6
「ここだね」
計五時間ほど歩き、たどり着いたのは巨大な廃墟。壁には蔦が生い茂り、もとが何の施設だったかは見当もつかない。
建物を険しい瞳でじっと見つめる宗二くん。
光葵さんと目を合わせ、互いに小さく微笑む。
「……宗二くん。——私たち、付いて行ったほうがいい?」
「いえ……。一回だけ、一人で行かせてください」
決意のこもった瞳がこちらに向けられる。幼さの残る顔立ちから頼りなさは消え失せた。
「ありがとうございます。——いってきます!」
◇
宗二は玄関のガラス戸を蹴破って、廃墟の中へ侵入する。目指すは三階の端、六花が指し示した場所だ。
外装に反して、内装はそれなりに整っていた。積もった埃は足跡をはっきりと際立たせる。
「よし――」
建物に入ってすぐのロビー、内装からして、この建物はもともとホテルだったと推測できる。
エレベーターはもちろん動かない。スマホのライトで足元を照らしながら、宗二は階段を上った。
二階を通過し、三階へと辿り着く。
三階はすべての窓が塞がれていて、深い暗闇に包まれている。
覚悟の割にあっけなく辿り着いた目的地。宗二は一歩一歩を確実に踏みしめて、建物の奥へと進む。
「——よう」
曲がり角の先に里桜は立っていた。最奥の部屋の扉を背にして、ぎこちない笑みを浮かべる。
「……久しぶり。なんか用?」
「なんか用って、お前……」
固まりきっていた宗二の表情が緩む。
「いやぁ……ほら、私、こんなになっちゃったしさ、学校にも行けないし……」
「連絡ぐらいしろよな」
宗二は目を伏せながら、里桜の方へと歩を進める。
一目でわかる、白々しい態度、隠し事。
里桜が連絡をせずに姿を消したのは宗二たちに会いたくないからだろう。だが、宗二が歩いている足跡を聞き、里桜は隠れるのでも、逃げ出すのでもなく、姿を現した。
「——そこの部屋に、なんかあるの」
何かを、隠している。
「ないよ。……まって、だめ――」
宗二はドアへと向かって進む。里桜に手で阻まれる。とてつもない力、だが、それも一定のライン以下に加減されていた。
「ちょっ、やめて――!」
それでも進もうとする宗二を里桜の手が突き飛ばす。今度は加減に失敗し、吹き飛んだ宗二は壁に叩きつけられる。
「あ、嫌……、違う、——」
里桜の瞳が揺れる。強張った顔でうわごとのような言葉を呟く。
宗二は弾けそうな体に鞭を打ち、強引に立ち上がる。表情も、体も取り繕う。誰が見てもわかる強がり。そのまま宗二は目的のドアへと進む。
「教えてほしい。……何に悩んでるか、知らないし。俺がなんとかできるとは限らないけど――」
「あ、だめ……」
ドアノブに手を引き、捻る。
里桜は固まったまま動かない。
「里桜は、一人じゃない――」
そこは、普通の客室に見えた。スリッパ、クローゼット、右手にはバスルームに繋がっているであろうドア、奥には一台のベッド、机、小さなテレビ、ひどい悪臭。
見慣れないインテリア。赤くない死骸。生気を、血肉を吸いつくされたモノの殻。 死体、したい、ミイラのような。まるで、吸血鬼に血を吸いつくされたかのような、死体——。
振り返る。そこに里桜の姿はない。あるのは向かいの部屋のドアだけ。
「里桜、里桜——!」
——どうしてわからなかった、当然だろ、そんなことは――。
腹が立つ、腹が立つ、あの光景を見て面食らってしまった自分に、腹が立つ。里桜の意思を無視してまで秘密を暴いていおいて、その結果がこれか――。
「くそっ――」
脇目も降らずに走り出す。階段を飛び降り、入り口で待っている六花たちの元へと駆け込む。
「六花さん――、里桜は!」
息を切らした宗二は膝に手を付きながら、六花の指さした方向を見つめる。強い瞳の中、研ぎ澄まされた視界。その先に何も見えなくとも、宗二は迷わずに走り出した。
「よし、行ってこい――!」
六花は満足気に、光葵は肩をすくめて笑いあった。
・・・
宗二は森の中を全力で駆ける。躓いて、手をついて、また走る。振り返ることなく、視界にすら映らない目標に向かって。
瞬間、暗転。
世界がひっくり返る。音が身体を置いていく。
宗二は宙を舞い、地面に叩きつけられる。怯むことなく起こした体の先には、一人の少年が佇んでいた。
「——どけよ、有矢」
敵意はない、静かな冷たい言葉。
有矢は作り物の表情を一切動かさずに、それに応える。
「通さない」
宗二は立ち上がり、二人は一歩ずつ距離を詰めていく。
「俺は、行く。里桜は、一人じゃない。」
「——お前も、一人じゃない。死んだら悲しいし、お前のために何かしてくれる人間もたくさんいる」
有矢は廃墟での一部始終を知っていた。 宗二がどうやって里桜を連れ戻そうとしているかも、既に見当がついていた。
「いや、一般論。忘れろ」
有矢は慎重に言葉を紡ぐ。きわめて個人的な感情だけを選んで、言葉にする。
「俺、早坂を殺したよ」
「は――?」
早坂、あの吸血鬼が人間だったころの名前。有矢が親しくしていた女の子の名前。
