ドクター・ラプラス

洞廻里 眞眩

プロローグ



 ――名前を忘れた。


 縫合に比べて皮膚へのダメージが少ない。


 それに、糸よりも縫合がはるかに楽。


 術後の見た目が縫合に比べて若干よろしくない、というを除けば、使うに越したことは無い。 


 紙束を綴じるのにも使う。むしろそっちの方がなじみ深い。


 の名前を忘れた。


 手術中の出来事だった。


 その手術は失敗した。患者は亡くなった。


 でも、の名前を忘れたから失敗した、というわけじゃない。


 俺が何も言わずとも、熟練の看護師がすぐにを手渡してくれたから。


 仮に手渡すのが少しくらい遅れたからって、さほど問題はなかったはずだ。何故なら、あの時手術はすでにその工程のほとんどが終わっていたからだ。


 十分に血流は確保できていたし、クリッピングの位置も完璧。


 佳境は過ぎ、あとはを綴じるだけ。


 手術は完璧だったのだ。少なくとも、俺はそう思った。


 だけど患者は亡くなった。


 正確に言うと、患者の意識は戻らず、脳波も回復しなかった。つまりは脳死だ。


 何が原因だったのか。


 色々思いつくことはある。低酸素だったとか、運ばれてきたときにはもう手遅れだったとか。


 だけど、結局のところ、確信をもってこれだと言えるものは何もない。


 おそらくどんな名医だろうが、そうに違いない。


 なぜなら人は万能じゃないから。


 様々な要因が絡む、複雑過ぎる未来を完璧に予測することは不可能だからだ。


 一つだけ確かなことは、


 俺は手術に最善を尽くした。



 そして、術中に信じられないをした……。


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