2,第六感の世界(前)
第六感の世界(前)
いつの間にか、俺は車に乗せられていた。広い車内には屈強な男が腕を組んで座っているほかに、祈祷師のような人が妙なことをしている。運転手は和服を着た初老の男。
誘拐にしては妙だ。俺は縛られもしていないし、誘拐なら祈祷師はいらないだろう。
「あの、これって……」
言葉は帰ってこない。だが、車に連れ込まれてからすでに数時間だ。そろそろ目的地についてもいいころだろうに。未だに車は山の中を走り続けている。
逃げ出すことも考えたが、抵抗は無意味だろう。それは俺が車に連れ込まれたときの手際で理解している。
さらに山道を進み、いつの間にかアスファルトすら見えなくなった。
——どうやら眠ってしまったようだ。この状況で寝られるとは、我ながら呑気なものだ。
肩を叩かれて起こされ、車の外に連れ出される。
見えたのは、集落のようなものだった。木製の建物、茅葺き屋根。まばらに見えるそうれらの他には田畑が広がっていた。
それらのとても現代とは思えないような景色の他に、遠くには現代的——昭和ぐらいの時代感の建物が並ぶ場所もある。
「——有矢で、あっとるか?」
車を運転していた初老の男がしわがれた声で話しかけてくる。
「はい。——浅上有矢です」
「そうか……」
それだけで会話は打ち切られ、集落の中心部であろう現代的な建物がある場所へと歩き始めた。
村の中は異様なほどの静けさで、自分たち以外の人の気配がしない。意味不明な状況とも相まって、それはとても不気味に思える。
——連れてこられたのは、神社だった。
神社といったが、鳥居も無ければ賽銭箱もない。宗教的な施設であろうことは推測できるが、神道ではないのかもしれない。
誰も一言も発しないまま、建物の中へと連れ込まれる。薄暗い部屋の中を、ろうそくの明かりが照らしている。香がたかれているのか、不思議な臭いもする。
部屋の中央に座らせられて、そのまま長い時間が流れた。実際はそんなに経っていないかもしれない。
「——。——、ー」
視界が揺らぐ。思考がまどろんでいく。耳に聞こえる言葉はよくわからない言葉ばかり。
気が付かないうちに、何かが始まっていたらしい。
車に乗っていた人と同じかはわからないが、祈祷師のような男が数人並んでこちらを向いている。床には不思議な文様。祈祷師たちの手元にあるのは、髪の毛だろうか。
「——、——」
長い髪、女の髪。短い髪。頭に手を当てる。左側が短い。あれは、俺の髪。
まあ、どうだっていいか。
――目を瞑る。落ちる朽ちる、沈む。
◇
騒がしい蝉の声、木の葉の影を通り抜けて差し込む光に目を細める。
「行こうぜ、有矢!」
ぼやけた視界、移る人影。声をかけてきたのは活発そうな男の子で、その後ろには大人しいが気の強い女の子。——ソウジとミツキがいつもと同じようにそこに立っていた。
「——うん!」
泥で汚れた靴を履き、地面を駆ける。流れる汗も、馬鹿みたいな日差しも、全てが眩しくてたまらない。
◇
——知らない天井、木の骨組みが見える。どうやら寝てしまっていたようだ。
ずいぶんとリアルで、懐かしい夢を見たような気がする。そういえば、俺は辺境の村に連れてこられて、妙な儀式の最中に――寝たのか。またしても、呑気なものだ。
「あ……。気が付きました?」
鈴のような柔らかな声。声のしたほうを向くと、部屋の入り口に女の人が立っていた。艶やかな黒髪を長く伸ばし、前髪はまっすぐと切りそろえられている。着ている和服も相まって、まるで日本人形のようだ。
「えっと……はい」
言葉に詰まる。状況が把握しきれていないのもそうだが、目の前の同い年ぐらいに見える彼女がひどく浮世離れした存在に見え、彼女から目が離せずにいた。
「六埼有矢さん……ですよね?」
六埼、六埼……。そうか、俺の名前か。
「はい。そうです」
そう答えると、目の前の彼女はぱっと表情を明るくした。
「私、六埼六花って言います。——有矢さんのお姉さんなんですよ」
「え……姉、ですか」
姉がいたなんて、初耳だ。
「会うのは初めてですよね。本来は十六歳になった時に会える予定だったんですけど、有矢さん、街にいっちゃって、行方不明だったので」
行方不明? いや、むしろ今が行方不明みたいなもので……。いや、そもそも俺の家族は……家族、家族。
何かが引っかかるも、疑問の輪郭は像を結ばない。
