後宮を出禁になった将軍家悪鬼姫君の縁談

志野 まつこ

第1話 むかしむかし、お王子様は言いましたとさ。

 むかしむかし、と言っても二十年と少し前の事。

 それはそれは愛らしい、玉のような御子と謳われた王子様は「妃とする人は強い人がいい」というような事を実に無邪気に宣ったのでございます。


「その結果、我が子を妃にと目の色を変えた貴族達の間で娘を武人に育て上げることが流行し」

「追随して平民まで一気に広まったあげく、実に不可解ながら気がつけば健康な女子には兵役の義務が課せられ」

 軍の石造りの演習施設の中庭。そこに設えられた木製の長椅子に集まった短袖たんしゅうに袴という軍服姿の女達は、同僚の言葉を途切れることなく順に繋いでいく。


「国は順調に筋骨隆々娘ばかりになりました」

 武器管理局所属の花蓮カレンは両ひざに両肘をついて頭を抱え込むようにして暗くそう言い、情報局の副局長である理名リャナは死んだ目で空を仰いだ。


「最終的に王子は軍部で落ちこぼれるようなごく一般的で、それは若くて可愛らしい、華奢な姫君を後宮にご指名しましたとさ」

 医局の局長 葉葉ヨウヨウは遠い目で空を仰ぎ、やはりため息をつく。


「そして屈強な女達だけが残った」

 初夏のまだ乾いた風がそこに籠った空気を流し払うように吹く。

 容姿はともかく皆その可憐な名の通り女性である。そんな女性達の中心でひときわ大柄な優里ユゥリは彼女達の話を綺麗にまとめ、そこにたむろしていた軍でも上位に就く彼女たちはハッと鼻で笑う。


「ふざっけんな!」

「体鍛えさせて国守らせた挙句、今度は少子化で産めや増やせ? 殺す気か!」

「だいたいこんな仕事してるのにいつ出会えと!?」

「そもそもこんな筋肉女、誰が好き好んで嫁にもらってくれるっつーの! 産んでほしけりゃ相手連れて来なさいよ!」

 一呼吸の間ののち噴出したのは恨みつらみという怒涛の愚痴である。心地よい風が吹いたくらいでは彼女たちの鬱屈を払う事は出来なかった。


 そう。

 特異な趣味を持った王子と、町の青年達の性癖が異なるのは至極当然であり、彼等は一般的に言うところの普通の可愛らしいお嬢さんを好み、軍部でも高い地位まで上り詰めた女達はほぼ例外なく嫁に行き遅れた。

 大きくもなければ小さくもない規模を誇るこの国はさいという。国王は「国主」と呼ばれている。自国の人口減少はいかなる国家も早急に取り組むべき大きな問題である。


「花蓮、あなた後宮入り目指して頑張ってじゃない」

「やめたわ。聞いた? また二の姫と三の姫が大乱闘だって」

「池に落ちたんでしょ?」

「高貴な姫君が取っ組み合いで池に落ちるって、ねぇ? まぁ陛下が屈強な女がいいって言うんだから殴り合いになるのも分かるけど……」

「優里教官、止めに行きましたよね」

「出禁にされてるのにこういう時だけ後宮担当の連中、頼ってきますよね」

「優里教官が行けば一瞬で終わるし、しょうがないわよ。同行したけど優里教官見るなり二人とも恥ずかしそうにされて、お可愛らしかったわよ。黙ってれば本当にお美しいのに……」

 以前はお目にかなって後宮入り、という夢を抱くことができたのだろうが後宮内では筋肉自慢の女性と美貌自慢の女性達が拳と言葉でそこかしこで堂々殴り合うようになり収拾がつかない状態だ。

 王族にしては珍しく現国主が後宮に消極的な方針で、その規模は縮小しつつある。長く続いた文化も、女たちが強くなり過ぎた事により廃れるとはお偉いがたも思いもつかなかった事だろう。

