その声は嘘つきで

山田あとり

ワンコは強くなりたい


 高校二年の夏が来る頃、俺に「弟」ができた。


 父が再婚した相手の連れ子というやつだ。

 お互い一人息子だったので、初めての兄弟ということになる。


 そいつ、咲哉さくやは一つ下の高一で、顔合わせの日に俺は目をぱちくりした。「うわ、すげえかわいい」って。整った顔をしてるだけで、ちゃんと男なんだけど。

 高校生男子つかまえて「かわいい」はないよな。だから口にはしなかった。


 でもともかく、俺は咲哉のことがすごく気に入ったんだ。

 性格もおだやかで、気をつかう奴だった。なぜかすんなり馴染めた。


 ――そしてこれは、俺、加賀谷かがや将吾しょうごの運命を変える出会いになった。





「将吾、学校なの? もうそんな時間かあ」


 リビングに出てきた咲哉は、ふあーあ、と伸びをした。あくびをしても顔がいいな。

 家族になって二ヶ月。すでに俺の自慢の義弟となっている咲哉は朝が弱い。サラサラストレートの髪が乱れているのもかまわずボーッとしているので、手ぐしを入れた。


「なに?」

「ボサボサだぞ」


 もふもふ。なんか犬をかまう気分だ。つい機嫌よく笑うと、咲哉もにへらとした。


「へへ、あんがと」

「俺もう行く。咲哉は仕事か?」

「今日はない。オンライン授業に出るよ」

「そか。出席日数かせがないとな」

「ん」


 まだ十五歳の咲哉は、なんと働いている。といっても芸能人だ。

 子役あがりの現役高校生声優〈入戸野いりとの咲哉〉としてあれこれ出演していて、高校は通信制に在籍していた。


 義母になった人がすごく綺麗なおばさんでビビったのだけど、昔はモデルをしてたらしい。

 そのつながりで咲哉はちっちゃい頃から事務所に入ってたんだってさ。どうりでイケメンなわけだ。


 だけど咲哉はフツメンの俺にもすぐ打ちとけた。そしてわりと甘ったれ。「お兄ちゃんとか呼ぶの恥ずいから名前でいい?」って可愛いかよ。

 そんで何かっちゃ、「将吾、将吾」ってくっついてくる。兄弟仲良くなったもんだから両親はひと安心だ。


「ひとりでもメシちゃんと食えよ」

「だいじょぶだって」

「そか。じゃ、行ってくる」

「行ってらー」


 中から鍵をかけてくれた咲哉は、一日中マンションでひとりになる。食事の心配をされるような子どもじゃないのはわかってるんだけどさ。

 そういう心配って、するのもされるのも嬉しいだろ。俺たちはこれまで、家での一人時間が長かったから。


 朝いちばんに家を出るのは両親だった。

 俺は高校が近くて、その後。

 咲哉の仕事は午前だと十時開始が多いから、いつも最後まで家にいる。

 せっかく家族になったのに、誰にも見送られずに出かける咲哉。俺は少し引け目を感じていた。




 家から駅まで十分、電車で八分、駅から高校まで七分。それが俺の通学路。

 早足で歩くには、まだまだ暑い九月の朝だった。

 朝なのに陽射しはくっきりと影を落とす。その長さは少し季節が進んだことを示しているけど、抜ける空の青さに入道雲が白かった。


 いつもの電車がホームにすべり込んでくる。

 ぎゅうぎゅうと乗ったところに漫画の広告が下がっていて、なんとなく見上げた。

 アニメ放送中、となっているその学園ラブコメを俺は知っていた。咲哉が出演してるんだ。


 主役じゃないけど、ちゃんと名前のあるクラスメイト役なんだと照れ笑いされた。アニメでしゃべってるヤンチャな声は咲哉なのに咲哉じゃなくて、変な感じだった。

 もう収録は終わっているらしい。最終回どうなるのと訊いた俺に「そんなの守秘義務だよ」と大真面目に言い返してきて笑いこけた。


