3
また一人になった。家には帰りたくない。
日は沈みきって、半分の月が空に浮かんでいる。見上げた星より街灯が眩しくて、目を細めて大きく息を吐く。
栞ちゃんからもらった不思議な力。使い道はもう決まっている。
指先は、私の足を刺す。
車に轢かれたら、重い病気にかかったら、学校に行かなくてよくなる。仕方なく逃げられる。時々してしまう、くだらない妄想。私には一切の非が無く、偶然の不幸に襲われる。そうしたらしばらくの間は、ベッドの上から動けない。日々のくだらないストレスから解放されて、……そして。
この辺りでいつも、しばらくの休みなんかでは大怪我の割に合わないことに気付き、妄想は打ち切られる。
だけど、今日は違う。こうでもしないと、私は生まれ変われない。——家に、帰れない。
優しさに触れて、楽しいことをして、なんだか、今まで捻くれていたのが馬鹿みたいに思えて。すこし、変わってみようと勇気が出た。
——だけど、人は死んでいる。
だから、私はこのままじゃ帰れない。
「——
震える声で言葉を紡ぐ。
——痛いだろうな……。嫌だなぁ……。
「——
でも、まあ、仕方ないか――。
「——
目を瞑って、最後の言葉を放つ。
作り出した岩の銃弾は、私の腹部を簡単に貫いていくだろう。死ななかったらいいな。そしたら――。
「あれ……」
恐る恐る目を開ける。
——そこには、黒色があった。この世界にはあまりにも不釣り合い。そう思わせるほどに暗く、全てを吸いつくすような黒色。それは私の指先と腹の間に潜り込んでいる。
「……それは、だめだよ」
優しい声。どこか懐かしい声。振り向いた先には、六花さんが立っていた。人形みたいに綺麗な顔。優しい目は昨日のまま。だけど、彼女の指先からはこの世のものとは思えない黒色が伸びている。
「罪は消えない。だから、大切なのは繰り返さないこと。だったら、そんなことで罪悪感を消しちゃだめだ。
……私個人としては、松田さんに非はないと思ってるんだけど。だけど、罪悪感を感じているなら、それは抱えて生きていくべきだよ」
身体も、思考も、固まったまま動かない。
「……償いたいなら、そうするべきだ。——でも、だからといって、君が幸せになっちゃいけないってわけでもないんだよ?」
「……でも」
「いーの。私も手伝うから、ね?」
眩しいほどの笑顔だった、私に向かって真っすぐと差し出された手に、恐る恐る手を伸ばす。
「わかったなら、とっとと逃げるよ」
「逃げるって……?」
「狙われてる」
狙われるって、いったい誰に? 六花さんの表情は真剣そのもの、とても冗談を言っている風には見えない。
六花さんに手を引かれて、早足で公園の出口へと向かう。
「え……」
前を歩く六花さんの体が唐突に横に逸れる。歩く姿勢も、歩幅もそのままに、方向だけが変化する。
「壁……」
六花さんの腕から黒色が伸びる。しかし、その常軌を逸した現象でさえも、ある地点で横に逸れていく。
「これって……」
「うん。出られない。——戦うしかないみたいだね」
背後を振り返る。そこには人の形をした何かが立っていた。
真っ白な和服に身を包んだ男。まるで祭事の途中にそのまま抜け出してきたような姿。立っているだけなのに、その姿に圧倒される。
——それはまるで。
◇
「
「ああ。神をまつり神に仕え、その神意を皆に伝える役目を持った人たちのことだ。彼女たち……まあ、多田羅は男なんだが、あいつらは神を自らの体におろす。そして多田羅の場合、神の意志だけでなく、力もおろせる。神と会話をするどころか、力を貸してくれるほどに仲良くなるとはね……。あいつが一万年に一人というのも頷けるよ」
「それじゃあ……」
「たとえ数万分の一であろうとも、神の力はとんでもないものだ。——急いだほうがいい」
「……はい」
◇
——それはまるで、子供から見た大人のような。圧倒的に大きく、本能的に勝てないと理解できるようなもの。それが、私を――。
「下がって! 隠れてて」
あんなものを前にして、六花さんは一切躊躇することなく前に歩み出る。
「ねえ、ここから出してよ」
「心配するな。殺してやる」
男は右手を宙に伸ばし、何もない空間から一振りの刀を引き抜く。
「なにも、殺さなくてもいいんじゃない?」
「貴様らが何をしているかは知らんが、この街で神秘は使わせん」
「……理由になってないけど」
「御社殿以外の魔法使いは皆殺しだ。——この街はやりすぎた」
「あっそ」
瞬間、六花さんの体が消える。否、その体は一瞬にして男の目の前へ、振りかぶった拳は一直線に男の顔面へと迫っていく。
対する男も六花さんの目にもとまらぬ速さに反応し、その拳に合わせるように右手の刀を振るう。
激突、鮮血。
飛び散った血は六花さんのもの。六花さんは腕が駄目になると分かるや否や、その右足を突き出した。
足は男の腹へ、男は背後へと吹き飛んでいく。しかし、男は吹き飛びながらも、手繰り寄せるような動作をする。
空を切る男の腕。だがその腕は確かに、空を掴んでいる――!