「屈強たれと言った張本人がか弱い子を選ぶって本当に」

 そして話はまたそこに戻るのだ。

 これまで堪えて来た様々な鬱憤が国主がそんな姫君を選んだことにより爆発寸前のところまで来ている。ただ彼女たちはその姫君を恨むことはなかった。

「優里教官、明花ミンファ見ました? 元気そうにしてました?」

 明花とは情報局所属に所属していた娘で、今は国主の本命と言われている彼女たちのかつての同僚だ。行事の最中、それは派手にすっ転んだところをなぜか国主に見染められ、一年ほど前に後宮に入った。国主直々の指名は異例中の異例だ。

 みな実家の権力で後宮入りが決まるなか、国主が望んで後宮入りが決まったのは明花だけである。

 平民に近い家の生まれだ。後ろ盾もなく他の寵姫から疎まれ、迫害されているに違いないとこの場にいるかつての同僚たちは心配していた。

 ただ彼女たちは一つの可能性も考えている。国主の目に留まるような位置で任務に就く者は皆優秀だ。明花が秘密裏に情報を扱う任に就いている可能性もある。


「相変わらずそうだったぞ」

 明花は運動神経は今ひとつながら危機回避能力がずば抜けて優れていた。君子危うきに近寄らずを体現するような性質を持つ。優里が言うのであれば間違いなかろうと面々は安堵した。元気にしているならそれでいい。

 優里は「気は優しくて力持ち」と、とにかく後宮の女性達にもてた。

 以前は後宮にて護衛官の任に就いていたが優里をめぐって争いが後を絶たず、国主の理想とする屈強な女も多い事で護衛も宰相から直々に不要と任を解かれたほどだ。優里は事実上の出禁となっている。

 条件だけでいうなれば正妃も狙える生まれと筋肉だが、国主の好みには外れたらしくそれはそれはあっさりと放出された。教え子たちは「優里教官になんの不満があるんだ」と息巻いたが、筋肉量の度が過ぎたのだろうと優里は思っている。

 そもそも王子や姫を生み育てるよりも、新兵を育てる方が性に合っている。


 自分は行き遅れようが後宮を出禁になろうがいいのだが、と四つ存在する将軍家でも最高位の家に生まれた優里は思う。

 どうせ自分をもらおうという奇特な者など少数で、自分を正々堂々と真正面から対峙して組み伏せるような男でなければ認める気は無い。岳家との関係を欲し岳家に縁談の申し入れはあるが父 岳将軍と二人の兄が厳しく審査し、ことごとくお断りしている。岳将軍と武官である次男、優里に勝利する事が条件と言われれば相手側は遠回しなお断りだと受け取るしかなかった。

 優里の希望としてはこのまま軍に籍を置き、いずれ女性官舎の寮母あたりになりたい。そして壮年を迎えた頃に似たような独り者の男と一緒になって優秀であるにもかかわらず出自のせいで正当に評価されず不遇の地位に立たされる人材を養子にでも取る。そうやって国の宝になりうる人材の力になってやるのが優里の描く人生像である。

 当然だが他の女達は違う。国策で婚期を逃すなど望んではいないのに。

 中央と呼ばれる王都に配属されている彼女達は高給取りであり、たいていの男達よりは腕が立つ。幸か不幸か彼女達には「一人で生きて行く」という選択肢があり、不本意ながらもそれを選択せざるを得ない状況である。

 そんな状況下で持ちあがった少子化問題は時の流れとともに緩やかに悪化し、今や深刻な事態となりつつある。


「よくもまぁここまで放置したもんだよ。見事に先細りする未来しか無い。もう『屈強マッチョな女がモテる国でも探しに出よっかなー』って気にもなってくるよなぁ」

 皆なまじ腕が立つだけに国を捨てて流しの傭兵になる事も、他国の貴族のお抱え用心棒に収まる事も可能だろう。長椅子に座り、背もたれに両肘を預け天を仰いで優里はそう嘆息する。その二の腕は大変に逞しい。

 小さめの頭に切れ長の目元は鋭い。一見きつい印象を与えるが落ち着いて、よく見れば、本当によく見ればそれなりに整った顔立ちで、首だけ上を遠目に見れば美人の範疇に入る条件を満たしている優里だが、髪は肩につくほどという貴族の娘にはあるまじき短髪である。

