シスター・フェンリルは執行聖女

甘い秋空

第Ⅰ話 国境の街


 私は、馬車を一人で降りた。他に降りる客はいない。

 空を見上げると、雲は無いが、日は傾き夕焼け色に染まり始め、生暖かい風が乾いている。


 修道服姿の私は、全身が黒色、ゆったりとした袖で、手首丈のショートグローブ、くるぶしまで隠すワンピースを着て、髪は、裾が大きいウィンプルを被って隠している。

 首の付けエリは、通常の白ではなく、透明感のある黄褐色だ。

 顔は、瞳を黒のベールで隠している。面長なりんかくに、筋が高く小さめの小鼻、丸みのある口角は、キュートな印象を与えている。


 修道服全体が、特注の人工レザーで作られており、少し光を反射するが、刃物攻撃によるダメージを軽減する防御力の高い優れモノだ。

 ただし、首にかける魔道具のロザリオは、十字のアクセサリーをつけるのを忘れたので、ただの数珠になっている。

 まぁ、この街での滞在は数日で終わるだろうから、今回は問題ないだろう。


「お腹が空いた、コゥベリックの名物はなんだろう。飯屋はどこにあるのかな?」

 停車場広場を見渡し、飯屋を探す。

《フェンリル……今回の依頼は、この街で飯屋を探すことではないだろ》

 話しかけてきたのは、私の左手に巻いた包帯の中に隠してある宝石だ。

 ドミノゲームの四角い駒より一回り小さく、そして、私の魂に対して言葉を伝えてくる無色透明な宝石……コイツを宝石と言っていいのだろうか?




《食欲が旺盛で、お転婆な令嬢だな》

 宝石は、沈着冷静だと世間で評判なこの私を、お転婆だと言うのか。

 コイツとの共存生活は長く、いつもの会話であり、魂での会話にも慣れた。

「ソロ旅行の楽しみといえば、美味しい食べ物だろ」

 私の人生なんて、一人で淡々と仕事をこなしていくだけだ。


 停車場広場はテニスコート4面くらいで、周囲には、レンガ造りの建物……ところどころ、窓が破れ、壁が崩れている。なぜか、人が住んでいる気配が無い。

 これでは、飯屋など無いな……


 国境の街コゥベリックは、南側の王国と、北側の魔族の国をつなぐ貿易拠点であり、独立した自治が認められた特別な街である。

 直径2キロ程の小さな円形の街で、周囲は石壁で囲まれ、東側と西側には木々が生い茂る小高い山が見える。

 レンガ造りの洋風建物は、2階建てが多く、高い建物など皆無だ。

 東側の小高い山の中腹には、この街を見下ろすように、貴族のお城が見える。


 少し離れて、制服を着た男が、私が怪しい人物かどうかを確認している。

 男は、街の警備兵だ。制服の上に、革製の肩パット、小手、ヒザ当て、ブーツと、革のヨロイを重ねており、胸に警備兵の証である丸にX印の小さいマークが見える。




「お客さん。俺らは馬を替えたらすぐに街を出る。考え直すなら今の内だぜ」

 御者が、こんな治安の悪くなった街に降りないほうが良いと、親切心から遠回しに忠告してくれた。


 停車場は、王国と魔族の国につながる大きな2本の道、そして街の大小の路地が交わる広場だ。東側に向かう一本の大きな路地は、方角からして山のお城に続く道だろう。

「ありがとう。王都と比べたら寂しい街だからこそ、私のようなシスターが必要なの」

 親切な御者に背を向け、左手を軽く挙げて別れを告げた。


 停車場広場にあるベンチには、警備兵が座り、くつろいでいる。制服をラフに着ているヤツ、あくびをしているヤツもいて、規律が緩んでいることが、簡単に見て取れる。


 小さな路地に、隠れるように、広場を見ている少年の姿が見えた。




「シスターか。見たことない顔だな、新任か? オレが街を案内してやろう」

 腰に長剣を下げた大柄な男が、私に近寄り声をかけてきた。


 薄汚れた恰好で、警備兵の制服ではない。肩パットなどの軽ヨロイもザラザラした金属製だ。一般市民に剣の所持は認められていないので、こいつは貴族に雇われた私兵だ。私兵とは、街を任せられた貴族から、金銭で雇われた戦闘員、いや、むさ苦しい男である。

 胸に、赤い字でⅣとナンバーが書かれている……何の四番目なのだ?


