ひつじになった俺のほのぼのなライフ
山原黄色
第1話
昔、テレビか何かで見た羊の集団。もふもふで、でも強そうで、いつかはあの中の一員になりたいと願った記憶がある。
なぜ唐突に、幼い頃の無邪気な夢を思い出したのか。その理由は、現在その夢が叶っているからである。
――俺は今、羊の群集に揉みくちゃにされながら、押し流されながら、どこか知らない土地を進んでいる。
どうしてこうなったのか。それは俺が知りたい。
ふと気が付いたら――通勤途中か帰宅途中だったはずが――羊の群れの中にいた。彼らはもふもふで、決して集団の形を崩すまいと強い意思を持って走っていた。この群れの中にいる限り、立ち止まっては行けないと、俺はそう思い、羊たちと一緒に走る。そうした中、かつての幼い夢を思い出した。
走りながら羊たちを観察(というほどじっくりは見られていないが)していると、どうにも羊ではなさそうだと気が付いた。羊らしく、もふもふしていて、蹄があって(見てはいないが踏まれた感じがそれっぽかった。蹄で踏まれたことはないが)、ロールパンのような角がある。要素は確かに羊だが、何と言うか、リアル感がない。絵本だったり、グッズのモチーフだったりになるような、そんなデフォルメ感満載な姿をしているのだ。
おそらくここは現実ではないと、ようやく思い至った。
「めー」
一頭の羊が鳴いた。すると、他の羊らも輪唱のようにめーめー鳴き始める。何となく、俺も一緒に「めー」と鳴いた。
段々羊たちの走るスピードが緩まり、歩くほどになったかと思うと、俺の前を進んでいた羊の尻にぶつかる。
「おー、おかえり。それじゃあ点呼取るぞー」
誰か、男の声が言った。前方の羊たちに隠れて、声の主を認めることはできない。羊たちは一頭ずつ「めー」と言いながら、前へ進んでいく。
めー、めー、めー……羊たちの声が途切れた。はっとすると、前方に羊はいない。俺の番らしい。
「めー」
そう言って足を進めると、男が慌てた様子で俺を止めた。
「まっ、待て!」
「めー」
何だと頭を上げる。男の顔を見続けると、首を痛めてしまいそうだ。
「どこから来た……?」
日本の某県某市から。と言っても、きっと伝わらないだろう。俺は分かっているのだ。この世界が、いわゆる異世界だということを。
「めー」
「『めー』じゃなくて……いや、そりゃあ『めー』しか言えないだろうけども」
男はうんうんと頭をひねる。そんな男の横を、羊たちはめーめー言いながら通りすぎていく。そして、柵の外に残るは俺と男のみとなったとき。
「やっぱ一頭多いよなぁ……」
男は盛大にため息を吐いた。
「野生か? 誰の魔力も感じないし」
男はぶつぶつと呟きながら、うろうろと歩きだした。暇な俺は、その後ろに着いていく。
「お前、野生のくせに人懐っこいなぁ」
「めー」
「うちのひつじが気に入ったのか? それともとんだ呑気者なのか?」
男はしゃがんで、俺のもふもふな体をもふもふとした。ちなみに、俺は現在あの羊たちと同じように、デフォルメ羊な姿だ。
「めー」
「それはどっちの『めー』だぁ?」
何も考えていない「めー」だ。
「こんなに危機感のないひつじ、野生に逃がすのも不安だな……。ためしに契約してみるか」
そう言うと、男は大きい(人間サイズだと普通だろう)建物へと向かっていく。男に着いていくと、入る前に持ち上げられた。
「我が家は土足厳禁だ」
「めー」
異世界あるあるな、西洋風の世界に見せかけて、こういうところは日本と同じらしい。もしかしたら、日本で作られたゲームの世界か。
そんなふうに考えていると、俺をおろし、さっさと小屋の中へと入っていく。追いかけようとしたら、眼前で扉が閉まった。