 周囲の軍に在籍する彼女たちでさえ「髪を切ったら女を失う気がする」と皆が長さを保っているにもかかわらず、だ。

 さらに有事の際、下ろした長い前髪をまとめ上げれば刀傷により一部断絶された左の眉と、その脇のこめかみにも後頭部に向かって走る指三本ほどの長さの刀傷が露出する。その姿は実に勇猛な武将そのものだ。こめかみの傷は相当古いものに見え、本人が口を閉ざすため影では熊と戦った傷だと噂されていた。

 そんな屈強としか言いようがない大柄の体型の、いかつい事この上ない体格の彼女は軍の最高権力者であるガク将軍の娘であり、二十三にして新兵教育を担当している。

 軍人として必要な素質に恵まれた優里は十四の年から三年ほど他国へ武道留学し、体術と戦術を学んだ先鋭中の先鋭である。

 親元を離れた武者修行の後、国営軍に入団し各部に身を置いた。その結果、現在は新兵の教育訓練の責任者のうちの一人となった。

 この国は帝国に比べれば晩婚傾向にあるが、それでもかつてはたいてい二十になる頃には嫁ぎ、母親になっているのが常であった。よって二十三で独り身とあれば順調な行き遅れ軍人女とされる。


「優里教官が行くなら私もお供しますっ!」

「私も! 私も行きたいですー」

 若い新兵などからは最悪の悪鬼教官と恐れられる優里だが、女だてらに軍の上官の座に就いた同性の同僚からの人望は篤く、この場にて彼女を取り巻く仕事仲間達はそう希望した。

「よし! みんなで婿探しの旅に出るか!」

 などと愚痴と夢物語を思うがまま口にして最後はすっきりとした気分で笑って締めくくり、「じゃあ今日も仕事、頑張るか」と渋々仕事に精を出すのが彼女達の日常だった。

 毎日変わり映えしない、枯れ色の軍生活の一部。

 そのはずだった。

 それなのに。


「あらあら、まあまあ。そうだったの。困ったわねぇ」

 その穏やかな声は突如背後で発せられた。心なしかいつもより華やいでいるようにさえ聞こえた。

 ここに集う女達は全員軍人としての実力を十分に備えた実力派であり、気配には敏い。にもかかわらず、優里の上司は突如として現れるとにこにこ・にこにこと笑い、その様子に面々は「ひっ」と息を飲む。

 上等な軍部の官服をまとい、艶やかな髪を後れ毛一本零さず結い上げた上品な女性。年は四十を越えているというのに三十代中ほどに見える。

 優里の父、岳大将の補佐で、すでに実務のすべてを担っているとも次期大将とも名高いシン 上羅カミラの笑顔があった。

 上羅は常に笑顔である。現役時代の彼女を知らない人間には優しそうな美しい女性にしか見えないだろうが、『微笑みの鬼女』と呼ばれた彼女の笑顔に軍に籍を置く彼女達は凍りつく。


 えーっと、冗談ですからね? と優里は思う。

 冷静にこの状況を鑑みると非常にまずい。

 先ほどまでここで展開されていたのは、この国の軍事情報に精通し、その能力は群を抜いている人物達に他国への出奔を唆している光景であった。


「貴女にそんな気があったとは。そうですか……これは……考えなければなりませんね」

 頬に手を当て困ったような笑顔で彼女はそう首を傾げる。

 優里は恐怖した。

 こわいこわいこわいぃぃ!

 出奔も謀反も起こす気は無いです!

 ちょーっと愚痴るくらい誰だってするし、部下達との楽しい交流の一環だと思うんですよ!

 ていうか、こっちは国の愚策の被害者なんで!

 それくらい理解していただけますよね!

 上羅の穏やかで優しい笑顔はこの中で一番階級の高い優里ただ一人に向けられており、周囲の女性団員達はそっと心中で優里に詫びたのだった。


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