が、浮くでもなく沈むでもなく、中央部に静止している。


 部屋の隅に椅子があったので、ライザと腰を下ろして休憩する。彼女は、流石に疲れた様子だ。私もお腹が空いた。




「ガチャ」

 急にドアが開き、部屋に男が入ってきた。


 私は、部屋の外の音が聞こえなかったことに驚く。


「バフ!」

 ライザが声を上げた。


 男の背中に矢筒とクロスボウが見える。テロ仲間で、伯爵の屋敷へ襲撃に向かったはずのバフだ。




「ライザか……こっちは、伯爵の屋敷への襲撃を、待ち伏せされていた」


「全員が捕まり、ここへ護送されたが、俺は、なんとか逃げてきたところだ」

 バフが、状況を説明した。

 仲間の誰かが、今回の作戦を漏らしたと言いたいのか?


「そうですか……こちらも、伯爵に待ち伏せされていました」

「私たち以外の仲間の安否は、不明です」

 ライザも、状況を説明する。

 こちらも、仲間の誰かが、今回の作戦を漏らした可能性が高い。同じ人物か?

 しばらく、重い沈黙に包まれる。


「これは、だれの持ち物か判るか?」

 私は、奪い返した婚約指輪をバフに見せる。エメラルドがついており、平民にとっては、とても高価な指輪だ。




「これは……俺が、婚約者にあげた指輪だ」

 なんと、彼女はバフの婚約者であった。


 私が持っているのも変なので、バフに手渡した。

 彼は、自分の細いネックレスに、指輪を通し、身に着けた。


 婚約者の消息を心配をしないパフ……彼女が亡くなったことを言わないで済むのは助かるが、これでは婚約者が浮かばれないだろう。


「バフ、何か心配事でもあるの? 様子が、いつもと違うような気がする」

 ライザが、バフに、何かを隠しているのではと、心配している。

 彼は困ったような顔になった。




「このフェンリルは、俺たちテロを潰しに来た王国のスパイだ」

 バフが私を指さし、でたらめな事を言った。


「ここに、伯爵の屋敷から盗んだ調書がある。見てみろ」

 ポケットから取り出した紙を、ライザに渡した。


「フェンリル、家名不明、女性、年齢不詳、僧侶であり執行聖女、容姿その他不明……」

 ライザが読み上げた。シスターといえど、文字を読める平民は少ないので、彼女は、やはり貴族としての教育を受けてきている。


「どうだ、詳細不明の怪しい女だと思うだろ!」

 バフは言うが、ライザは納得いかない様子だ。




「国王が、この街へスパイを送り込んだとの話もある」

 国王? 国王陛下と呼べ、不敬だ。

 王国の機密情報を、彼は知っていた。どこから洩れたのだろう?


「まさか、フェンリル様がスパイだなんて……」

 ライザの心が揺れ動く。

 私としては、テロリストたちと、なれあう気持ちはないので、スパイと言われても問題ないが、このライザとの信頼関係は保ちたい。


 彼女は、私をこの街に送りこんだ正妃が、言葉には出さなかったが、気にかけている令嬢に間違いないだろう。大先輩である正妃が怒ると、後が怖い……


「私がこの街に来た目的は、騎士兵襲撃の犯人を捕らえるためだ。シスターという立場は隠れミノだ」

 本当のことを明かした。




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