「本体は別だった。光葵たちの背後に居たよ。だから、殺した」
「いや、まてよ……」
「殺すしかなかった。俺にしか殺せなかった。そうだろ」
淡々と語る声には感情は乗っていない。
「お前、自分の血を吸わせるつもりだろ」
その通り、反論のしようはない。が、反論の必要はない。
「ああ、そうだ。——だから、証明してやる」
宗二は背中の鞄から宝石のついた短刀を取り出す。
「あいつが勢い余ったり、失敗しそうになったら、力ずくでも止めてやる。それができるって、証明してやる――!」
宝石に手を当てる。
悪魔との取引。一グラムの魂と引き換えの、仮初の力。
全身の血が抜ける感覚と共に、全身に力が漲る。
「言葉は、だめだ」
有矢の全身が黒色に染まる。張り付けていた黒色が剥がされる。
濃い隈、こけた頬、虚ろな瞳からは意味もなく雫が溢れる。寝癖のついた髪、剃っていない髭、季節違いの長袖の服。
「何が見えてるかは知らない。たぶん、それが本音——」
「そうか、体調不良か、家で寝てろよ」
地面を蹴り、宗二は木々の間を風のようにすり抜ける。
それを、突風が攫う。
有矢が軽く手を動かした風圧。木々が悲鳴を上げ、土が巻き上げられ、あらゆる命が吹き飛ばされる。それは、宗二も例外ではない。
「病人以下か?」
「なんだ、元気そうじゃん」
宙を舞いながら、宗二は口元を歪める。木の枝を足場に、再び有矢の向こうへと跳ぶ。
次の瞬間、衝撃波が木々をなぎ倒し、宗二を攫っていく。
「でたらめすぎる――」
「お前こそ、帰って寝てろよ。送るからさ」
——それは、いつの話だったか。夕焼けの図書館、定期テストの一週間前。
「98点、ようやくあいつに勝った」
一人の少年が解答用紙を得意げに掲げる。隣に座る少年はあきれた様子でそれを眺めている。
「はいはい、もういいだろ」
「次、数学」
解答用紙を掲げる少年が取り組んでいたのはもう一人の少年が作った、前回の範囲のテスト。成績に入ることもなく、ましてや今は次のテストの直前だというのに、少年は意地を張って、無駄な行いを繰り返す。
もう一人の少年も、一度付き合うといった言葉を違えず、かれこれ一週間も彼に問題を出し続けていた。
「やめろよ、無駄だ、馬鹿」
「お前がやめればいいんだよ、大馬鹿」
状況も、振るう力も変わって、それでも二人の本質は変わっていなかった。
意地っ張りな馬鹿と、真面目で頭の固い馬鹿。
二人の衝突は繰り返される。否、それは衝突と呼べるようなものではない。縦横無尽に駆ける宗二を、有矢が一方的に叩き落とす。
「もう、いいだろ――!」
宗二のスピードは最初に比べて明らかに落ちている。表情も険しく、白色のシャツは赤色に染まっている。
限界が近いのは一目瞭然。その宗二が地面に足を付け、力の限り、土を蹴る。
迎え撃つのは有矢の右腕、直線に突き出された拳、それに押された空気が地面を抉る。
「——やっぱ、お前は大丈夫だ。どれだけ変わっても、強くなっても――」
宗二は短剣を両手に握り、風圧と正面からぶつかる。
「何も変わってない。——ほら、加減の仕方すらわかっちゃいない」
巻き上がる土、音をたてて折れる樹木。風圧を貫いて、宗二は有矢の正面へと駆ける。
——ああ、言ってなかったっけ。うん、その通り、悪魔にも種類がある。と言っても、その剣自体がレプリカだから、悪魔もレプリカ、それ相応の出力になってるけどね。——フォカロル。水を操る公爵。一応、それが名前だ。
「行け、フォカロル――!」
声と共に、偽物の悪魔の力が解き放たれる。
宗二が今まで駆けまわっていた森、その木々には、短剣の傷が付いている。木に含まれた水、そのすべてが宗二の一声で無数の槍となり、全方位から有矢へと襲い掛かる。
無論、有矢はそのすべてを勘によって捉る。一切無駄な動作をせず、飛び上がる。水の槍をすり抜ける。
そこに、短剣を構えた宗二が待ち構える。
だが、その動きも有矢にとっては緩慢なもの。余裕をもって見切って、反撃に映る。
——瞬間、宗二の動きが加速する。
「またな、有矢」
人間の体の六十パーセントは水でできている。宗二は短剣の力で体内の水分を操り、通常有り得ない動作を可能にした。
宗二の体が空中で跳ねあがる。有矢の攻撃が初めて回避される。
そして、がら空きの頭部へ、短剣の腹を振り下ろす。
直撃、鈍い音が鳴る。
別れの挨拶は済ませた。宗二は振り返ることなく、森の奥へと走り出した。
「またな、か……」
有矢は受け身を取らず、背中から地面に落ちる。殴られた頭には傷一つできていない。宗二の姿は目に映っている。
「ま、いっか」
あいつなら、大丈夫だろう。
有矢の口元は歪んでいた。久々の、自然な笑顔。
「帰るか――」
まずは顔を洗って、髭を剃って、髪も整えて、着替えもして、また明日、誰かに会いに行こう。
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