何かがおかしい。だけどそれが何かすらもわからない。たぶん、おかしいのは俺の方なのだろう。村までは長かったから、多分、疲れているんだ。
「——有矢さん?」
「あ、ごめん。ちょっと、考え事です」
「そうですか。——目が覚めたなら、ご飯にしましょう」
部屋を出て、居間でご飯を食べる。ご飯と味噌汁の朝食。普段、朝食はパンばかりを食べていたが、和食もいいものかもしれない。
「有矢さん、街はどうでしたか?」
「どうって……」
六花さんは目を輝かせながらこちらを見ている。
ここの村の人はあまり村の外に出ないだろうか。今の時代、ネットやテレビもあるだろうに。——都会の様子を説明すればいいのだろうか。
「すごく、大きい建物がたくさん並んでますよ。見渡す限り、ずらっと。駅のホームも八つぐらいあるし……。あと、ずっと人が居ますね」
「それが、ずっと?」
「うん……」
ポケットから携帯を取り出そうとしたが、ポケットの中に携帯は見当たらなかった。それどころか、いつの間にか服が藍色の和服に変わっている。
「——この後、何しましょうか」
村に帰って来たはいいものの、いざ帰ってくると何をすればいいのかいまいちわからない。
「明日になったら、一緒に村を歩きましょうか。——あまり、変わってませんけど」
「明日……?」
「祓いの儀式は今夜ですよ」
六花さんは当たり前のように儀式について話す。そんな儀式——。
「ああ、そうでした。じゃあ、明日まで家に居なきゃですね」
村の外に出たのだから、付いた穢れは落とさないと。——どうして忘れていたんだろう。
・・・
六花さんと話しているうちに、いつの間にか日が沈んでいた。特別面白い話をしていたわけでもなく、だらだらと過ごしていた。それでも退屈することはなく、沈黙すらも心地よかった。まるで、気のしれた友人と一緒に居るような感覚。
六花さんとは今日が初対面なのに。六花さんの穏やかな雰囲気がそうさせるのだろうか、とも思えた。
「——そろそろ、ですね」
「あ……もうそんな時間。有矢さん、急ぎましょう」
俺たちが駆けつけたころには、儀式はすでに始まっていた。
神社によく似た建物の中、石畳の上で、人々が円を描くように集い、何かを囲んでいる。
「すいません――」
人込みをかき分けて、円の中身が見える位置まで歩く。
——その中央には、人が居た。
その人物は恐ろしい形相の仮面をつけ、体を黒い布で包んでいる。その四肢は縄で縛られ、一歩も動けないまま地面に転がされている。
その周囲には赤い跡が飛び散っている。多分、それは血だった。
背の高い男が円の中央に入って行くと、転がされた人間の腹を力一杯蹴り上げた。人間は猿轡をかまされているのか、くぐもった悲鳴を上げる。
それに続いて、今度は中年の女の人がやってきて、棒で頭を殴る。
次に子供がやってきて、蹲る人間に石を投げつける。
——たぶん、あれが穢れなんだ。人間を穢れに見立てて、それを祓おうとしている。だが、それはあまりにもやりすぎに思えた。このままだと、あの人は死んでしまう。
「六花さん――」
隣に居たはずの六花さんは、円の中心へと歩み出ていた。こちらを向いたその表情から、穏やかさは消えていない。だけど、その穏やかさは今までと違い、諦めからくるような、諦観が隠せず漏れ出すような、そんな表情だった。
棒を拾い上げ、振り下ろす。俯いた六花さんの顔を長い髪がカーテンのように覆い隠し、その表情は見えなくなった。
六花さんが隣に戻ってくると、今度は俺が背中を押され、円の中心へと追いやられる。
どうすればいいかもわからず狼狽えている内に、目の前の人間の縄が解かれていく。そして円の中から祈祷師風の人物が出て来て、刃物のようなものをこちらに手渡してきた。
細長い鉄でできた刃物は包丁よりも少し長いぐらいの長さ、柄は滑らかな木でできている。
縄を解かれた人間と相対する。人の輪の中、視線が集まり、異様な雰囲気を醸し出す。
——さあ、やれ。
言葉はない、だけど、そう呼びかけられているようで。
どうして。理由は明確だ。あの人間が穢れを模した格好をしているなら、それを祓うべきなのは村の外に出ていた俺だ。
目の前の人間の仮面の下から、血走った目がこちらを睨む。そして、その人間は足を引きずりながらこちらに突撃する。
どうして――。そんな満身創痍じゃ、勝てるわけないのに。
「くそっ――」
手元の刃物を横向きにし、平らな部分を頭に叩きつける。