「待たせたな、クロスケ」
ここでも日本風。やはり、なんちゃって西洋モチーフな世界なのだろう。
「えー、まずは……」
男は手順を呟きながら、魔方陣らしきものを描く。二重の円に、幾何学模様。作業を見守るのに早々に飽きた俺は、枝を引きずって歩き回る男の後をついて回った。枝が特殊なのか、男が特殊なのか、魔方陣は棒の先から淡く輝いて姿を現すので、足跡がついても平気だろう。男も気にしていないし。
「で、最後に……うお、クロスケ」
「めー」
しゃがんだところで俺に気が付いた男は、しりもちをついた。簡単に足跡がつくくらい柔らかい地面だから大丈夫だとは思うが、しりもちはときどきものすごく痛いからな。俺は慰めるように、男の脚をもふもふに埋めてやった。
「優しいなぁクロスケ。もふもふついでに抱えさせてくれ」
そう言いながら、軽々と持ち上げられる。
「めー」
「――……」
俺が鳴くと同時に、男が何か唱え出す。日本語と少しの英語くらいしか分からない俺には、全く未知の言語だ。
黙って抱えられながら詠唱を聞いていると、魔方陣全体から光が溢れる。どきどきしながら様子を見ていると、男に腹を叩かれた。
「名前」
名前。本名でいいのか、クロスケと言うべきか。多分本名でいいだろう。
「めぇー」
辻陽太。読みもそのままツジヨウタです。どうぞよろしく……。
何となく神さま的な存在をイメージしながら、挨拶する。どんなに考えて言葉を発しても「めー」にしかならないが、これでいいのだろうか。
そう思いながら男を見上げると、男はうなずいていた。途端に魔方陣の光が強くなり、視界が真っ白になる。
『ヨウタ……ヨウタよ』
頭の中で響く声に、目を開く。辺りは真っ白で、けれど眩しさはない。
『お主はなぜひつじになったか……分かるか、ヨウタよ』
声の問いに、首を振る。大昔、羊になりたいと思ったことはあれど、あくまで夢。本気ではなかった。強く願ったわけでもなく、けれど、なれたらいいとも思っていたので、罰として羊にされた訳でもないだろう。そもそも、種族を変えられ知らない世界に飛ばされるほどの罪を犯した記憶はない。
それならば、異世界転生だろうか。最後の記憶は見知った道を歩いているところだった。トラックか何かに衝突され、現在に至る……?
『ヨウタよ……お主は死んでおらぬ』
転生ではないらしい。そうなると、なおさら分からない。どうして俺はデフォルメ羊になっているのか……。
『手違いだ……我らのミスにより、お主はひつじとなった』
「めっ」
『……お主の努力次第で、お主は元の姿、元の世に帰ることができる……頑張るのだ、ヨウタよ』
声が遠ざかっていく。手違いって何だ、努力って何だ。言いたいことはたくさんあるのに、俺の言葉は、「めー」という声にしかならなかった。
「めー」
「めぇめぇ」
「めぇー」
目が覚めたら、デフォルメ羊たちの群れにいた。デフォルメ羊たちは各々自由にしており、駆け回る者、草を食べる者、穴を掘る者、様々だった。様々なのは行動だけでなく、毛の色も、白、黄、青、赤、緑……カラフルだ。俺は何色なのだろう。気になり、何か姿を映せるものがないか探す。
きょろきょろしながら歩いていると、棒に当たった。痛い。ぶつけたところに手を伸ばすが届かない。ため息を吐いて、姿見探しに向かおうとすれば、ひょいと抱き上げられた。
「どこに行くんだクロスケ」
ひとりで外に出ては行けないと、男が俺を顔の高さまで持ち上げる。
「めー」
「外に出たいなら、明日の朝まで我慢だ。みんなで外に出してやるから」
「めー」
外に出たいのではなく、俺は俺が何色なのか気になるだけだ。できれば赤がいい。格好よくて好きだから。