「嘘……」
思わず声が漏れる。それもそうだ。男の手の動きに合わせて、この空間のものすべてが、彼の方へと引き寄せられていくのだから。
木に体を預け、引き寄せられないように堪える。
六花さんは流れに一切逆らうことなく、むしろ地面を蹴り、自ら男のほうへ近づいていく。その腕から流れる血はすでに止まっていた。否、それどころか完治している。
男は六花さんが迫ってくると見るや否や、腰のあたりに浮遊している刀に手を添え、居合のような構えをとる。
一瞬、瞬きの後には二人は衝突するように思えた。だがその瞬間、黒色が二人の間に広がった。
「……真空」
六花さんが何かつぶやいたかのように見えた直後、まるで瞬間移動のように二人の距離が縮まった。
だが、男はそれに反応する。刀を掴んでいた右手を振り払う。
六花さんは空中で咄嗟に姿勢を変え、右手を躱す。——そして、着地した瞬間に、刀が六花さんの横腹を切り裂いた。
「六花さん……!」
男が居合の姿勢から振り抜いたのは、右手のみだった。そしてその右手は空を掴み、空間を動かす。そこ結果、男の右手の動きから一瞬遅れて刀が振るわれた。
「……残念」
腹に刀を咥えたまま、六花さんは不敵に口元を歪める。
そして、黒色が――、広がった――。
世界が揺れたような気がした、円形の公園の、見えない壁の中が洗濯機になってしまったかのようにかき回される。
必死に木にしがみつき、そして目を開いたら、——無傷の二人が立っていた。
「……権能もどきか。その練度、死なせておくには惜しいものだ……」
「——残念だけど、あなたに選ぶ権利はないよ」
まるで映画や漫画のような、——栞ちゃんが使った魔法よりもよっぽど現実離れした風景。私はただ、端で縮こまって、眺めていることしかできない。
六花さんにあんなことを言われてしまったけど、私はまだ、自分がこの先どうすればいいかわからない。
この罪の意識にどうやって向き合うべきか。多分、正解なんて無いんだろうけど。それでもこの選択を一生引きずって私は生きていくことになるんだ。
――なら、私は選ばない。
「——
木陰から飛び出し、男に向かって岩の銃弾を放つ。
これは自殺行為かもしれない。でも、もしかしたら、私のおかげで六花さんが勝てるかもしれない。
私には選べない。だって、今まで逃げてきたから。ぼんやりと目の前の物事をやり過ごすことだけを考えてきたから。世界は広いことも、誰かと一緒に居るのが楽しいことも、結局は、他人のおかげで知れたことだ。
——どちらだっていい。
私はただ、どの結果になったとしても、後悔だけはしたくない。死ぬなら死ぬで、胸を張ってあの世に行ってやる。
「松田さん!」
何度も呪文を唱え、岩の銃弾を打ち出す。——男には一発たりとも当たらない。だが、男の動きが止まった。
——この時の松田には気づきようもないが、男——多田羅はこの瞬間、一切の戦闘能力を失った。
下手な魔法使いはエーテルを無駄に食いつぶす。松田の魔法の乱射という行為は、多田羅の張った結界の中のエーテルをすべて使い果たすという結果になった。
エーテルが無ければ、神秘の行使は不可能。魔法使いは、地上にこぼれ出たエーテルを糧とする。この場に居る魔法使いはこの瞬間、一切の神秘を奪われた。
「たわけが……!」
「ナイス!」
——だが、ここに例外が存在する。
地上にこぼれ出たエーテルではなく、地球そのものからリソースを吸い上げる。彼女は魔法使いではない。地球の代行者、その六番目、星の第六感。
六花の腕から黒色が伸びる。この黒色こそが地球の代行者に与えられた権能。地球の上書き。この黒色の範囲に任意の事象を発生させられるという、地球そのものにしか許されない行為。
「馬鹿なっ……! まさか貴様——!」
エーテルのない状態での神秘の行使、伸びる黒色。結論ははっきりとしている。
ここで初めて、多田羅は表情を歪ませた。第六感は存在こそ確かだが、今まで表舞台に出てきた記録はない。そんなおとぎ話のような存在が、こんな街で――。
多田羅は公園を覆う空間の歪曲を解く。それによって新鮮な空気と共に、少量のエーテルが公園内に流れ込む。多田羅が神秘を行使するには、それだけで十分だった。
背後の空間を全力で引き、眼前まで迫った黒色から離れる。
宙に放り出された多田羅は、そのまま空間を引き、飛び去っていく。逃げるしかない。一度帰還し、しかるべき戦力をもって、再び――。
「……っ――!」
――多田羅が、撃ち落される。それは、目で捉えることすら難しい勢い。銃弾のごとく多田羅を貫いたのは、人間だった。
「逃がすか――!」
多田羅の後を追い、黒色を足場にして宙を掛ける六花が目撃したのは、地面に落ちていく多田羅の死体と、弟の姿だった。
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