 すごいよな、本当に仕事してるなんてさ。

 俺なんかなんとなく高校に行ってるだけで、帰宅部で、雑に家事して。

 将来のこともぼんやりしか思い描けない。


「加賀谷ー、はよっす」

「うす」


 混んだ中、近くにいた同級生が寄ってきた。俺が見ていた広告に目を向け、うなずく。


「これ、アニメちょっと観たぞ」

「そっか。俺もめずらしく観てる」

「作画いいよな。俺ヒロインより主人公の姉さんの方が好きだわー。でもこういうの親のいるとこで観るのキツくね?」

「わかる」


 女の子とキャッキャウフフするアニメを親に観られるなんて男子高校生には拷問だ。どうせ夜中放送だからリアタイしないし、親の留守をねらって配信で観てると言われた。

 ふふん。

 俺なんかな、仕事のチェックだという咲哉と並んで堂々とリビングで観るんだぞ。すごいだろ。


「これの声優、マジの高校生が出てるんだってさ。男だけど」


 ぎくり、とした。

 それきっと咲哉のことだ。


「……よく知ってんな」

「うちの妹が声オタ。いやすでに声豚かも」

「豚って言うなよ。そんなにガチオタ?」

「いや普通に体型ポチャだから」

「妹泣くぞ」

「泣かねえよ。なぐられるわ」

「怖っ」


 話がそれてよかった。


 なんかさ、咲哉のことは誰にも言いたくない。義理の弟ができたことだけならいいけど。

 ほら、芸能人だなんて知られたらあいつが困るかもしれないし。守ってやんなきゃ。


 俺は咲哉の兄なんだ。できれば俺だって、いい兄貴になりたい。

 咲哉に自慢してもらえるような、そんなやつになりたいよ。





「……とか言われたんだけど、咲哉が声優やってるってバラさない方がいいよな?」


 家に帰った俺は、咲哉と並んで台所に立っていた。夕飯の準備だ。つってもレトルトの煮込みハンバーグがメインで、用意するのは付け合わせの野菜ぐらい。

 朝の電車でのことを話すと咲哉はウーンと唇をとがらせる。


「そうだなあ、学校に声優ファンがいると将吾がめんどくさいかもね。迷惑かけてごめん」

「ばっかやろ。迷惑なんかじゃねえよ」


 レタスをちぎっていた俺は、ひじで隣を小突いた。くすぐったそうに咲哉は笑う。


 二人ともシングルの親に育てられてきたので、ひと通りの家事はできる。

 でも大ざっぱな俺に比べ、咲哉のやる事はどれもこれも丁寧だ。今だって油揚げの味噌汁を作るのにちゃんと湯通しするんだぞ。驚くわ。


「声優なら誰でもお近づきにって人もいるから。黙っててくれる? 俺なんかあんま売れてないけど」

「いやおまえ、人気あるだろ。雑誌で写真見たぞ」


 本屋で声優雑誌の中身をチラ見したのは表紙に小さく咲哉の名前があったからだ。

 めくってみたら、イケメンを発揮し、でも少し恥ずかしそうに撮られた写真が載っていて、買って帰ろうか迷った。でもそんなの兄としてキモいかと思って、やめたんだよな。


「雑誌って……それ俺の部屋のやつ?」

「部屋? あっ、そっか本人は持ってんのか!」


 見本をもらったりするんだな。あぶねえ、よかった買わなくて。


「え、まさか本屋で?」

「いやまあ、咲哉どんなことしてんのかなって」


 ちょっとバツが悪くなってモゴモゴ言ったら、咲哉は嬉しそうに笑ってくれた。


「たいした仕事してないけどさ、俺のこと気にしてくれたんだ」

「そりゃ気にするよ……」


 やべえ。すげえ恥ずい。

 でも咲哉がなんだか機嫌よく出汁に味噌を溶きはじめ、それをながめて俺はまあいっかとなった。



 