男は首をひねり、
「腹減ったのか?」
「めーっ」
言葉を使えないもどかしさに歯噛みをする。何とか意志疎通できないかと考えるが、何も思い浮かばず、悔しさにめぇめぇ鳴くしかできなかった。
「何だ、不機嫌だな……」
「めぇ」
「あれか? さっき家にいれてやらなかったからか?」
「め……」
そうではないが、そうということにしておこう。家の中であれば、鏡なんてそこらじゅうにありそうだ。
肯定を示すため、首を上下に振る。男は一瞬驚いて、「仕方ないな」と言うと、俺を腹の辺りで抱えて、建物の方へと歩き出した。
「クロスケ。嫌かもしれないけど、家に入る前に風呂だからな」
「め」
まったく問題はない。むしろ風呂は好きだ。なんたって日本人、毎日でもいい。
「嫌でも洗うぞ。ひつじは砂がやばいんだ」
伝わらなかった。
砂がやばいと言われると、とたんにむずむずしだす。確かに毛の中がざらざらしているような……。
「あっこら暴れるな」
砂を落とそうと体を振ると、抱える腕に力を入れられる。がっちり固定された俺は諦め、めえめえ鳴いて男を急かした。
家の前に着くと、ちょうど目の前にドアノブがある。それに手を伸ばしたところで地面に下ろされ、「少し待ってろ」と言われた。
砂による不快感を少しでも取り除こうと跳び跳ねていると、男が戻って来た。俺を見て首をかしげる。
「何やってるんだ?」
「めぇ!」
「そうかぁ」
明らかに何も理解していない返事をして、男は水道からホースを伸ばす。蛇口をひねるかと思いきや、頭をタッチ。すると、ハンドルが自動で回転し、水が流れ出した。
「め」
流れる水に触ると、とても冷たかった。これで俺を洗うのか? 動物虐待ではないか。男を見ると、たらいにホースの先を入れて水を貯めている。その様子を眺めていれば、ほかほかとたらいから湯気が現れた。
「クロスケ、こっち来い」
手招きされ、男に近寄る。湯気は本物らしく、たらいの側は暖かかった。
「じゃあ、お湯かけるぞ」
そう言って、足に湯をかけられる。温度は少し熱く感じるくらい。ちょうどいい具合だ。
「めーえ」
「おー、いいか。もう一回いくぞー」
何度か湯をかけられ、脚が温まったところで、体にも湯を浴びる。
「泡するぞ」
いつから持っていたのか、男は石けんを俺の毛にこすり付ける。しばらくすると、男が「おぉ」と声を漏らした。
「すごく泡立つなぁ、お前」
きれい好きなのかと言われながら、よく揉まれる。男の腕まで泡にまみれたところで、泡を流された。繰り返しすすがれ、ぬめりを感じなくなると、大きなタオルが近付いてくる。俺はそれをかわして、たらいの縁に足をかけた。後ろ足に力を込め、地面を蹴る。宙に浮いた後ろ足から、前足の方へと重心が移る。そのままの勢いで縁を乗り越え、たらいに――湯船に飛び込んだ。頭から。
「クロスケ!? だ、大丈夫か」
「めぇ」
水面に顔を出し、返事をする。少し鼻に入ったが、プールで足をつったときと比べれば屁でもない。
「め~ぇ」
肩まで(?)浸かり、息をついた。
気が付けば羊の群れ。自分も羊。唯一出会った人間も、俺の言葉は分からない。よくよく考えれば、これはとんでもないことなのだと思う。けれど、恐ろしい化け物がいたり、魔王を倒せと言われたりすることもなく、ただのほのぼの羊ライフのようだ。それに、神らしき人が言うには俺が羊になったのは手違いらしい。それならば、まあいずれは何とかしてくれるだろう。それまでは羊として、この世界を堪能しよう。
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