「オレは伯爵に雇われてんだ。この街で、いい思いをしたいだろ、シスター?」

 すぐにでも、着任の挨拶のため、聖堂へ向かいたいが、この私兵がしつこい。

 この街では、依然としてセクハラが残っているようだ。


 それにしても、この街の伯爵は、こんな下衆なヤツを雇っているのか。街の統治を任された立場なのに、こんな状況では、先行き不安だ。




「ちょっと付き合えよ、オレは何人もの女を天国に送っているんだ」

 下衆なやつだ。


 私の左手首を引く力がすごい。この私兵は強化人間かもしれない。強化人間は、薬漬けにして非合法で筋力を強くした人間だ。


 私兵の右腕に、チラリと、罪人に押される二本線の焼き印が見えた。消されていないと言う事は、コイツは、更生の途中か、どこかの街から脱走した罪人だ。


 このふざけた感じは、脱走だな……さて、どう料理しようか。




《ちょうどいい、こいつに、話を聞いてみよう》

 左手の宝石が提案してきた。

 そうだな。美味しい飯屋を探したいが、依頼のほうを優先すべきか。


 ひと月前、一人の王国騎士兵が、この街で襲撃に遭い、亡くなった。その犯人を捕らえるのが、今回の依頼だ。


 その襲撃の際、伯爵夫人も亡くなったと聞いている。


 伯爵は、街での襲撃を無くすため、警備兵の他に、私兵を雇って治安を維持したと聞いていたのだが、実際の現場はこんな状態なのか。




「ケダモノが」

 つぶやきが聞こえた。

 小さな路地から、見立たぬように、停車場を観察していた少年のつぶやきだ。買い物帰り風にしているが、目の動きが偵察兵だ。

 その少年が、私兵を侮辱したのだ。


「なんだ、てめぇ!」

 私兵が、私の左手首を握りながら、少年に迫り、恫喝した。


 少年は、薄汚れたツバ広の帽子、アーミーハットを深く被って、髪と顔を隠し、作業用なのか上下がつながった薄汚れた服を着ている。両腕で抱える買い物袋には、何か重い物が入っている。たぶん、一般市民には所持が禁止されている短剣だ。


「生意気だ!」

 私兵が、私を放り投げて、少年に殴りかかった。




 はずみで、私の瞳を隠していたベールが落ち、目元があらわになった。


 瞳孔を囲んでいる虹彩が大きく、さらにコハク色なので、金色に見える珍しい目だ。丸く少し垂れ目がちで、子犬みたいだと言われるのも心外だが、メスゴリラと言われるのはもっと嫌だ。眉毛が太く、おでこも広いので、コハク色の前髪を垂らして目立たないようにしていたのに。


 少年の帽子が、私兵の拳をかろうじてよけた際にズレて、顔が見えた。

 なかなかスピードのある動きをする少年……ん? この端麗な顔立ちは、女性だ。金髪で、珍しい紫色の瞳、化粧をすれば素晴らしい美人に変貌するだろう……少年は令嬢だった。




「よけたな!」

 私兵が、私の手を放して、腰の長剣を抜いた。


 幅広で、長さは1メートルに満たなく長剣としては短く、そして重い。剣士からは、肉切り包丁だとヤユされている剣だ。普通の人間なら両手で握るが、私兵は右手一本で持っている。

 少年を斬るつもりだ、これは、マズい!


「あれ? 動かねぇ」

 私兵の、勝利を確信した顔が、何が起きたんだと間抜けな顔へと変わった。


 少年、いや令嬢に向かって、長剣を、大きく振りかぶった私兵……長剣がピクリとも動かないのだ。

 振り向き、私が左手一本で、男の右手を握っていることに、気が付いた。




「邪魔するんじゃねぇ!」

 私兵が私に敵意を向けてきた。しかし、私に握られた男の手は、振りほどこうにも、ビクともしない。


 私の金色の瞳が、男をにらんだ。珍しい色の目に、私兵はギョッとした。


「私兵なのに、広場での任務をサボるのですか?」

 こいつに、ここで引けば逃がしてやると、遠回しに言ってやる。


「いや、これから、行き倒れになった哀れなシスターを発見するんだ」

 私兵が、いやらしく笑い、私と対戦したいと言ってきた。

 街について早々、問題を起こしたくはないが、仕方ないな。




 令嬢は路地裏に逃げたようで、姿が見えなくなっていることを確認した。


 感謝の言葉は、もらえないか……いつものことだ。


 私は握る手に力を込める。私兵の手の骨がギシギシと嫌な音を上げた。


「寝言は、寝てから言うものですよ」

 私は、手を放してあげた。


 私兵が、長剣で斜め斬り! 不意打ちのつもりのようだが、動きが遅いので軽くよける。




 振り切った所で、幅広の剣を反転し、低い位置から斬り上げてきた。意外と出来る。


 しかし、軽くかわして、ガラ空きのみぞおちへのボディブロー……私兵がヒザを着いた。


 大声を上げられたら、面倒なことになるな……


 ノドを、ブーツのつま先で蹴り上げ、声帯を潰す。これで、助けを呼ぶことはできない。




 私兵がノドを押さえ、長剣を落とした。

 私は、剣と魔法のこの世界を、ソロで生き抜いてきたんだ。この程度の私兵など、赤子の手をひねるようなものだ。


《味見をさせてくれ》

 左手首から、声が聞こえてきた。


「のん気なものだな」

 私は、食事抜きで、街まで駅馬車にゆられて来て、お腹が空いている。


 左手首に巻いた包帯の隙間から、一本の黒く細い触手が伸び、私兵の腕に刺さった。




 屈強な男が、貧血でひざまずく。


《胸のナンバーⅣは、これまで手にかけた人数! こいつは、人を人とも思わぬクズだ》


 宝石は、むさ苦しい男の記憶を読んだ。


 男の足元で、六ボウ星が輝く。




「痛みが強く長いほど、貴方の罪は浄化され、天界へと導かれます」

 六ボウ星の輝きによって、むさ苦しい男の体中の骨がジワジワと折れる。痛みで、苦しみもがくが、声帯は潰してある。


「お幸せに」

 私は、胸の前で印を結び、最後の祈りをささげる。

 むさ苦しい男は、チリとなって天に昇っていった。


「おい! 伯爵が到着するぞ、持ち場へ戻れ」

 広場のほうから、男の声がした。

 マズいな。この状況を見られてしまうと、今回の依頼に差し障る。


 さっきの令嬢が逃げた路地裏へと、私も姿を消した。




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