鈍い手ごたえ、目の前の人間は糸が切れたように地面に崩れ落ちる。
——殺せ。
周囲の人々は固唾をのんで俺たちを見守っている。もう決着はついたというのに、まだ終わってないと言わんばかりに。
視線を落とす。刃物にべたりとこびりついた血糊。うつ伏せに倒れた人間は俺を呪うように、くぐもった声で騒ぎ立てる。
たくさんの目がこちらを見ている。
手元には刃物がある。
たくさんの目がこちらを見ている。
突き立てるだけだ。
背後を振り返る。そこに居た六花さんは、悲しそうに地面を眺めていた。
「っ――。あ……」
心臓に刃物を突き立てる。紅い血潮が黒い布を染めていく。目の前の人間はもう動かない。
どっと、歓声が沸き上がる。
目の前の名前も知らない人が心の底から嬉しそうに笑顔を浮かべていた。周囲を見渡しても、全員、そんな薄気味悪い顔をしていた。
今すぐにでも逃げ出したい気分。だけど、その気色悪い集団の中に六花さんがいないことに気付いて、少し安心した。
◇
そこから先はお祭りだった。食事が出て来て、進められるがままに、初めて酒を飲んだ。村の人も、気のいい人ばかりで、会場は和やかな雰囲気に包まれていた。
だけど、仮面をつけた人間の死骸は、奥の大きな建物の軒下に吊るされていた。さりげなく理由を聞いてみたら、穢れの抜けた綺麗な肉体を神にささげるのだそうだ。
「いやぁ、めでたいなぁ」
「お帰り、有矢くん」
そんな死体を目の前にして、誰もが楽しそうに笑う。
何を話していても、何を食べていても、あの仮面の奥の血走った瞳がこちらを見つめている気がする。あの言葉にならない呪いが、耳から離れない。
祭りが落ち着いた頃、俺は一人で祭りを抜け出した。
家に、帰ろう。途中でどこかに行った六花さんも、そこに居るはずだ。今は六花さんの顔が見たい。あの時隠し切れなかったこの儀式への嫌悪を、少しでも俺に向けてほしい。でないと、おかしくなりそうだ。
俺を形作った常識が崩れてしまう。だって、人を殺したのだから。それで祝われるのだなんて、おかしいだろ――。
玄関を開く。ふらつく足取りで廊下を歩く。頭がふらつくのは酒のせいだろうか。
迷いながら自室に戻る。自室のふすまを開くと、そのまま布団に倒れ込んだ。
——血!
慌てて飛び起きる。着物に血が付いたままのような気がした。
真下を向くと、藍色の着物を着た自分の体が映る。血はついていない。着替えは済ませたはずだ。
「……はぁ」
自分が思っているより、俺はずっと疲れているらしい。とっとと寝てしまおう。
目を瞑る。瞼の裏に、血がこびりついて――。
起き上がって、トイレに駆け込み、吐いた。
寝ようとするたびにあの仮面の人間が頭によぎり、何度も吐いて、最後には胃液すら出てこなくなった。
それでもできることなんてないから、布団に転んで、目を瞑る。
遠くから何やら虫の声が聞こえる。
「——おかしいと、思いますよね」
背後から声が聞こえる。どこか懐かしいような声。六花さんの声だ。
「そりゃあ、おかしいだろ――」
「おかしいですよ。おかしいです。けど……。どうしようもないんです」
背後からの声は震えている。思わず振り向いて、背後にあった顔は穏やかな笑みを浮かべていた。
「でも、俺は――」
「仕方ないんです」
言葉を上から被せられる。そんな下手な慰めで、ひどく安心した。
「……でも、安心しました。みんな、平気そうにしてて、おかしいのは私だけかと思って……」
「おかしいのは、この村ですよ――」
互いに俯いて、言葉を紡ぐ。
「……いつも、怖くて。それで、私。——今日は、一緒に居てもいいですか……?」
顔を上げる。垂れ下がった髪から覗く六花さんの揺れる瞳はひどく弱弱しく見えて、俺は何も言えずに布団の隅に移動すると、六花さんから目を逸らした。
「……すみません」
背後で何かが動いている。狭い布団の中、背中同士が触れ合う。
言葉はなかった。改めて今の状況を認識して頬を赤らめてみたり、さっきの六花さんの言葉は本当は違う意図があったんじゃないかとか、こんな状況で寝れるわけないとか、そんなくだらないこと――。くだらなくて、普通のことを考えているうちに、いつの間にか、気を失うように眠りについた。
——ああ、まだ、大丈夫。
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