「ねー将吾」


 夜になって、俺の部屋にひょいと咲哉が顔を出した。開いたドアの向こうでリビングのテレビの音がする。帰宅した両親がつけてるんだ。

 親のことなんで照れるけど、あの二人は中年の再婚とはいえ新婚さん。親孝行な俺たちは夜、なるべくさっさと自室に引っ込むようにしていた。


「将吾が本屋で見たの、これ?」

「あ、うん」


 出されたのは見覚えのある雑誌だった。

 ベッドに転がって音楽を聴いていた俺はイヤホンを外す。咲哉が俺の腹の横に座るとマットレスがギシ、といった。

 俺を見下ろす目は真剣だった。


「……この記事どう思った?」

「どうって」

「俺、めっちゃ少年キャラみたいに扱われてるじゃん。なんかさ、頑張ってもまだ社会的には子どもなんだなって」

「ああ……」


 ピックアップされたコーナーは〈フレッシュボイス!〉の見出しだった。撮られ方だって上目づかいで、いつもより可愛い感じ。


「そりゃあ声優としては新人だし、高一だし。八十過ぎて現役の人たちがいる業界だから仕方ないんだけど」

「八十! そんななの?」

「そうだよ、レジェンドの大御所さまも働いてるから」

「なんかすごくブラックな世界なんじゃ」


 俺らの親が子どもの頃にテレビに出ていた人が引退していないらしい。すごいんだな。


「だから俺が子ども扱いなのは当たり前だよ。でも俺――父親になめられるの嫌で」


 不意にそんなことを咲哉が言って、俺は黙った。

 父親。

 それは義父である俺の父ではなく、血のつながった人のことだろう。


 咲哉と義母さんに暴力をふるって離婚した男だそうだ。

 小学生の頃、咲哉は殴りつける父親から必死で逃げたのだと再婚する時に聞いた。


 咲哉の芸名、入戸野は義母さんの旧姓だった。小さい頃に芸能活動するにあたり名乗ったんだ。

 ところが実父がDV野郎になって、離婚。入戸野咲哉は本名になってしまった。

 もちろん父親だって、その名前は知っている。接近禁止命令が出てるから会うことはないけど、こうして雑誌やなんかで息子の活躍を目にすることはあるわけで。


「だからもう凸られたりしないように、コワモテになりたい」

「こわもて!?」


 そんなことを真面目に言われて俺は起き上がった。

 いや、咲哉はなあ。綺麗な顔してるから無理だと思う。

 そう言いかけたけど、言えなかった。あんまり思い詰めた目をされて、心臓がズキンとした。


「ほんとはもっとガッシリした体がいいし」

「ええぇ……」


 俺たちの背は175センチ前後で同じぐらいだけど、咲哉は細身で頭がちっちゃい。これはこれでバランス取れてるんだけどな。俺は好きだ。

 なのに向き合って座った俺の肩幅を両手ではかり、咲哉はうらやましそうにした。


「男っぽくていいな。名前だってさ、加賀谷将吾とか強そう」


 俺の方が体が太い。小学校低学年まではサッカーをしていたし、筋肉質だ。髪はほんの少し癖毛で、あごもがっしりで。

 俺たちって、わりと正反対だよな。

 だけど俺、咲哉が好きだ。咲哉は咲哉のままでいいと思う。


「咲哉だってもう加賀谷だろ。てか、カガヤ・サクヤって音のすわり悪いんだけど、こっちの苗字でよかったのか」

「いいんだよ、それは。俺うっかり芸名が本名になっちゃって、やだったんだもん」

「あー、それもそうだ……」


 こいつ、いろんな生きづらさを抱えてきたんだな。

 しんみりした俺は、絶対に咲哉を幸せにしてやりたくなった。

 咲哉がガチムチにならなくっても、俺が守ればいい。こっそりそう決意した。

 ……ま、なんの武道の心得もないんだけど。


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